須藤温子(すどう あつこ、1983年11月1日 - )は、日本の女優。東京都台東区浅草出身でオスカープロモーション所属。愛称はあっちゃん。
1997年:第7回全日本国民的美少女コンテストでグランプリを受賞し芸能界入り。
1999年:歌手デビューするが、シングル2枚をリリースしただけで以降は女優業に専念。
2000年:映画評論家・水野晴郎が監督・主演・制作・原作・脚本・主題歌の作詞の1人6役をこなした『シベリア超特急 シベリア超特急2』にメイファン役で出演し、晴郎マニア及びシベ超マニアから人気を得る。
2002年:大林宣彦監督の『なごり雪』にヒロイン・雪子役で出演。この映画に新人女優として出演するために『シベ超2』に出演した過去は抹消される。
數土 文夫(すど ふみお、1942年(昭和17年)3月3日 - )は、JFEホールディングス第2代社長。富山県出身。
北海道大学工学部冶金工学科を卒業後、川崎製鉄に入社。
冶金技術者で、社外論文を100件近く発表。本社では経営企画管掌の常務、副社長などを歴任する。NKKとの経営統合を決めた江本寛治の後を受け、川崎製鉄の最後の社長に。統合後の鉄鋼事業会社JFEスチールの初代社長となる。2005年4月に馬田一にJFEスチール社長を託し、下垣内洋一の後を受けてグループを統括するJFEホールディングス社長に就任。
1964年 川崎製鉄入社
1994年 川崎製鉄取締役
1997年 川崎製鉄常務
2000年 川崎製鉄副社長
須田 泰大(すだ やすひろ、1990年4月12日 - )は、キャロット所属の子役タレント。1999~2000年まで「天才てれびくんワイド」に出演し、てれび戦士として活躍。身長172cm。事務所の後輩には永島謙二郎。
趣味はテニスとドラムとギター
特技はピアノ
将来の夢は俳優
ニックネームは「スッチン」
東京放送 TBS「ホームドラマ!」
NHK教育「科学大好き土よう塾」
東京放送 TBS「貫太です!」
東京放送 TBS 東芝日曜劇場「ガッコの先生」
NHK教育「天才てれびくんワイド」
フジテレビ「おとこのこ おんなのこ」
石屋製菓「白い恋人」
ファンタ“DJ先生”
バンダイ「ウォーターシューター」
日産「エルグランド」
須田 寛(すだ ひろし、1931年1月28日 - )は、東海旅客鉄道(JR東海)の初代社長である。
京都府出身。父は洋画家の須田国太郎。趣味は切手収集。
京都大学法学部を卒業後、日本国有鉄道(国鉄)に入社。1987年に国鉄が国鉄分割民営化 分割民営化してJR東海が発足したのに伴い、同社の初代社長に就任した。
「産業観光」(industrial tourism:工場や造船所、農業施設など、産業に関する歴史や文化を対象とする観光)の概念を日本に紹介した人物としても知られる。産業観光を普及させるため、『新・産業観光論』(すばる舎、2002年)など多数の著書を出版すると共に、全国産業観光推進協議会副会長、日本商工会議所観光小委員長、名古屋商工会議所文化委員長、観光立国推進戦略会議座長代理など多くの役職に就いた。その他、中部経済連合会特別顧問や日本大正村名誉顧問としても活動。
須田 剋太(すだ こくた、男性、1906年5月1日 -1990年7月14日 )は洋画家。埼玉県生。当初具象画の世界で官展の特選を重ねたが、1949年以降抽象画へと進む。力強い奔放なタッチが特徴。司馬遼太郎の『街道をゆく』の挿絵を担当。道元禅の世界を愛した。
1906年 埼玉県吹上町で、須田代五郎の三男として生まれる。本名 勝三郎。
1927年 埼玉県立熊谷中学校(旧制)卒業。その後浦和市に住み、ゴッホと写楽に傾倒する。 東京美術学校(現東京芸大)を4度受験するもいずれも失敗。独学で絵を学ぶ
1936年 文展で初入選
1939年 文展で「読書する男」が特選
1949年 抽象絵画の旗手長谷川三郎と出会い、国画会に入り抽象画の道へ進む
須田 開代子(すだ かよこ、1938年8月2日 - 1995年11月20日)は、プロボウリング選手。ライセンスナンバー1の女子第1期生。日本国内初の女子プロボウラーとしても知られる。通算タイトル43勝。日本ブランズウィック社所属。ジャパンレディスボウリングクラブ(JLBC)初代代表。
1969年プロ入り。同期の中山律子や並木恵美子と共に、高度成長期を背景にボウリングブームを支えた。
オイルショックによりボウリングブームが一気に下火になる中、1976年須田は女性だけのボウリングクラブ「ジャパンレディスボウリングクラブ」を結成。自ら初代代表に就任した。(本人の意向で会長とは名乗らず、2代目藤原清子より会長となる。現在は中山律子が会長。)
鈴里 真帆(すずり まほ、1974年3月13日 - )は、歌手、シンガーソングライター。宮崎県出身。かつては渡辺プロダクション傘下のマニア・マニアに所属していた。
1994年にシングル「悲しみは明日を知るための涙」でデビューする。当初は九州のテレビ番組「ドォーモ」の常連ゲストだったが、その後ビクトリアコマーシャル CMソング「泣いてなんかない」のヒットで名を知られるようになった。
1996年、つんく作曲の楽曲「もっと静かに」が日本テレビ放送網 日本テレビ系列のドラマ「グッドラック」の挿入歌となり、30万枚を売り上げるヒットとなる。以降、つんくが「HARRY DOLE」として2曲、楽曲提供をする。その中の一曲、「FLOWER」は、テレビの音楽番組でもよく歌われた。
鈴村 興太郎(すずむら こうたろう、1944年1月7日 - )は愛知県生まれの経済学者。専門は社会選択理論・厚生経済学、この分野における日本の代表的存在。2006年日本学士院賞、2004年紫綬褒章。一橋大学経済研究所教授。
1999年日本経済学会会長、2000年President of the Society for Social Choice and Welfare、1990年からFellow of the Econometric Society。第18期日本学術会議会員・経済理論研究連絡委員長。2003年一橋大における21世紀COEプログラム「現代経済システムの規範的評価と社会的選択」拠点リーダー。
Econometric Society極東会議代表、経済史学会理事、法と経済学会理事、文部科学省文化審議会文化功労者選考分科会委員、独立行政法人評価委員会科学技術・学術分科会臨時委員、産学協力総合研究連絡会議委員、日本銀行金融研究所国内顧問等を歴任。
涼 紫央(すずみ しお)は宝塚歌劇団星組 (宝塚歌劇) 星組の若手男役スター。身長169cm。大阪市出身。愛称は「とよこ」。柚希礼音は高校の後輩に当たる。尚、実親はホームセンター「コーナン」社長。
1996年3月、82期生として宝塚歌劇団に入団。同年『CAN-CAN』で初舞台後、星組に配属。
2002年『プラハの春』で新人公演初主演。
2003年 バウ・ワークショップ『恋天狗』バウホール公演初主演。
2005年『それでも船は行く』でバウホール公演主演。
2005年『ベルサイユのばら (宝塚歌劇) ベルサイユのばら』全国ツアーではオスカル役を演じる。
2006年『ベルサイユのばら』本公演ではジェローデル役を演じる。