画家
甲斐庄楠音(かいのしょうただおと 明治27年(1894年)12月23日 - 昭和53年(1978年)6月16日)は大正時代の日本画家、昭和20年代~30年代の風俗考証家。兄に高砂香料工業創業者である甲斐庄楠香がいる。
甲斐庄氏は楠木正成末裔を自称した一族で、江戸時代に徳川光圀の推挙で9500石の旗本となった裕福な武士であった。父・正秀は甲斐庄氏の跡継ぎ養子となった物の、後に離縁となり別家を建てたという事情があり、その時の慰謝料で京都に広大な土地を購入した。楠音はその父の元で経済的に恵まれた少年時代を送った。しかし、幼少時から喘息を患い病弱であり、過保護に育てられた。
中学校に入学してから絵画への関心が高まり、京都市立美術工芸学校(現在の京都市立芸術大学)に入学し竹内栖鳳らに学ぶが、授業にほとんど出席しなかったため1年留年してしまう。その後専門学校、研究科と進む中でいくつかの展覧会に出品し、村上華岳に認められるようになる。大正7年(1918年)に国画会 国画創作協会に「横櫛」を出品。岡本神草の「口紅」とともに入賞候補に挙げられる。このとき、「横櫛」を推した村上華岳と「口紅」を推した土田麦僊とが互いに譲らず、結局、竹内栖鳳の仲裁で金田和郎の「水蜜桃」が受賞したのだが、このことで新進作家・甲斐庄楠音は有名になる。しかし、後に土田麦僊との確執を産む原因ともなる。大正11年(1922年)、帝展に「青衣の女」(ちなみに同年の国画創作協会落選作品であった)が入選したことで、大正13年(1924年)に国画創作協会の会友となる。定期的に作品を発表できる場を得た楠音は、その後精力的に作品を発表したが、大正15年(1926年)に国画創作協会に出した「女と風船」が土田麦僊に「きたない絵」とされ出品を拒絶される。昭和3年(1928年)には「新樹社」を結成し活動の場を移す。しかし昭和6年(1931年)に会員の大量脱退事件が起き、新樹社は実質解散に追い込まれる。
天格 23 | 大吉 |
成功 名誉 想像力 | |
プライド高いようです。相互団結力が固く男性に傑物出ます。 | |
天格とは、姓の漢字の画数の総計です。祖先運を表しています。天格だけで吉凶は判断しません。 | |
人格 19 | 凶 |
苦労 挫折 障害 | |
神経が細かく、直感が鋭い偏屈強情な直情型です。頭はよいが金運は弱いようです。配偶者、実子に縁が薄く、病難が周囲にいて面倒を看ます。 | |
人格とは、姓の最後と名前の最初の画数合計です。名前の中心にあたる部分で、家庭・仕事・結婚運、二十代くらいまでの運勢を表し、主運とも言われます。 | |
地格 22 | 凶 |
努力不足 衰退 無力 | |
美男美女が多く、音楽や芸術の能力を発揮します。料理、ファッションの工夫も一流です。子供にはスパルタ教育をします。 | |
地格とは、名前の画数の総計です。性格・才能・金運・適職、幼年期から中年期までの運勢を表します。 | |
外格 26 | 凶 |
波乱万丈 衝突 不安定 | |
人からは、批判精神が強く社交下手、人見知りをする、おしゃれ、打ち解けず親友が少ない、謀略家で機知にたける人というように見られています。 | |
外格とは、総格から人格を引いた数です。家族・職場などの外因的要素、対人関係・社会的環境の運勢を表します。一字姓、一字名の場合、天の恵みとして霊数1を加えます。 | |
総格 45 | 吉 |
不言実行 達成 克服 | |
周囲の人に尽くす。奉仕運。内助の功優れ、世話役、秘書役に徹し我欲を慎むとチャンス訪来し出世運、名誉運、強し、などの特徴があります。 | |
総格とは、姓・名前の画数合計です。人生全体に影響を及ぼし、主に中年期以降を表します。 |