俳諧師
斎藤 徳元(さいとうとくげん、永禄2年(1559年) - 正保4年(1647年))は、安土桃山時代・江戸時代初期の美濃国出身の武将・俳人。名を利起。また龍幸とも。通称は新五郎及び斎宮、号に帆亭。斎藤長龍の子で、斎藤道三は祖父に当たる。
俳諧を松永貞徳に、連歌を里村昌琢に学ぶ。織田信長に仕えて二千石を領した。本能寺の変以後は織田秀信(三法師)に仕えた。また豊臣秀吉の馬廻として文禄元年(1592年)の朝鮮出兵 朝鮮派兵に際し肥前国名護屋城に在陣した。その後関ヶ原の合戦によって秀信が改易されたために浪人となった後は一時若狭(福井県)に身を寄せ、次いで江戸を居とする。連歌俳諧に優れ、江戸の地に於いて和歌の教授者となり、『俳諧初学抄』『伊豆走湯俳諧』『独吟千句』等を著わした。『俳諧初学抄』は江戸で出版された最初の俳書である。諸説あるが祖母は明智光秀の伯母と伝える。一族に春日局がおり、彼女から酒を送られたことが自撰集『塵塚俳諧集』に見える。正保4年(1647年)、89才で没す。
天格 29 | 半吉 |
厳格 才能 完全主義 | |
順調な繁栄をしています。一族の団結は強く、女性中心に繁栄してきました。 | |
天格とは、姓の漢字の画数の総計です。祖先運を表しています。天格だけで吉凶は判断しません。 | |
人格 32 | 大吉 |
柔軟性 金運 成功 | |
理想が大きくプライドが高く野心家です。コツコツ努力し夢を実現し、大成功大発展をとげます。 | |
人格とは、姓の最後と名前の最初の画数合計です。名前の中心にあたる部分で、家庭・仕事・結婚運、二十代くらいまでの運勢を表し、主運とも言われます。 | |
地格 18 | 吉 |
信頼性 忍耐 成功 | |
人一倍勤勉の努力家です。親の信頼は絶大です。頭も良く、周囲の期待を裏切りません。女性は内助の功、内向性、病難が有ります。 | |
地格とは、名前の画数の総計です。性格・才能・金運・適職、幼年期から中年期までの運勢を表します。 | |
外格 15 | 吉 |
人徳 出世 順調 | |
人からは、社交上手、人の気をそらさぬ話術を持ち、人とまじめに付き合う、一度裏切られると自ら身を引く人というように見られています。 | |
外格とは、総格から人格を引いた数です。家族・職場などの外因的要素、対人関係・社会的環境の運勢を表します。一字姓、一字名の場合、天の恵みとして霊数1を加えます。 | |
総格 47 | 吉 |
結実 円満 発展 | |
先見性ありピンチに動ぜず。マイペース守る。頼まれるといやと言えず。お人好し。世話好き、などの特徴があります。 | |
総格とは、姓・名前の画数合計です。人生全体に影響を及ぼし、主に中年期以降を表します。 |