横手 慎二(よこて しんじ、1950年-)は日本の政治学者。専門は、ロシア政治外交史。
東京大学教養学部卒業。在モスクワ日本大使館専門調査員、佐賀大学助教授を経て、現在、慶應義塾大学法学部教授。
『日露戦争史――20世紀最初の大国間戦争』(中央公論新社[中公新書], 2005年)
『現代ロシア政治入門』(慶應義塾大学出版会, 2005年)
(上野俊彦・加納格・北川誠一・左治木吾郎)『CIS「旧ソ連地域」』(自由国民社, 1995年)
『現代東アジアと日本(5)東アジアのロシア』(慶應義塾大学出版会, 2004年)
(富田広士)『地域研究と現代の国家』(慶應義塾大学出版会, 1998年)
「Г・B・チチェーリンの外交(1918-1930)――ソヴェト外交の国内的構造を求めて」『ロシア史研究』29号(1979年)
横田洋三(よこた ようぞう、1940年-)は、国際法学者。国際基督教大学卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。現在中央大学法科大学院教授。国連大学学長特別顧問。
国際基督教大学教授、東京大学法学部・大学院法学政治学研究科教授を経て2001年より中央大学法科大学院教授。同年より国連大学学長特別顧問も務める。この間、国際復興開発銀行(世界銀行)法律顧問、アデレード大学客員教授、ミシガン大学客員教授、コロンビア大学客員教授を歴任。国際連合 国連人権促進保護小委員会代理委員を務めるなど、人権問題に積極的に取り組んでいる。
『国際社会と法――平和と発展の条件』(放送大学教育振興会、1986年)
北朝鮮による日本人拉致問題(きたちょうせんによるにほんじんらちもんだい)は、1977年から1983年にかけて、多数の日本人が朝鮮民主主義人民共和国の工作員などにより極秘裏に拉致、誘拐、監禁されたとされる問題。
日本政府が認定した拉致被害者は16人(男性8人、女性8人)で、このうち13人(男性6人、女性7人)について北朝鮮政府側も拉致を公式に認めた。
平成17年4月27日、政府認定拉致被害者に兵庫県神戸市、元飲食店員拉致事案が追加された。
北朝鮮の国家成立当初から、北朝鮮は武力行使を辞さぬ形で朝鮮半島を統一することを標榜してきた。この点においては韓国も同じ態度のまま(李承晩の北進統一論)であったが北朝鮮が韓国に侵攻し朝鮮戦争に突入した。だが北朝鮮側の事前の予期に反して国連軍が韓国防衛の為尽力し、中国軍の侵略支援を招き国土の荒廃と、南北分立の固定化という惨憺たる結果に終わった。
横田 濱夫(よこた はまお、1958年 - )は作家、マネー評論家。東京都生まれ。
1981年に中央大学商学部を首席で卒業。卒業後は横浜銀行(通称「港のみえる丘銀行」「ブルーライト銀行」。横田のペンネームの由来でもある)に就職。日本興業銀行などからも内定を取っていたが、横浜銀行に就職した理由は自宅から近いためである。銀行では10数年間融資業務などを担当していた。
在職中に銀行の内幕を暴露した『はみ出し銀行マンの勤番日記』を出し、40万部を超えるベストセラーとなった。後に銀行を退職し、作家活動に専念する。
現在は、株式投資・不動産投資のマネー評論・講演、金融問題に関するコメント等に活動の軸を移しつつある。
横田 順彌(よこた じゅんや, 1945年11月11日 - ) は作家(SF作家)・明治文化史研究家。佐賀県に生まれ、東京目黒に育つ。法政第二高校を経て法政大学法学部に進み、在学中は落語研究会で活躍した。愛称は「ヨコジュン」。
大学卒業後、サラリーマンになったが、1971年、『友よ、明日を……』が『SFマガジン』に掲載されデビュー(1970年に『週刊少年チャンピオン』にショートショートが掲載されたのがデビューとする説もある)。
初期にはナンセンスギャグを主題とした「ハチャハチャSF」で人気を集めた。「ハチャハチャSF」という命名は、星新一によるもので、「ハチャメチャよりも面白く、笑いすぎて息が切れ、ついハチャハチャと発音してしまった」ことからとされる。
横田 喜三郎(よこた きさぶろう、1896年(明治29年)8月6日-1993年(平成5年)2月17日)は、愛知県出身の国際法学者。第3代最高裁判所長官。法学博士。1965年(昭和40年)11月3日、勲一等旭日大綬章受章。かつてはマルクス主義の読書会に参加するなどリベラルな法学者として知られ、軍部に睨まれたこともあった。東京裁判の法的な不備を認めながらも、裁判自体については肯定的評価を与えていた。
1896年(明治29年)愛知県の呉服商兼農業の家庭の三男として生まれる。高等小学校卒業後、家の仕事をしながら独学で勉強し、名古屋中学3年に編入。
第八高等学校卒業
東京大学法学部政治学科入学