古橋 廣之進(ふるはし ひろのしん, 1928年9月16日 - )は、静岡県浜名郡雄踏町出身の水泳選手。日本大学法学部卒業。戦後の水泳界で次々と世界記録を打ち立てて「フジヤマのトビウオ」の異名を取った。引退後は母校日本大学教授や日本水泳連盟会長、日本オリンピック委員会会長を歴任した。
競泳選手 ふるはし ひろのしん
日本の水泳選手 ふるはし ひろのしん
1928年生 ふるはし ひろのしん
名前=古橋達弥
本名=
愛称=
カタカナ表記=フルハシ タツヤ
アルファベット表記=FURUHASHI Tatsuya
原語名=
原語表記=
誕生日=1980年11月7日
出身地=静岡県浜松市
身長=172cm
体重=68kg
血液型=B型
所属チーム名=セレッソ大阪
ポジション=ミッドフィールダー MF
背番号=9
古舘 伊知郎(ふるたち いちろう、1954年12月7日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ニュースキャスター。古舘プロジェクト所属。元テレビ朝日アナウンサー。
東京都北区_(東京都) 北区出身。血液型AB型。立教高等学校(現立教新座高等学校)、立教大学経済学部卒業。
1977年、テレビ朝日(当時:全国朝日放送)にアナウンサーとして入社。
1980年から『ワールドプロレスリング』の実況アナとして山本小鉄と名コンビを組む。「おーーーーーっと!」「燃える闘魂」「掟破りの逆サソリ」「名勝負数え唄」「人間山脈」などの独特な名調子・比喩表現は「過激実況」と呼ばれ絶大な人気を博し、アントニオ猪木全盛期、新日本プロレスの黄金期を支えてきた。特に、「おーーーーーっと!」の名調子は、プロレスファン以外に対しても古舘をメジャーに押し上げたきっかけとなったと言える。これは古舘独特のフレーズであり、ものまねの対象になるなど、様々なパロディも散見された。なお、フリーになるかならないかの微妙な頃に、フジテレビジョン フジテレビの『オレたちひょうきん族』の1コーナーである「ひょうきんプロレス」に覆面アナウンサー「宮田テル・アビブ」として出演したこともある(「奮い立ち伊知郎」と名乗ったこともある)。
古田 肇(ふるた はじめ、1947年9月13日 - )は、日本の政治家。岐阜県知事。
岐阜県岐阜市出身。
岐阜市立加納中学校、岐阜県立岐阜高等学校、東京大学法学部卒
千鶴子夫人と娘3人。血液型はO型。
高校時代は生徒会長、応援団長を務めたほか、柔道部に所属、3年の時、1965年岐阜国民体育大会 国体で最終聖火#炬火 炬火(きょか)ランナーであった。
1971年に通産省(現:経済産業省)に入省。フランス留学やニューヨーク勤務のほか、中央省庁再編の激動期だった羽田内閣 羽田、村山内閣 村山の両内閣で首相秘書官を経験し、阪神大震災(1995年)では危機管理の重要さを実感した。経産省審議官時代には、愛・地球博 愛・地球博(愛知万博)の責任者として事業計画立案などに奔走し、小泉純一郎 小泉首相に直談判に及んだこともある。
古田 足日(ふるた たるひ、1927年11月29日 - )は児童文学作家・評論家。愛媛県出身。早稲田大学文学部露文科中退。在学中に早大童話会に入会し神宮輝夫、鳥越信、山中恒らと知り合う。童話会機関誌『童苑』を『少年文学』と改題に際するマニフェスト「少年文学の旗の下に!」の起草に参画。これは<少年文学宣言>と呼ばれ当時の児童文学界に大きな議論を巻き起こした。以後、「小さい仲間」同人となり、宣言の内実を深めるために児童文学評論を書き始める。また、実作でも実験的な『ぬすまれた町』(1962年)をはじめ精力的に書き続けている。
創作活動の傍ら、1975年から1981年まで山口女子大学教授を務めたほか1997年から2001年まで日本児童文学者協会の会長も務めた。『宿題ひきうけ株式会社』で日本児童文学者協会賞受賞。そのほかに『海賊島探検株式会社』、『ぬすまれた町』、『ぼくらは機関車太陽号』、『千成びょうたん』、『モグラ原っぱのなかまたち』、『大きい1年生と小さな2年生』、創作絵本『おしいれのぼうけん』(田畑精一と共著)など著書多数。評論には『児童文学の旗』、『児童文学の視点』など。童心社より『全集 古田足日子どもの本』(全13巻)が刊行された。