山田 純大(やまだ じゅんだい、1973年2月14日 - )は俳優。東京都出身。父は俳優・歌手の杉良太郎。本名は純大(すみひろ)。
成城学園初等学校卒。ハワイの中学・高校卒。
ハワイ大学から転校し、米ペパーダイン大学国際関係学部アジア学科卒業後の1997年、日本放送協会 NHKNHK朝の連続テレビ小説 連続テレビ小説「あぐり」で俳優デビュー。その後も、東京放送 TBS人気時代劇「水戸黄門 (テレビドラマ) 水戸黄門」(渥美格之進役)、映画「ムルデカ17805」(主演)など、映画・テレビで活躍している。
「あぐり」、「貫太ですッ!」の脚本を勤めた清水有生とは親交が深い。
CUTE(1997年)
花のお江戸の釣りバカ日誌(1998年)
山田沙知子(やまださちこ、1982年10月15日 - )は競泳自由形選手。大阪府生まれ。身長176センチ、体重64キロ。須磨学園高校→関西大学文学部。
2歳の頃から水泳を始め、小学生の頃からその活躍ぶりは注目を集めた。体格に恵まれ、高校生の頃には「将来のメダル候補」と目されており、高校3年で2000年のシドニー五輪に出場、800メートル自由形で日本選手初の決勝進出を果たし8位に入賞した。
2001年世界選手権福岡大会ではメダルが期待されたが、成績は振るわず、精神面の弱さが指摘され始めた。
2003年世界選手権バルセロナ大会でも400メートルと800メートルと1500メートルのいずれも予選敗退。五輪と世界選手権の最終選考会となる日本選手権では五輪や世界選手権で金メダル獲得に匹敵する記録を出すものの、五輪や世界選手権では精神面の弱さを露呈して自己ベストを大きく下回る記録で予選敗退してしまうケースが多い。2004年のアテネオリンピック (2004年) アテネ五輪では400メートルで今季世界2位の記録(4分7秒62)、800メートルで今季世界1位の記録(8分23秒68)を出して臨んだが、おしくも精神面の弱さを露呈して400メートルは4分10秒91で6位、800メートルでも8分36秒48で予選敗退に終わってしまい、柴田亜衣が800メートルで金メダルを獲得したこともあり、柴田の引き立て役になってしまった。
山田 五郎(やまだ ごろう、本名: 武田 正彦(たけだ まさひこ)、1958年12月5日 - )は、東京都出身の評論家・元雑誌編集者。上智大学卒業後、講談社に入社。編集の仕事に携わったが、2004年6月同社を退社した。その和製タンタンの冒険旅行 タンタンとでも呼ぶべきヘアースタイルは、常に斬新である。ペンネームは「ホットドッグ・プレス」編集部に落ちていたモンブラン (万年筆メーカー) モンブランのシャープペンシル(pix75)に記してあった持ち主「山田」の名前をペンとともに拝借。「五郎」は適当に決めたもの。趣味は鉱物収集、時計など。血液型B型。
大阪府豊中市立第一中学校卒業
山田わたる(やまだ わたる、本名:山田亘、1958年2月2日 -)は、日本の音楽家 ミュージシャン、ドラマー。
東京都生まれ。高校の時入部した軽音楽部で体が大きいことを理由にドラムを勧められ、ドラマーの道へ。
北里大学在学中にスタジオ・ミュージシャンとして、白井貴子&クレイジーボーイズ、TM NETWORK、稲垣潤一 などのツアーやレコーディングに参加。
1985年、北島健二、西村麻聡とFENCE OF DEFENSEを結成。
またTRFのDJ KOOこと高瀬浩一とのユニット”WILL”でも活動中。
FENCE OF DEFENSE
WILL (バンド) WILL
1958年生 やまた わたる
日本のドラマー やまた わたる
山田 吾一(やまだ ごいち、1933年2月20日~ )は、昭和、平成期の日本の俳優。アクターズプロモーション所属。
北海道瀬棚郡瀬棚町出身。実家は旅館を営む。北海道深川西高等学校時代に演劇部で活動する。1951年同高校を卒業し会社員となるも、演劇の道を捨てきれず、1952年上京し、舞台芸術学院本科に入る。同学院卒業後、劇団四季、劇団中芸に所属する。
1958年日本放送協会 NHKのテレビドラマ「事件記者」でガンさんこと岩見記者役で出演し、猪突猛進型の正義感溢れる記者役を演じ、お茶の間の人気者となった。後に日活制作の映画版「事件記者シリーズ」、東宝制作の「新事件記者シリーズ」にも岩見記者役で出演している。
山田 啓二(やまだ けいじ、1954年4月5日 - )は兵庫県洲本市出身、のち兵庫県伊丹市、東京都杉並区と移住。現在は京都府知事。
1973年3月 桐朋高校(東京都国立市)卒業
1977年3月 東京大学法学部卒業
:4月自治省(現・総務省)入省
1983年7月 和歌山県総務部地方課長
1989年4月 高知県総務部財政課長
1991年8月 自治省行政局行政課長補佐
1992年7月 内閣法制局参事官
1997年7月 国土庁土地局土地情報課長
1999年8月 京都府総務部長
2001年6月 京都府副知事
2002年4月 京都府知事選挙で初当選
2006年4月 京都府知事選挙で2度めの当選(任期は2010年4月まで)
舞鶴港振興会会長
(社)日本住宅協会理事
山田 久美(やまだ くみ、1967年1月6日 - )は、将棋の女流棋士 (将棋) 女流棋士。群馬県太田市出身。西村一義九段門下。女流棋士番号18。
1982年女流2級
1983年女流初段(女流名人戦A級リーグ入りに伴い、1級を飛び越えて昇段)
1990年女流二段(女流王将戦挑戦者になったので)
2000年女流三段
将棋の女流棋士 やまだ くみ
1967年生 やまだ くみ
山田 邦子(やまだ くにこ、本名:後藤 邦子(ごとう くにこ、旧姓:山田)、1960年6月13日 - )は、日本の女性タレント、女優。東京都板橋区出身。太田プロダクション所属。愛称は「邦ちゃん」。
建設会社の社員で後に常務も務めた父を持つ。お嬢様学校と言われている川村学園中学校・高等学校卒業。
1979年 川村学園女子大学 川村学園女子短期大学に入学。落語家を目指して早稲田大学の寄席演芸研究会へ入部(このサークルで落語家に向いていないと悟り、漫談家への転向を決意したと後に語っている)。
『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビジョン フジテレビ)火曜日のツービートが担当した人気コーナー「ブスコンテスト」に応募し、オーディションで目を付けられ、素人勝ち抜きコーナー「お笑い君こそスターだ!」の方に出場。ここでバスガイドのネタを披露しチャンピオンになった。いわゆる漫才ブームに付随する形で巻き起こったお笑いブームの潮流に乗り、若手有望株として大きな注目を集める。
山田 喜代春(やまだ きよはる、1948年 - )は、詩人、版画家。京都府生まれ。元KBS京都放送番組審議委員。立命館大学文学部日本文学科中退。1971年からヨーロッパを放浪し、1980年より詩作入りの版画を製作しはじめる。国際的な評価も高く、フィンランドやメキシコでも作品を出展している。
「ぼくはコペルニクスだ」(亀山社中)
「けんけん」(アスカ)
「すきすきずきずき」(東方出版)
「ぼくは大学一年生」(東方出版)
日本の詩人 やまたきよはる
日本の版画家 やまたきよはる
山田 規三生(やまだ きみお、昭和47年(1972年)9月9日 - )は、囲碁の棋士 (囲碁) 棋士。大阪市出身、日本棋院#関西総本部 日本棋院関西総本部所属、九段、山下順源七段門下。王座 (囲碁) 王座1期、三星火災杯・世界オープン戦 三星火災杯準優勝など。低段時代は剛腕で「ブンブン丸」と呼ばれた。山田至宝六段、和貴雄七段の末弟。
1989年 入段。17歳二段時に「日本棋院#囲碁クラブ 囲碁クラブ」誌のアマチュア強豪と若手プロ対抗の勝ち抜き戦に出場し、力で圧倒する碁形で連勝して「ブンブン丸」と名付けられた。
1997年 新人王戦 新人王。1997年に王座戦で柳時熏王座を3-1で破り初タイトル獲得、関西総本部所属棋士では初の大タイトルともなった。
山田 勝彦(やまだ かつひこ、1969年7月2日 - )は、昭和末期から平成期(1980年代後半-2000年代前半)のプロ野球選手。現東北楽天ゴールデンイーグルス一軍バッテリーコーチ。
愛知県の東邦高等学校 東邦高校から、1987年のドラフト会議 ドラフト3位で阪神タイガースに入団。高卒ながら徐々に捕手としての実力をつけていき、5年目の1992年には、114試合に出場。正捕手として投手陣をリードした。この年の阪神のチーム防御率は2.90であり、2位躍進の最大の要因となった。このまま正捕手の座を手中にするかと思われたが、関川浩一や矢野輝弘などの存在に加え、自身も伸び悩み、非力な打撃も災いしてこの年以外に100試合以上出場したシーズンはなかった。
いつもここからは、日本人のお笑いタレント お笑いコンビである。略称「いつここ」。ワタナベエンターテインメント所属。
高等学校 高校卒業後にバンド (音楽) バンド活動をしていた山田一成と菊地秀規の2人が、突如お笑いに目覚めて結成。地道に努力を重ね、「がぶ飲みミルクコーヒー」のCMに起用され知名度が上がる。「悲しいとき」で一世を風靡。従来の笑いの文脈からも、コメディーの文法からも著しく逸脱していることで話題となり、ネタ本「悲しいとき」が出版されるまでになる。
これらのスケッチブックギャグの流れのシュールさ・絵の上手さが受けたのか、テレビ番組『ピタゴラスイッチ』にもレギュラー出演。同番組でリリースした「アルゴリズムたいそう&こうしん」のコンパクトディスク CDは人気を呼び、子供からお年寄りまで幅広い層に支持されている。
山田和夫(やまだ かずお、1928年 - )は、日本の映画評論家。大阪府大阪市出身。東京大学経済学部卒業。
「戦艦ポチョムキン」の自主上映運動などで名を馳せる。熱烈な共産主義者であり、第二次世界大戦での日本を肯定的に描いた「プライド 運命の瞬間」「ムルデカ17805」などの映画を痛烈に批判した。
「ハリウッド 良心の勝利」
「日本映画101年―未来への挑戦」
「黒澤明・人と芸術」
「映画で世界を読む」
映画評論家 やまたかすお
1928年生 やまたかすお