森山 大道(もりやま だいどう、1938年10月10日 - )は、日本の写真家。
大阪府池田市生まれ。
日本写真批評家協会新人賞、日本写真家協会年度賞、第44回毎日芸術賞受賞、ドイツ写真家協会賞受賞などを受賞。
日本のみならず、海外でも高く評価されており、アメリカ合衆国 アメリカ、イタリア、イギリス、フランス、オーストリア、ベルギー、ドイツ、中華人民共和国 中国、スペインなどでも個展を開いている。
東京工芸大学客員教授、京都造形芸術大学客員教授、東京ビジュアルアーツ顧問。
過去に、ワークショップ写真学校や東京写真専門学校(現 東京ビジュアルアーツ)の講師など、さまざまな写真教育活動に当たるなど、教育活動にも力を入れている。
森山 周一郎(もりやま しゅういちろう、1934年7月26日 - )は俳優、声優、ナレーター。愛知県犬山市出身。本名は大塚 博夫(おおつか ひろお)。
日本大学芸術学部映画学科中退。劇団東芸第1期研究生。渋い男性役にあたることが多い。洋画の吹き替えではジャン・ギャバンや、テリー・サバラスの声を当てている。
キャプテン (漫画) キャプテン(青葉の監督)
デジモンテイマーズ(神の声、スーツェーモン)
ルパン三世 愛のダ・カーポ~FUJIKO”S Unlucky Days~(バートン)
ルパン三世 トワイライト☆ジェミニの秘密(ドルーネ)
ルパン三世 EPISODE:0 ファーストコンタクト(ガルベス)
くるみ割り人形 (アニメ映画) くるみ割り人形(詩人)
守屋 多々志(もりや ただし、1912年8月10日-2003年12月22日)は岐阜県大垣市出身の日本画家。本名は正(ただし)。
昭和~平成にかけて日本美術院において活躍し、太平洋戦争従軍時やイタリア留学時を除いて、ほぼ毎年出品していた。
守屋の描いた作品は、歴史と古典への深い教養に根ざし、歴史人物を堅牢な絵画空間の中に描出した「歴史画」が中心である。また、その知識と姿勢が評価され、歴史考証が必要な小説挿絵や舞台美術、衣装デザインなどでも活躍した。
イタリア留学以前は、日本古来の大和絵を意識した構成・筆遣いで描いているが、留学後しばらくは、明らかに洋画を意識した重厚なマチエールで描いており、以後も絵の具を厚塗りした作品を多く描いている。昭和40年以降は武者絵を中心に、背景に金泥を使うなど豪壮な作品も見受けられたが、昭和57年頃から黒を多用した暗めの作品が多く、直線で画面を区切ったり、独特の遠近感を持たせたりする作品を多く描いている。
森本 レオ(もりもと レオ、本名:森本 治行、1943年2月13日 - )は、俳優、ナレーター、タレント。愛知県名古屋市出身。愛知県立松蔭高等学校を経て、日本大学芸術学部卒。
芸名の『レオ』は、『俺(オレ)』を逆さにしたことが由来。ラジオのDJ時代に自分を指す第一人称として『俺』を使わせて欲しいとスタッフに頼み込んだが、当時それは放送局の自主規制で許されなかった。芸名を『森本オレ』にするから、自分の芸名として『オレ』を使うのはいいだろうと食い下がったがこれも拒否。仕方なくオレを逆さまにして現在の芸名になった。
浪人時代に中部日本放送 CBCでエキストラのアルバイトをした事で演技に関心を持つが、大学在学中はコピーライターを志望していた。しかしコピーライターという職業が認知されていなかった時代であった事や父親の病気などもあり断念。卒業後は名古屋に帰り、NHK名古屋放送局 NHK名古屋制作のドラマ『中学生日記 高校生時代』(1967年)で俳優デビュー。翌1968年から東海ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』のパーソナリティを務め、人気を博す。1971年に再び東京に移り俳優活動を本格化。1974年、永島慎二の漫画『若者たち』を、大学時代の同窓である市川森一の脚本で『黄色い涙』としてテレビドラマ化。自ら主演し、好評を得る。
森本 亮治(もりもと りょうじ、1982年7月11日 - )は、大阪府出身の俳優である。アミューズ所属。173cm、A型。
2001年、第14回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで審査員特別賞を受賞。
2002年、日本テレビ系ドラマ『ごくせん (テレビドラマ) ごくせん』(堀部亮治役)でデビュー。
2004年、テレビ朝日系特撮テレビドラマ『仮面ライダー剣』(相川始/仮面ライダーカリス役)でブレイクする。
最近では、テレビ朝日系ドラマ『新・科捜研の女』に出演していた(木佐貫直巳役)。その後も「FamiRyoji」といった企画も立ち上げて活躍中。
『仮面ライダー剣』のインタビュー等で見せる素顔は非常にお調子者であり、エレファントアンデッド(成田浬)のモノマネを披露する辺り、バラエティーでも充分通用しそうな一面もあるが、ロケバス内で騒いでいた北条隆博に対して怒鳴る事もあり、大阪人が常にハイテンションを維持しているわけではないという事を地で表している。DVD最終話のインタビューで見せる顔芸は必見。
森本 稀哲(もりもと ひちょり、本名 李稀哲 1981年1月31日 - )は、日本のプロ野球選手(外野手)。
東京都荒川区日暮里出身。北海道日本ハムファイターズ所属。背番号は46番。
身長・体重 1m84cm、81kg
投打 右/右
血液型 B型
出身地 東京都荒川区
球歴・入団経緯 帝京高等学校 帝京高校-日本ハム(1999年~)
ドラフト年度・順位 1998年4位
背番号
53(1999年)
46(2000年~)
帝京高等学校 帝京高校では1998年に主将、遊撃手として第80回全国高等学校野球選手権大会 夏の甲子園に出場。三回戦・島根県立浜田高等学校 浜田高校戦で和田毅(現福岡ソフトバンクホークス)から本塁打を放つも敗退。高校通算34本塁打。同年秋のドラフト会議 ドラフト4位で日本ハムに入団し、外野手に転向した。守備走塁に定評があり、パンチ力もあるが、打撃に波があったため、当初は控えに甘んじていた。2006年には打撃でも結果を出し、1番・左翼手または中堅手としてレギュラー出場している。また、新庄剛志のことを兄貴分のように慕っている。
森本 一房(もりもと かずふさ ? - 1674年5月3日(延宝2年3月28日 (旧暦) 3月28日))は加藤清正家臣、森本儀太夫一久の二男。平戸藩藩士。右近太夫(うこんだゆう)と名乗る。
1632年(寛永9年)にカンボジア(当時は南天竺と呼ばれた)に父母の菩提を弔う為に渡り、インドの祇園精舎と思われていたアンコール・ワットの回廊の柱に落書きを残した。
:「寛永九年正月初而此所来
:”寛永九年正月初めてここに来る”
:生国日本/肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫/一房
:”生国は日本。肥州の住人藤原朝臣森本右近太夫一房”
:御堂心為千里之海上渡
:”御堂を志し数千里の海上を渡り”
:一念/之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為