小児科医
毛利子来(もうりたねき、1929年- )は、日本の小児科医。千葉県生まれ。父は内科医、名前は、詩経の中の「霊台」の箇所に出てくる成語から取られたもの。帝が民の楽しみのために霊台の建設を企てて、呼びかけたところ、女子どもまでもがやってきた、というくだりから取られたもので、「子どももやって来る」の意。ふつう、「子来」を「たねき」と読んでもらえないので、自ら「たぬき先生」と称している。
父親は、第二次世界大戦の終了3日前に戦場で拳銃自決。戦時中、岡山県の母方の祖父母に預けられるが、祖父は空襲で亡くなり、祖母も重症の火傷。苦労して、旧制の岡山医科大学を卒業。医師になってからは、大阪の社会的に底辺にある人たちの診療所などで勤務。そうした診療所の看護師をしていた女性と結婚。その後東京に移り、原宿で小児科医院を開業。幼児・子どもの見方、援助の仕方などについての世間の考え方を正し、そのための啓蒙に力を注ぐ。どうようの活動に殉じたヤヌシュ・コルチャックを尊敬している。NHK・BS「わが心の旅」という番組で、1996年コルチャック先生の足跡を追って、ポーランド、ワルシャワを訪れた彼の旅の記録が放送された。雑誌「小さい・おおきい・よわい・つよい」(ジャパンマシニスト社)の編集者代表、「ワクチントーク・全国」代表も勤める。友人で、同様の活動を展開している人に、山田真がいる。子ども・障害児に関する著書多数。
天格 11 | 吉 |
幸運 富 地位 | |
女系家族で、男性は絶える傾向にあり、養子を迎えて家名存続してきました。 | |
天格とは、姓の漢字の画数の総計です。祖先運を表しています。天格だけで吉凶は判断しません。 | |
人格 10 | 凶 |
多難 大凶 | |
むら気で凝り性です。配偶者や実子、親との縁薄い傾向です。 | |
人格とは、姓の最後と名前の最初の画数合計です。名前の中心にあたる部分で、家庭・仕事・結婚運、二十代くらいまでの運勢を表し、主運とも言われます。 | |
地格 10 | 凶 |
多難 大凶 | |
趣味や特技への傾倒度大きいです。収集癖があります。親との縁薄く、金銭の苦労が絶えません。 | |
地格とは、名前の画数の総計です。性格・才能・金運・適職、幼年期から中年期までの運勢を表します。 | |
外格 11 | 吉 |
幸運 富 地位 | |
人からは、いつもニコニコ、社交上手、話術が巧み、友人、親を大切にする、見栄っぱり、金づかい荒い人というように見られています。 | |
外格とは、総格から人格を引いた数です。家族・職場などの外因的要素、対人関係・社会的環境の運勢を表します。一字姓、一字名の場合、天の恵みとして霊数1を加えます。 | |
総格 21 | 吉 |
独立 統率力 名誉 | |
常に人の先頭を行く。権力欲、征服欲強くグループの長として活躍。体力もあり晩年まで実力者、などの特徴があります。 | |
総格とは、姓・名前の画数合計です。人生全体に影響を及ぼし、主に中年期以降を表します。 |