相撲親方
朝乃翔 嚆矢(あさのしょう はじめ 1969年12月23日-)は神奈川県小田原市出身の若松部屋の元幕内力士。引退後の2002年2月に師匠である若松親方(元大関・朝潮太郎 (4代) 朝潮) と高砂親方(元小結・富士錦猛光 富士錦)が名籍交換し、若松親方が高砂部屋を継承したため現在の所属部屋は高砂部屋である。最高位は西前頭2枚目。本名は小塚 一(こづか はじめ)。旧名は大澤 一(おおさわ はじめ)。コンタクトレンズを着用して本場所の土俵に上がった最初の力士でもある。
中学時代はバレーボール部に所属していたが、相洋高校に進学してからは相撲部に入部した。近畿大学に進むと、後に朝乃若武彦 朝乃若となる足立武彦らとともに活躍した。1992年3月場所に幕下60枚目格付出しで初土俵を踏んだ。順調に番付を上げて行き1993年3月場所に新十両。同時に四股名を朝相洋(あさそうよう)と改めた。その場所は勝ち越したが翌場所は怪我で途中休場し幕下に陥落。四股名を本名の大澤に戻してからは勝ち越しを続け、1994年5月場所に十両に復帰し四股名を朝乃翔と改めた。再十両の場所から負け越すことなく1995年3月場所に新入幕を果たした。1997年3月場所に自己最高位の西前頭2枚目に躍進し、横綱・曙太郎 曙から初金星を挙げたが惜しくも7勝8敗と負け越し。1999年9月場所も西前頭2枚目と三役昇進がかかる場所であったが7勝8敗で負け越し。幕内でも安定した成績を残していたが2000年5月場所に右腕を故障し翌7月場所に十両に陥落。幕内を復帰を目指し万全な稽古をして名古屋に乗り込んだが初日前日に網膜剥離を患い7月場所を全休。9月場所は西幕下5枚目まで陥落したが振るわず2勝5敗と負け越し。さらに翌11月場所は椎間板ヘルニアを患い全休。翌場所も全休し2001年3月場所には東三段目37枚目まで陥落した。このまま引退するのではないかとの噂もあったが土俵に上がり6勝1敗と最後まで優勝を争った。その後勝ち越しを続け東幕下26枚目まで番付を盛り返したが、椎間板ヘルニアが悪化し2002年1月場所前に現役を引退し準年寄・朝乃翔を襲名した。年寄・若松、年寄・佐ノ山を経て現在は年寄・関ノ戸として高砂部屋で後進の指導に当たっている。
天格 11 | 吉 |
幸運 富 地位 | |
女系家族で、男性は絶える傾向にあり、養子を迎えて家名存続してきました。 | |
天格とは、姓の漢字の画数の総計です。祖先運を表しています。天格だけで吉凶は判断しません。 | |
人格 4 | 凶 |
不満 不遇 感情不安定 | |
頼まれると嫌と言えず、滅私奉公型で、報われるものが少なくグチが多いようです。 | |
人格とは、姓の最後と名前の最初の画数合計です。名前の中心にあたる部分で、家庭・仕事・結婚運、二十代くらいまでの運勢を表し、主運とも言われます。 | |
地格 1 | 吉 |
出世 指導力 行動力 | |
希望が果てしなく、無限の可能性と広がりを持っています。周囲からの信頼も厚く、目上の引き立てなどの援助に恵まれ、将来は富と名声を得ることでしょう。長寿を全うする数です。 | |
地格とは、名前の画数の総計です。性格・才能・金運・適職、幼年期から中年期までの運勢を表します。 | |
外格 9 | 凶 |
薄幸 消極的 孤独 | |
人からは、目付きがきつい、人見知りをする、一度気を許すとトコトン付き合う人というように見られています。 | |
外格とは、総格から人格を引いた数です。家族・職場などの外因的要素、対人関係・社会的環境の運勢を表します。一字姓、一字名の場合、天の恵みとして霊数1を加えます。 | |
総格 12 | 凶 |
意志薄弱 失敗 病弱 | |
身体弱く12才までは特に波乱多い。感受性鋭く芸術面で活躍、などの特徴があります。 | |
総格とは、姓・名前の画数合計です。人生全体に影響を及ぼし、主に中年期以降を表します。 |