皇族
高松宮 宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう、(1905年(明治38年)1月3日 - 1987年(昭和62年)2月3日)は、大正天皇の第3皇子、昭和天皇の同母弟。母は貞明皇后。妃は公爵徳川慶久の次女宣仁親王妃喜久子 喜久子。勲等・金鵄勲章 功級は大勲位功四級。最終階級は大佐 海軍大佐。墓所は豊島岡墓地、墓碑銘(縦書き)は「大勲位宣仁親王」。
1905年(明治38年)1月3日、当時の皇太子嘉仁親王の三男として青山東宮御所で誕生。幼称を光宮(てるのみや)といった。
高松宮は四親王家の一つ、有栖川宮の旧宮号であるが、宣仁親王が有栖川宮家の祭祀を継承したのには故がある。1913年(大正2年)、有栖川宮10代有栖川宮威仁親王 威仁親王が後嗣・栽仁王に先立たれたまま危篤となったが、当時すでに皇族の養子縁組は禁じられていた(養子縁組そのものは出来たが、それを行った時点で臣籍降下を余儀なくされた)ため、有栖川宮家の断絶は決定的となった。しかし、有栖川宮幟仁親王 幟仁・有栖川宮熾仁親王 熾仁・威仁三親王の幕末以降の功労に鑑んだ大正天皇が、威仁親王の死去に先立ち特旨をもってまだ成人前であった第三皇子の宣仁親王に高松宮の号を与えたことで、有栖川宮家の祭祀は受け継がれた。その時から、威仁親王の外孫にあたる徳川喜久子(1911年生)と、宣仁親王との婚姻が約束されたという。
天格 28 | 凶 |
翻弄 誤解 不和 | |
武家の家系で、代々御意見番、指南役でした。運動神経抜群です。 | |
天格とは、姓の漢字の画数の総計です。祖先運を表しています。天格だけで吉凶は判断しません。 | |
人格 19 | 凶 |
苦労 挫折 障害 | |
神経が細かく、直感が鋭い偏屈強情な直情型です。頭はよいが金運は弱いようです。配偶者、実子に縁が薄く、病難が周囲にいて面倒を看ます。 | |
人格とは、姓の最後と名前の最初の画数合計です。名前の中心にあたる部分で、家庭・仕事・結婚運、二十代くらいまでの運勢を表し、主運とも言われます。 | |
地格 13 | 吉 |
円満 名声 人気 | |
孝心が厚く年長者を助けます。男女とも結婚後、幸福をつかみやすいようです。女性は養子を迎えやすいです。 | |
地格とは、名前の画数の総計です。性格・才能・金運・適職、幼年期から中年期までの運勢を表します。 | |
外格 22 | 凶 |
努力不足 衰退 無力 | |
人からは、目と髪が魅力的、人見知りをする、誠実、義理堅い人というように見られています。 | |
外格とは、総格から人格を引いた数です。家族・職場などの外因的要素、対人関係・社会的環境の運勢を表します。一字姓、一字名の場合、天の恵みとして霊数1を加えます。 | |
総格 41 | 吉 |
温和 安定 実り | |
意志強く夢の実現に全力を注ぐ。ムダ嫌い。結婚生活、仕事にも合理的、現実的に物事を処理していく実務型、などの特徴があります。 | |
総格とは、姓・名前の画数合計です。人生全体に影響を及ぼし、主に中年期以降を表します。 |