歌手 俳優
上條恒彦(かみじょうつねひこ、1940年3月7日 - )は俳優、歌手。長野県東筑摩郡朝日村 (長野県) 朝日村出身。三歳の時に父親をガンでなくす。
朝日中学を経て、1958年長野県松本県ヶ丘高等学校卒業後、同年4月上京。大森の荒物問屋の住み込み店員を手始めに、新聞店の配達員、サンドイッチマン、コンクリート工場の工員、ダンプカーの運転手、旅館の下働き、うたごえ喫茶の歌手など、約15種類の職業を経験する。1964年3月、初めて労音の仕事をし、世に出るキッカケができる。1968年結婚。翌年、長男の恒、次の年に次男の契が生まれる。1969年NHKのステージ101の初期メンバーとしてレギュラーになる。1971年グループ「六文銭」と共演した曲「出発の歌(たびだちのうた)」で、三重県合歓の郷の「ポピュラーソング・フェステバル”71」でグランプリ受賞。次いで、11月、第2回世界歌謡祭でグランプリを獲得。翌年1972年には紅白歌合戦で、ヤング101と共に、晴れやかで若々しい初出場を飾った。また、フジテレビジョン フジテレビ系列の時代劇「木枯し紋次郎」の主題歌「だれかが風の中で」を歌い、ヒットさせる。9月には「日本歌謡祭」で「橋」が入賞。1973年には、2月、沖縄海洋博の歌「珊瑚礁に何を見た」を吹き込む。「さよならの世界」で第4回世界歌謡歌唱グランプリを受賞。
天格 14 | 凶 |
孤立 不遇 トラブル | |
資産家、商売人として成功し金持ちが多いようです。 | |
天格とは、姓の漢字の画数の総計です。祖先運を表しています。天格だけで吉凶は判断しません。 | |
人格 20 | 凶 |
社交下手 薄幸 別離 | |
自己主張せず凝り性です。一芸に秀でています。孤立、病弱、金銭の苦労がつきまといます。 | |
人格とは、姓の最後と名前の最初の画数合計です。名前の中心にあたる部分で、家庭・仕事・結婚運、二十代くらいまでの運勢を表し、主運とも言われます。 | |
地格 18 | 吉 |
信頼性 忍耐 成功 | |
人一倍勤勉の努力家です。親の信頼は絶大です。頭も良く、周囲の期待を裏切りません。女性は内助の功、内向性、病難が有ります。 | |
地格とは、名前の画数の総計です。性格・才能・金運・適職、幼年期から中年期までの運勢を表します。 | |
外格 12 | 凶 |
意志薄弱 失敗 病弱 | |
人からは、気が強い、喜怒哀楽を表に出す、人見知りが激しい、外面がよく内面が悪い人というように見られています。 | |
外格とは、総格から人格を引いた数です。家族・職場などの外因的要素、対人関係・社会的環境の運勢を表します。一字姓、一字名の場合、天の恵みとして霊数1を加えます。 | |
総格 32 | 大吉 |
柔軟性 金運 成功 | |
わがままのようで責任感強く、行動が粘り強さでピンチ脱出、生意気で強引、先見性決断力あり、などの特徴があります。 | |
総格とは、姓・名前の画数合計です。人生全体に影響を及ぼし、主に中年期以降を表します。 |