前田青邨(文化勲章) 「一服(白描)」 日本画(紙本・水墨・淡彩) 扇面(22.7×43.7) 額装 東美鑑定証付 【楽天・書画肆しみづ】 目利きの店主が選んだ珠玉の逸品
院展の代表的画家であった安田靫彦、小林古径、前田青邨は、ともに青年時代に紅児会という研究会に属して熱心な研鎖を重ねた人たちであるが、この三人はいずれも優れた線描家であった。このなかで前田青邨の筆線は最も軽快であって、不断の写生やスケッチに支えられたその筆線の緩急自在の運動感は、彼の絵の魅力の中心をなすといってよい。 青邨の筆線の妙味は、当然ながら《西遊記》絵巻(1927年)や人物画一歴史人物画であれ現代の肖像画であれ一の白描系の線描を主体とする作品により多く表されている。この《郷里の先覚》は線描を主体とする青邨の人物画の代表作の一つである。第32回院展に出品された。 前田青邨プロフィール:(1885年1月 - 1977年10月)は、岐阜県中津川市出身の日本画家。妻は荻江節の5代目荻江露友。 1898年(明治31年) 上京し京華中学校に入学するが体をこわして中途退学、帰郷。 1901年(明治34年) 再び上京し、尾崎紅葉の勧めで梶田半古に入門 1902年(明治35年) 半古から「青邨」の雅号を貰う。 1907年(明治40年) 紅児会に入り、今村紫紅、小林古径、安田靫彦らの俊英とともに研究を続ける。 1914年(大正3年) 再興された日本美術院の同人となる。 青邨の筆線の妙味は、当然ながら《西遊記》絵巻(1927年)や人物画一歴史人物画であれ現代の肖像画であれ一の白描系の線描を主体とする作品により多く表されている。 作家名 前田青邨(日本画・文化勲章) 題名 一服 (白描) 版種 日本画(紙本・水墨・淡彩) 画寸 43.0×23.0cm 作品の状態 良好 額寸 110.0×58.0cm 額の状態 良好(岡村多聞堂) 装丁 額装 ボール箱 黄袋 証明 右下に落款・押印 東美鑑定証 発表価格 評価価格 号 万円(美術市場) 10号 4000万円(美術年鑑) 日本画家 10号当たり参考評価価格(美術年鑑) 明治、大正 昭和前期 昭和後期 平成 院展 菱田春草 12000万 今村紫紅 3600万 速水御舟 13000万 横山大観 10000万 下村観山 4000万 小茂田青樹 3000万 富田渓仙 3000万 小林古径 4000万 前田青邨 4000万 安田靫彦 4000万 小杉放菴 2300万 平山郁夫 8000万 奥村土牛 5000万 小倉遊亀 6000万 片岡球子 2800万 岩橋英遠 1500万 守谷多々志 1000万 福王寺法林 1000万 吉田善彦 800万 日展 橋本雅邦 3800万 狩野芳崖 4900万 村上華岳 10000万 竹内栖鳳 3500万 橋本関雪 3000万 入江波光 3000万 土田麦僊 3000万 上村松園 8000万 川合玉堂 4000万 福田平八郎 4000万 徳田神泉 4000万 山口華楊 3000万 鏑木清方 3000万 伊東深水 3500万 小野竹喬 3000万 榊原紫峰 3000万 堂本印象 3000万 児玉希望 1300万 片山南風 1300万 東山魁夷 9000万 杉山寧 7000万 高山辰雄 2800万 奥田元宋 2500万 橋本明治 1200万 佐藤太清 1000万 大山忠作 1000万 加藤東一 1000万 岩澤重夫 800万 郷倉和子 1000万 松尾敏男 1200万 福王寺法林 1000万 後藤純男 1000万 創画会 山本丘人 3000万 加山又造 2500万 上村松篁 1800万 秋野不矩 1200万 石本正 800万 無所属・その他 川端龍子 3000万 横山操 3000万前田青邨(文化勲章) 「一服(白描)」 日本画(紙本・水墨・淡彩) 扇面(22.7×43.7) 額装 東美鑑定証付 院展の代表的画家であった安田靫彦、小林古径、前田青邨は、ともに青年時代に紅児会という研究会に属して熱心な研鎖を重ねた人たちであるが、この三人はいずれも優れた線描家であった。このなかで前田青邨の筆線は最も軽快であって、不断の写生やスケッチに支えられたその筆線の緩急自在の運動感は、彼の絵の魅力の中心をなすといってよい。 青邨の筆線の妙味は、当然ながら《西遊記》絵巻(1927年)や人物画一歴史人物画であれ現代の肖像画であれ一の白描系の線描を主体とする作品により多く表されている。この《郷里の先覚》は線描を主体とする青邨の人物画の代表作の一つである。第32回院展に出品された。 青邨は大和絵の伝統を深く学び、歴史画を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示しました。ことに武者絵における鎧兜の精密な描写は有名です。1955年(昭和30年)に、文化勲章を受章するなど、画壇・院展を代表する画家として長年活躍しました。 晩年には、法隆寺金堂壁画の再現模写や高松塚古墳壁画の模写等、文化財保護事業に携わり、その遺志は、青邨の弟子の平山郁夫等にも引き継がれています。 1901年(明治34年) 再び上京し、尾崎紅葉の勧めで梶田半古に入門 1902年(明治35年) 半古から「青邨」の雅号を貰う。 1907年(明治40年) 紅児会に入り、今村紫紅、小林古径、安田靫彦らの俊英とともに研究を続ける。 1914年(大正3年) 再興された日本美術院の同人となる。前田青邨(文化勲章) 「一服(白描)」 日本画(紙本・水墨・淡彩) 扇面(22.7×43.7) 額装 東美鑑定証付 額を除いた作品のみ。前田青邨(文化勲章) 「一服(白描)」 日本画(紙本・水墨・淡彩) 扇面(22.7×43.7) 額装 東美鑑定証付 扇面左、月の部分。白絣の男性の姿。青邨落款・押印作品鑑定証書額裏。岡村多聞堂の額。 関連商品はこちら前田青邨(文化勲章) [文楽人形」 日...132,000円
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