最近の有名人・芸能人 姓名判断 1249

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最近の有名人・芸能人 姓名判断 1249

山本隆造

山本 隆造(やまもと りゅうぞう、1956年3月5日 - )は、プロ野球選手、プロ野球審判員。
現役時代はクラウンライターライオンズ、西武ライオンズでプレー。1982年で引退。その後パシフィック・リーグの審判員となる。34歳にして1990年の日本シリーズに出場(しかも第2戦で球審は、まさに異例の抜擢である)するなど、着実にキャリアを積み重ねており、近年における名審判の一人に数えられよう。現在はパ・リーグ審判部主任である。
パ・リーグ審判袖番号は16(1983年初採用から。16は道仏元審判部長がつけていた袖番号である。(1977年初採用から1981年退職まで))
判定などで中断した際に、状況と結果を全部説明するため、球場内の観客に説明するのが上手である事で有名。

山本理顕

山本 理顕(やまもと りけん(本名は“みちあき”)、1945年-)は日本の建築家。工学院大学教授。中国・北京生まれ。日本大学理工学部建築学科卒業、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。東京大学原広司研究室出身。山本理顕設計工場主宰。日本建築学会賞はじめ多数受賞作品を持つ。
岩出山中学校
埼玉県立大学 (GA JAPAN39)
公立はこだて未来大学
東雲キャナルコートCODAN
日本の建築家 やまもとりけん

山本芳彦

山本 芳彦(やまもと よしひこ、1983年11月6日 - )は、和歌山県和歌山市出身の広島東洋カープ所属の野球選手 プロ野球選手(内野手)。
和歌山工高では投手として活躍し、2001年ドラフト会議 ドラフト7巡目で広島東洋カープに入団。高校3年時には、夏の甲子園和歌山予選で前年度の夏の甲子園で優勝した智辯和歌山高校と1回戦で激突。投打に活躍を見せ、前年度の高校王者をまさかの1回戦敗退に追い込む。ちなみに当時の智辯和歌山の主将は現東京ヤクルトスワローズの内野手である武内晋一選手。打撃を見込まれて野手に転向し、将来の二遊間候補として期待される。ファームの試合では投手が足りなくなったときにマウンドに上がったこともある。

山本吉宣

山本吉宣 (やまもと よしのぶ, 1943年-)は、日本の政治学者で、青山学院大学国際政治経済学部教授。専門は、国際政治学。
東京大学教養学部卒。東京大学大学院社会学研究科、ミシガン大学大学院で学び、博士号取得。埼玉大学教養学部専任講師、助教授、教授、東京大学大学院総合文化研究科教授を経て、現職。
『国際的相互依存』(東京大学出版会, 1989年)
(衞藤瀋吉)『総合安保と未来の選択』(講談社, 1991年)
『講座国際政治(1)国際政治の理論』(東京大学出版会, 1989年)
”Globalism, Regionalism and Nationalism: Asia in Search of its Role in the Twenty-first Century”, (Blackwell, 1999).
『変貌するアメリカ太平洋世界(3)アジア太平洋の安全保障とアメリカ』(彩流社, 2005年)

山本義隆

山本 義隆(やまもと よしたか、1941年 - )は、日本の科学史家、自然哲学者、教育者、駿台予備学校物理科講師。元 東大闘争全学共闘会議代表。大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。東京大学理学部物理学科卒業(1964年)。 同 大学院博士課程中退。 阪神タイガース 阪神ファン。
1960年代は学生運動の時代である。 東大などでは、新左翼無党派の全学共闘会議(全共闘)が激しく活動を行っていた。 その最後が有名な1969年1月の東大安田講堂事件 安田講堂攻防戦である。 結局、大学側の要請による 8000 人を超える機動隊により安田講堂は陥落した。 この時期、東大全共闘の代表者の役割を果たしていたのが、東大全共闘議長・山本義隆であった。 山本は安田講堂陥落後警察の指名手配を受けるが、同年9月の全国全共闘連合結成大会の場に登場し警察当局に逮捕された。山本義隆の名は、日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘世代には強く記憶されている。

山本耀司

山本 耀司(やまもと ようじ、1943年10月3日 - )は、東京都生まれのファッションデザイナー。また、ヨウジヤマモト (Yohji Yamamoto) は彼が展開するプレタポルテ(高級既製服)ブランド。
制作のスタイルは「アンチモードによってモードを制する」。パリ・コレクション パリコレなどモードの最前線で、モードを否定する服を発表する。基本的には20年来にわたり大きく変化することはなく、世間の流行とは離れたデザインをすることが多い。例えば、オーバーサイズなシルエットで独特なラインを作ったり、ねじれを取り入れたり、体型との差異や運動によって自然に変化するドレープ(ルーズなヒダやヨレ)をギャバジンのような光沢のある生地で躍動的に見せるのが定番となっている。単色(特に黒)やモノトーンがよく使われるが、ときおり強烈な色使いを使用したものも存在する。

山本陽子

山本陽子(やまもと ようこ、1942年3月17日 -)は、昭和中期から平成期(1960年代前半~)の女優。
東京都中野区出身。國學院高等学校卒業後、野村證券に勤務していたが、1963年、知人が日活ニューフェイスに応募書類を送ったところ合格し、第7期日活ニューフェイスとして芸能界入り。映画では同じ日活の吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子の人気に押され、もう一つ作品に恵まれなかったが、テレビドラマに進出してからは、その日本的で清楚な美貌で人気を集め、「七人の孫」、「白い影」、「白い滑走路」、「となりの芝生」など話題作に立て続けに主演。清楚な役から悪女まで幅広い役柄をこなす高視聴率女優として揺るぎない地位を確立。1980年、「花埋み」で舞台初主演。以来、舞台女優としても精力的に活躍しており、1994年、舞台「おはん」の演技で第19回菊田一夫演劇賞を受賞した。

山本幸久

山本 幸久(やまもと ゆきひさ、1966年5月31日 - )は、東京都八王子市出身の日本の小説家である。
中央大学文学部史学科卒業後、内装会社勤務を経て漫画雑誌編集プロダクション勤務。
現在は、世田谷区に居を構える。
「アカコとヒトミと」(後に笑う招き猫に改称)で、第16回小説すばる新人賞受賞し作家デビューした。
作品はおしなみ高く評価されており、直木賞にも近いといわれている。
笑う招き猫 ISBN 408774681X
日本の小説家 やまもとゆきひさ

山本有三

山本 有三(やまもと ゆうぞう、男性、1887年7月27日 - 1974年1月11日)は、劇作家・小説家である。本名は山本勇造。呉服商の子として、現在の栃木市に生まれる。
正則学園高等学校 正則英語学校、東京高等学校 (私立) 東京中学に通い、1908年(明治41年)東京都立日比谷高等学校 東京府立一中を卒業。第一高等学校 (旧制) 一高を経て、東京帝国大学卒業後、1920年、戯曲『生命の冠』でデビュー。真実を求めてたくましく生きる人々の姿をえがいた。菊池寛、芥川龍之介らと文芸家協会を結成し、内務省の検閲を批判した。戦後は国語国字問題に取り組み、「ふりがな廃止論」を展開したことで知られる。1947年から1953年まで、参議院議員をつとめた。1965年、文化勲章受賞。

山本有二

山本 有二(やまもと ゆうじ、1952年5月11日 - )は昭和・平成期の政治家。自由民主党、所属の衆議院議員(現在6期)。高知県高知市出身。
1977年に早稲田大学法学部卒業後、1980年、司法試験合格。1985年高知県議会議員に初当選、1990年衆議院議員選挙に当選、党内では番町政策研究所 新政策研究会(会長は河本敏夫。後に名称変更し番町政策研究所)に所属した。現在は高村派所属。
ちなみに、94年6月29日総理大臣指名選挙では野党・自民党は、新党さきがけとともに日本社会党委員長村山富市を支持したが、山本は赤城徳彦や野田聖子とともに党議に反し、新生党代表幹事小沢一郎に担がれた派閥の大先輩で元総理の海部俊樹を支持した。海部は翌日離党し、自由改革連合代表を経て新進党初代党首となったものの、山本は結局赤城や野田とともに自民党に残留している。03年の自由民主党総裁選挙では、山本は野田や赤城とともに、番町研会長高村正彦の推薦人となった。

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