【茶器/茶道具 なつめ(お薄器)】 竹 平棗 つぼつぼ紋 鵬雲斎好写し 13代 黒田正玄作
サイズ約直径8.6×高6.2cm 作者13代 黒田正玄作 素材竹製 箱木箱 (礼輪酒・11350) 【コンビニ受取対応商品】黒田正玄は千家の正統的な茶道具を制作する千家十職の一家(竹細工・柄杓師)です。 明治維新に至るまで将軍家御用柄杓師を務めました。 【初代 黒田正玄】 1578年天正06年~1653年承応02年 越前国黒田郡の出身で、名を七郎左衛門(後に正玄)、俗称を日参正玄といいます。 当地の丹羽長重に仕えますが、のち剃髪して「正玄」と改名し、近江国大津で竹細工を業としました。 天下一と称されていた一阿弥に師事したとされています。 後に上京して小堀遠州に茶の湯を学び、その推挙で将軍家御用柄杓師を務めました。 茶の習得に遠州に日参した為、「日参正玄」と呼ばれた。さらに、大徳寺156世江月宗玩に参禅した事でも知られています。 【2代 黒田正玄】 1626寛永03年~1687年貞享04年 初代 正玄の三男として生れ、名を宗正(後に正玄)といいます。 小堀遠州の推挙で3代将軍・徳川家光の御用柄杓師を務めました。 【3代 黒田正玄】1656年明暦02年~1717年享保02年 2代 正玄の長男として生れ、名を弥助(後に正玄)、号を正斎といいます。 5代 将軍・徳川綱吉の御用柄杓師 表千家 6代 覚々斎宗左、久田家3代徳誉斎宗全の御用を務めました。 1704年宝暦元年 長男・弥吉に家督を譲って隠居し、「正斎」と号す。 【4代 黒田正玄】千家職家となる 1692年元禄05年~1731享保16年 3代 正玄の長男として生れ、名を弥吉(後に正玄)といいます。 5代 徳川綱吉の御用柄杓師、表千家6代覚々斎宗左の御用を務めました。この代より千家職家となりました。 【5代 黒田正玄】1708(宝永5)年~1778(安永7)年 4代 正玄の養子で、名を才次郎(後に正玄)といいます。 8代 徳川綱吉の御用柄杓師、表千家7代如心斎宗左、裏千家8代一燈宗室、武者小路千家7代直斎宗守の御用を務めました。 【6代 黒田正玄】 1747年延享04年~1814年文化11年 5代 黒田正玄の次男として生まれ、幼名を正次郎、名を弥吉(後に正玄)、号を弄竹斎・玄同といいます。 10代 徳川家治の御用柄杓師、表千家8代そったく斎宗左、裏千家 9代 石翁宗室、武者小路千家 8代 休翁宗守の御用を務めました。 上京町年寄を務めました。 【7代 黒田正玄】 1768年明和5年~1819年文政02年 6代 黒田正玄の養子で、幼名を弥三郎、名を弥吉(後に正玄)といいます。 11代 徳川家斉の御用柄杓師、表千家 9代 了々斎宗左、裏千家10代認徳斎宗室、武者小路千家 9代 好々斎宗守の御用を務めました。 上京町年寄を務めました。 【8代 黒田正玄】 1809年文化06年~1869年明治02年 7代 黒田正玄の長男として生まれ、幼名を熊吉、名を弥吉(後に正玄)といいます 12代 徳川家慶の御用柄杓師を務めましたが、明治維新によって将軍家の庇護を失いました。 【9代 黒田正玄】 1837年天保08年~1859年安政06年 8代 黒田正玄の養子で、幼名を弥一郎、名を弥吉といいます。早世しました。 【10代 黒田正玄】1825(文政8)年~1900(明治33)年 8代 黒田正玄の婿養子で、名を利助(後に正玄)といいます。 9代 黒田正玄が早世した為、師・8代 黒田正玄の養子となって10代を継承しました。 1881年明治14年、長男・熊吉に家督を譲って隠居しました。 【11代 黒田正玄】 1869年明治02年~1911年明治44年 10代 正玄の長男として生まれ、名を熊吉(後に正玄)といいます。 表千家 11代 碌々斎宗左、裏千家 12代 又みょう斎宗室、武者小路千家 11代 一叟宗守の御用を務めました。 1881年明治14年 11代 黒田正玄を襲名しました。 【12代 黒田正玄】 1906年明治39年~1988年昭和63年 11代 正玄の長男として生まれ、名を久万吉(後に正玄)といいます。 父が逝去した時に未だ幼少であった為、黒田常次郎が後見となりました。 1926年大正15年 家督相続する。 1943年昭和18年 政府認定技術保存資格者 1976年昭和51年4月28日 紺綬褒章受賞。94歳で死去 【13代 黒田正玄 (本名 正春)】 1936年昭和11年生~ 早稲田大学文学部卒 1966年昭和41年 13代を襲名
244,750円