宮原 秀夫(みやはら ひでお、1943年6月21日 - )は、日本の情報工学者。博士 (工学) 工学博士。第15代大阪大学総長。大阪府立高津高等学校出身。
専門は情報ネットワーク学。インターネットに代表されるコンピュータネットワークのモデル化と性能評価を学問領域として確立。それを基礎理論としたネットワーク設計手法を導入し、コンピュータネットワークの実用化に大きな道を拓いた。近年、爆発的に普及しているインターネットはARPANETから発展してきたものであるが、ARPANETプロジェクトの発足当初に、インターネットにおける回線交換技術に対するパケット交換技術の優位性を理論的に証明した。
宮原 亜友子(みやはら あゆこ、1973年11月5日-)は、京都府出身のフリーアナウンサー。元名古屋テレビ放送(メ~テレ)アナウンサー。1996年に入社、2002年に寿退社。
聖心女子大学卒業。圭三プロダクション所属、現在日テレNEWS24専属ニュースキャスター キャスター。
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フリーアナウンサー みやはらあゆこ
1973年生 みやはらあゆこ
宮出 隆自(みやで りゅうじ、 1977年8月18日 - )は、愛媛県宇和島市出身。東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(外野手)。背番号は43番。
愛媛県立宇和島東高等学校ではエースとして活躍、現在もチームメイトである岩村明憲とバッテリーを組んだ。1995年のドラフト2位でヤクルトに投手として入団。190cmの長身から投げ下ろす速球やフォークボールを武器に、2000年には3勝を挙げる。しかし、膝の故障を機に2002年から外野手に転向。
2003年には一軍の準レギュラーとして70試合に出場し、打率.277、5本塁打を記録。打者としての実力の片鱗を見せた。
翌2004年は低迷するものの、2005年は後半戦から5番打者としてクリーンアップの一端を担う活躍。規定打席には達しないものの、打率.320、8本塁打、46打点の好成績を残した。2006年は右翼のレギュラーを奪取。規定打席にも到達している。
宮塚 利雄(みやつか としお、1947年7月19日 - )は、日本の研究者。秋田県出身。山梨学院大学経営情報学部教授、専攻は朝鮮の歴史 朝鮮近・現代経済史。1970年高崎経済大学卒業、1976年韓国・慶煕大学校大学院経済学科碩士課程(日本の修士課程に相当)修了、1980年檀国大学校大学院経済学科博士課程修了。
近年は朝鮮民主主義人民共和国 北朝鮮情勢の専門家としてテレビに登場することがある。過去に日本テレビ放送網で放送されていた、「ブラックワイドショー」で脚光を浴びた。また、北朝鮮マニアとしても知られ、様々な北朝鮮関連グッズを収集している。北朝鮮関連のイベントにもゲスト出演することがある。
宮地眞理子(みやち まりこ、1978年2月27日 - )は、サラプロジェクト所属の女性タレントである。東京都出身。なお、事務所のプロフィールでは1980年生まれとなっているが、その他での発表や、同級生の証言などから、1978年とする説が有力である。身長165cm、スリーサイズはB82cm,W58cm,H85cm、靴のサイズは24cm。
趣味は映画鑑賞、ボディーボード。特技は新日本舞踊、合気道。また、スキューバダイビングのライセンスを取得している(BASC ノービスI・IIダイバー)。
レースクイーン時代を経た後、舞台、映画、ドラマなどで活躍。特にTBS 「世界・ふしぎ発見!」での、体当たりのリポートは高く評価されている。
宮地 正人(みやち まさと、 1944年 - )は、日本の歴史家。前国立歴史民俗博物館館長。専門は日本近代史。福岡県出身。
1966年 東京大学文学部国史学科卒業。
1968年 文学修士取得
1971年 東京大学大学院人文科学研究科国史学専攻博士課程中途退学
1971年 東京大学文学部国史学科助手
1973年 東京大学史料編纂所入所
1982年 東京大学史料編纂所助教授
1989年 東京大学史料編纂所教授
1995年 東京大学史料編纂所所長
2001年 国立歴史民俗博物館長
『日露戦後政治史の研究』(東京大学出版会、1973)
『幕末維新風雲通信』 (東京大学出版会、1978)
『天皇制の政治史的研究』(校倉書房、1981)
宮武 外骨(みやたけ がいこつ、慶応3年1月18日 (旧暦) 1月18日(1867年2月22日) - 昭和30年(1955年)7月28日)は、ジャーナリスト、新聞史研究家、江戸時代 江戸明治期の世相風俗研究家である。幼名は亀四郎。
現在の香川県綾歌郡綾川町小野に庄屋宮武家の四男として生まれた。反骨精神に富み、自ら新聞、雑誌を刊行して政治や権力批判を行ったためたびたび発禁、差し止め処分を受けた。
当初は比較的穏健だったが、1889年、『頓智協会雑誌』で大日本帝国憲法発布をパロディ化して不敬罪に問われ、禁錮3年の実刑判決を受けた。未決勾留日数の刑期算入も認められず、投獄は3年8ヶ月に及んだ。それからは官僚を宿敵と見なし、活発な権力批判を行うようになった。その後も検挙投獄は数回に及んだ。また、雑誌は数多く創刊したが、比較的短命なものが多く、1号のみの廃刊誌は実に17を数える。
宮台 真司(みやだい しんじ、1959年3月3日 - )は、宮城県仙台市出身の社会学者・評論家・首都大学東京准教授(旧東京都立大学助教授)。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。社会学博士(博士論文『権力の予期理論』)。
父親の転勤に伴い小学校時代の大部分を入間市と京都市で小学6年の秋から大学時代まで三鷹市と大和市で過ごす。中高時代は一貫制進学校の麻布学園に通っていた。
博士論文「権力の予期理論」を通して、社会システム理論家として名を馳せた。中森明夫らとサブカルライターとして活躍していた大学院時代、特に大きな学恩を受けたのは、社会学者の小室直樹、哲学者の廣松渉であり、宮台自身はそれぞれを「極右御師匠」、「極左御師匠」と呼んでいる。