奥泉光(おくいずみひかる、1956年2月6日 - )は、日本文学の小説家。本名 奥泉康弘(やすひろ)。
山形県東田川郡三川町出身。埼玉県立川越高等学校、国際基督教大学 (ICU) 教養学部人文科学科卒。同大学院修士課程修了。当初は研究者を目指す(博士課程中退)。1986年『地の鳥天の魚群』でデビュー。1993年『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞・瞠目反文学賞、翌年『石の来歴』により芥川龍之介賞 芥川賞。同作は英語、仏語などに翻訳刊行。1999年近畿大学助教授に就任、現在教授。
バンドを組み音楽活動も行う。また都内などで路上パフォーマンスもする。
日本の小説家 おくいすみ ひかる
岸谷 香(きしたにかおり 1967年2月17日 - )は、昭和後期・平成期のシンガーソングライター。かつては奥居 香(おくいかおり。結婚前の本名)名義で活動していた。
広島県広島市の生まれ、東京都育ち。明治大学付属中野中学校・高等学校 明治大学付属中野高等学校中退。
1983年、奥居と今野登茂子、渡辺敦子、中山加奈子、富田京子の5人がオーディションで選ばれ、バンド「赤坂小町」を結成。1986年、バンド名を「PRINCESS PRINCESS(プリンセス・プリンセス)」に改称しメジャーデビュー。これ以降のバンド活動についてはプリンセス・プリンセスの項目を参照。
バンド活動と並行して、1994年8月1日、シングル「奇跡の時」でソロデビュー。
奥 大介(おく だいすけ、1976年2月7日- )は、日本のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー MF(主にトップ下)。横浜F・マリノス所属。兵庫県尼崎市出身。173cm、68kg。妻は女優の佐伯日菜子。2児の父である。
1991年4月、神戸弘陵高校に入学。
1992年1月、全国高等学校サッカー選手権大会 全国高校サッカー選手権大会に出場。
1993年1月、全国高校サッカー選手権大会に2度目の出場。
1994年4月、ジュビロ磐田へ入団。同年、U-19サッカー日本代表 日本代表に選出され、AFCユース選手権 アジアユースに出場。
1995年、U-20日本代表に選出。FIFAワールドユース選手権 ワールドユースに出場。
奥 克彦(おく かつひこ、1958年1月3日 - 2003年11月29日)は日本の外交官。イラク復興支援にむけて尽力中に凶弾に倒れた日本人外交官。殉職後、参事官から大使に2階級特進。位階は従四位旭日中綬章。学歴は早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。学位は学士 政治学士(早稲田大学)。称号は大使。
兵庫県生れ。家族は夫人と子ども3人(1男2女)。
1958年(昭和33)1月3日、兵庫県宝塚市に生まれる。
1973年 宝塚市立宝塚中学校卒業。
1976年 兵庫県立伊丹高等学校卒業。
1981年 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業(在学中に外務省公務員採用上級試験に合格)。
1981年4月 外務省に入省。
在英国日本国大使館外交官補として、オックスフォード大学にて在外研修。ラグビー部に所属し、レギュラーとして活躍。
荻原 浩(おぎわら ひろし、1956年6月30日-)は、日本の小説家。埼玉県生まれ。成城大学経済学部卒。
広告製作会社、コピーライターを経て、1997年『オロロ畑でつかまえて』で第10回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。その後はなかなかヒット作が出ず鳴かず飛ばずの時期が続いたが、アルツハイマー型痴呆 若年性アルツハイマーをテーマに2004年に発表された『明日の記憶』が、翌年(2005年)の第2回本屋大賞の第2位にランクインする。そしてその1か月後の同年5月、第18回山本周五郎賞に輝く。同作品は俳優渡辺謙が「SAYURI」の撮影中ハリウッドの本屋で知りその内容に深く感動、渡辺自ら原作者の荻原に「映画化させてほしい」と手紙で懇願、監督に堤幸彦を迎え、セルフプロデュースで2006年5月に映画化された。なおこれが渡辺自身にとって初主演作品となる。また、2006年12月にはWOWOWで「神様からひと言」が俳優の伊藤淳史主演でドラマ化される予定。
荻原 博子(おぎわら ひろこ、1954年5月27日-)は、経済ジャーナリスト。長野県出身。
明治大学文学部出身。OL経験後、1982年にフリーとなる。
一貫して、「国の保証」・「不動産価値」・「生命保険」に疑問を持ち、手持ち現金を確保すべきという観点からの評論を行っており、著書にもそのようなものが多い。しかし、経済学者からの反論が多い。特にマクロ経済学とミクロ経済学の理論や政策論を度外視して、単なる「財テク」ともいえる消費論と貯蓄論にのみ論点を絞っていることに対してである。具体的で有効性のある政策提案をしていない点を疑問視する向きもある。
ズームイン!!SUPER(日本テレビ放送網 日本テレビ、不定期出演)
荻原 規子(おぎわら のりこ、1959年 - )は、日本の小説家。東京都生まれ。
東京都立立川高等学校 都立立川高校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。1988年に出版された『空色勾玉』でデビュー以来、児童文学作家として活躍している。
『空色勾玉』、『白鳥異伝』、『薄紅天女』は勾玉三部作と呼ばれ、日本神話を下敷きにしたファンタジー作品として大きな話題を呼んだ。
空色勾玉 ---
白鳥異伝
薄紅天女
これは王国のかぎ
西の善き魔女 ---
樹上のゆりかご
風神秘抄
”Dragon Sword and Wind Child” Farrar Straus & Giroux (January 1993) ISBN 0374304661 --- の英訳
”The Good Witch of the West 1” W:TokyoPop TokyoPop (October 30, 2006) ISBN 1598166204 --- の英訳
荻原 次晴(おぎわら つぎはる、1969年12月20日 - 群馬県吾妻郡草津町出身)はスキーノルディックスキー・コンバインド ノルディック複合選手。現スポーツコメンテーター・タレント。草津町立草津中学校、群馬県立長野原高等学校、早稲田大学人間科学部卒業。現役選手時代は北野建設 (長野県) 北野建設に在籍。
草津スポーツ少年団でジャンプ競技をはじめる
非凡な才能を発揮し、全日本中学選手権、全国高校総体(インターハイ)などで活躍
早大進学後、日本のトップ選手に成長。双子の兄である荻原健司(現・参議院議員)とともに、1990年代後半のスキーノルディック複合の主力選手としてリード
荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、1884年6月16日(明治17年) - 1976年5月20日(昭和51年))日本の俳人。本名・幾太郎のち藤吉。
東京府芝神明町(現・東京都港区 (東京都) 港区浜松町)で雑貨商・新田屋を営む荻原藤吉の3番目の子として生まれる。
長男・長女を幼くして失ったため、延命地蔵で占ったところ「今度生まれる子は男の子であるから、幾太郎と名づけよ。必ず長命する。」というお告げがあり幾太郎と名づけられる。荻原家は家督を継ぐものは代々藤吉を名乗ることとなっており井泉水もこれを継いだが、幾太郎の名を好んだようだ。
麻布学園 麻布中学の頃より俳句を作り始める。正則高等学校 正則中学、旧制高等学校 第一高等学校(一高)を経て、明治41年(1908年)東京大学 東京帝国大学文学部言語学科卒業。明治44年(1911年)新傾向俳句機関誌「層雲」を主宰。河東碧梧桐もこれに加わる。この年、桂子と結婚。大正3年(1912年)、自由律俳句として層雲より創刊した初の句集『自然の扉』を刊行。大正4年(1913年)季語無用を主張し、自然のリズムを尊重した無季自由律俳句を提唱した井泉水と意見を異にした碧梧桐が層雲を去る。この頃、一高時代の同窓であり1歳年下の尾崎放哉や、種田山頭火が層雲に加わる。しかし彼らが実際に面会したことはなかった。
荻原 健司(おぎわら けんじ、昭和44年(1969年)12月20日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)。群馬県吾妻郡草津町出身。スキーノルディックスキー・コンバインド ノルディック複合選手。学歴は早稲田大学人間科学部卒業。学位は学士 人間科学士(早稲田大学)。
2002年、ユネスコ・国際フェアプレー賞受賞
双子の弟である荻原次晴と共に、日本のノルディック競技の中心選手として活躍。1992年・アルベールビルオリンピック アルベールビル、1994年・リレハンメルオリンピック リレハンメルの冬季オリンピック2大会連覇、更に世界選手権でも1993年(個人・団体の2冠)、1995年(団体)、1997年(個人)で金メダルを受賞。1998年・長野オリンピックでは日本選手団主将を務めた。通称・キングオブスキー
沖原 佳典(おきはら よしのり、1972年7月27日 - )は、平成期(2000年代-)のプロ野球選手(内野手)。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスに所属している。愛媛県松山市生まれ。背番号は32。 愛称は「オッキー」「オキちゃん」。
愛媛県立西条高等学校 西条高→亜細亜大学 亜大→NTT関東→NTT東日本硬式野球部 NTT東日本を経て、(亜細亜大学時代は入来祐作(元巨人→日本ハム→ニューヨークメッツ→3A)と同僚)2000年のシドニーオリンピックには、後にプロでチームメイトとなる赤星憲広らと共に、日本代表として出場した。グループリーグの韓国戦では先発の鄭珉台(2001年に読売ジャイアンツへ入団)から先頭打者本塁打を打った。それを見た阪神タイガースの野村克也監督はノーマークだったスカウト陣に赤星、藤本と同様に監督の鶴の一声で獲得を決めた。(シドニー五輪では2本のHRを放つ)
荻原裕幸(おぎはら ひろゆき、1962年8月24日 - )は、歌人。ニューウェーブ歌人wを代表的する存在。第30回短歌研究新人賞受賞。塚本邦雄に師事。
電脳歌人と称してインターネットでの活動を始め、イベントの企画・運営や、評論活動など、創作以外の活動も盛んに行っており、現代短歌を担う重要人物である。
1962年8月24日、愛知県名古屋市に生まれる。
1981年、『短歌』誌上の塚本邦雄選「公募短歌館」に投稿・入選。
:翌1982年には『サンデー毎日』誌上の塚本邦雄選「サンデー秀句館」に入選。
1985年、「炎天に献ず」50首が第31回角川短歌賞最終候補に。
1986年、塚本邦雄選歌誌『玲瓏』創刊に参加。
沖原隆宗(おきはらたかむね、1951年7月11日 - )は、三菱東京UFJ銀行副頭取。
旧UFJ銀行時代、取締役付きでないにも関わらず、常務執行役員からいきなり頭取に就任するという異例の昇進をした。沖原が前頭取だった寺西正司の後を受けて2004年5月にUFJ銀行の頭取に就任したときには、すでにUFJ銀行の体力はBIS規格における自己資本比率が国際業務を行うのに必要とされる8%を割れるか割れないかの瀬戸際に追い込まれていた。
沖原は「(2005年3月期の)上期中に大口融資先の対応について布石を打つ。」「十指に満たない融資先の債権の処理を念頭に置いている」「UFJ銀行の問題は一言で言えば大口融資先の問題に尽きる。」などとのべ不良債権の処理を断行を示唆した。