山田 昌弘(やまだ まさひろ、1957年11月30日 - )は、東京都北区 (東京都) 北区出身の社会学者。専攻は家族社会学、感情社会学、ジェンダー論。いて座の血液型 A型。学卒後も両親宅に同居し、優雅な独身生活を謳歌し続ける若者を、パラサイト・シングルと位置づけ、社会学的に分析した。現在、東京学芸大学教授。
1981年 - 東京大学文学部卒業。
1983年 - 同大学院社会学研究科修士課程修了。
1986年 - 同博士課程単位取得退学。
東京学芸大学教育学部社会学研究室助手。
同専任講師。
同助教授。
2004年 - 同教授。
『近代家族のゆくえ――家族と愛情のパラドックス』(新曜社, 1994年)
『結婚の社会学――未婚化・晩婚化はつづくのか』(丸善, 1996年)
山田 雅人(やまだ まさと、1961年1月22日 - )は、大阪市大正区出身のタレント、俳優。大阪学院大学高等学校、大阪学院大学商学部卒業。芸能事務所#や行 山田企画所属。
駆け出しの頃は松竹芸能の所属であった。朝日放送『おはよう朝日です』でテレビ初レギュラー出演を果たす。同番組の当時の1コーナー「おーい、山田くん」にて、下駄にバンカラ姿で『おーい、山田くん』と書かれたのぼりを手に、街頭インタビューを行っていた。番組内では同コーナーのみの担当であったが、若者に好評で、知名度が向上する。
1988年、讀賣テレビ放送 よみうりテレビが当時他局で好評だった夕方の若者向けバラエティ番組の競争に参戦することになり、森脇健児と共に、当時松竹芸能の若手ホープであった山田は『ざまぁKANKAN!』で司会に抜擢される。この番組の成功により、全国区に進出する足がかりを掴む。
山田 正紀(やまだ まさき、1950年 1月16日 - )は、日本の作家・小説家。SF作家、推理作家、ホラー作家。愛知県名古屋市生まれ。明治大学政治経済学部卒業。
1974年 -『S-Fマガジン』1974年7月号にて『神狩り』でデビュー。
1975年 -『神狩り』で第6回星雲賞日本短編部門を受賞。
1978年 -『地球・精神分析記録』で第9回星雲賞日本長編を受賞。
1980年 -『宝石泥棒』で第11回星雲賞日本長編を受賞。
1982年 -『最後の敵』で第3回日本SF大賞を受賞。
1995年 -『機神兵団』で第26回星雲賞日本長編を受賞。
2002年 -『ミステリ・オペラ』で第2回本格ミステリ大賞と第55回日本推理作家協会賞を受賞。
機神兵団シリーズ
山田 昌(やまだ まさ、1930年5月12日 - )は、女優。愛知県常滑市出身。劇団「劇座」代表。夫は俳優の天野鎮雄。
1949年にNHK名古屋放送局 NHK名古屋放送劇団に入団、1985年に劇団「劇座」の結成、付属俳優養成所の「名古屋劇塾」の設立に参加した。
NHKの銀河テレビ小説では、NHK名古屋制作のドラマで主演したほか、1989年から東海テレビが全国放送の2時間ドラマとして制作した『名古屋嫁入り物語』のシリーズで、毎回、植木等と花嫁の両親の役を務め、名古屋弁女優として全国に知られる。
祈願満願(1981年、NHK)
旅びと(1983年、NHK)
名古屋嫁入り物語(1989年縲鰀1998年、東海テレビ放送 東海テレビ)
山田 真(やまだ まこと、1941年6月22日 - )は、日本の医師 小児科医。岐阜県美濃市の生まれ。父親は軍医。父親の転勤で福岡に移ったが、父はさらに満州に転属となり、母と子は美濃に戻り、以後、そこで育った。
1967年東京大学医学部を卒業。以後、東京都八王子市の八王子中央診療所に勤務、その後同診療所理事長。妻の梅村浄(きよか)も小児科医で、東京都西東京市で梅村こども診療所を営み、同診療所でも医師として勤務。2人間に障害児の子ども(梅村涼)があり、この子の父親であり、小児科医でもある1人の人間として、世間の能力主義や優生思想に対して積極的に反対の意見表明を続けている。「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の世話人など公的な場での発言も多い。毛利子来と共に、雑誌「小さい・おおきい・よわい・つよい」(ジャパンマシニスト社)の編集者の1人を勤めている。
山田 風太郎(やまだ ふうたろう、男性、1922年1月4日 - 2001年7月28日)は、日本の小説家。本名は山田 誠也。
兵庫県立豊岡高等学校 兵庫県立豊岡中学校を経て東京医科大学医学部卒業。戦後日本を代表するエンターテイナーであり、晩年から死後にかけて「戦中派天才老人」などと呼ばれることが多い。
『南総里見八犬伝』をはじめとした日本の古典伝奇文学に造詣が深く、それらに影響を受けた奇想天外な大衆小説とエッセイを執筆。馳星周や菊地秀行、京極夏彦、故中島らもなど、プロの作家にもファンは多かった。
戦時中に書き記した日記は後年作品として世に出るが、記録文学の傑作との呼び声高く、著者の再評価にもつながった。なお、風太郎の命日である7月28日は奇しくも師の江戸川乱歩と同日である。
山田 宏(やまだ ひろし、昭和33年(1958年)1月8日 - )は、杉並区#歴代区長 杉並区長。東京都八王子市出身。
東京都立国立高等学校 都立国立高校を経て、1981年京都大学を卒業後、松下政経塾に第2期生として入塾。同期生には長浜博行、松原仁、島聡、海老根靖典、河内山哲朗、神藏孝之など、行動派がズラリと揃う。
在塾中は松下幸之助の元で新党構想を練り上げたり、積極的に塾外へ出て人に会う機会を作るが、持ち前の行動力が災いして職員との対立も根深かった。
1985年松下政経塾を卒塾後、新自由クラブの河野洋平に見込まれて東京都議選に立候補し、最年少で当選。第1期生の小野晋也に続く政経塾2人目の政治家となる。
山田 大起(やまだ ひろき、1982年5月19日 - )は、北野建設 (長野県) 北野建設所属のスキージャンプ選手。
オリンピック(2002年,ソルトレークシティ)
個人K点#スキージャンプにおけるK点 ノーマルヒル 33位
団体K点#スキージャンプにおけるK点 ラージヒル 5位
日本のスキー選手 やまた ひろき
日本のオリンピック選手 やまた ひろき
1982年生 やまた ひろき
Hiroki Yamada
山田 光(やまだ ひかり、旧姓:佐々木、1967年 - )は、静岡県出身の女子柔道選手。柔道四段。
1988年、ソウルオリンピックで公開競技として行われた女子柔道66kg以下級で金メダルを獲得。
7階級の中で唯一の日本人選手優勝であり、五輪における初の日本人女子柔道選手金メダルであったが、公開競技であったため公式記録としては残されていない。
五輪女子柔道は次回のバルセロナオリンピック バルセロナ大会から正式種目となったものの、日本人初の五輪女子柔道金メダリストの誕生はソウルから数えて8年後のアトランタオリンピック アトランタ大会における61kg級の惠本裕子となっている。
山田花子(やまだ はなこ)は、日本の一般的な個人名として、山田太郎の女性形として使用される名前。
また、この名前を名乗っている女性。
日本人の漫画家 → 山田花子 (漫画家)
日本人のタレント → 山田花子 (タレント)
同姓同名
山田 昇(やまだ のぼる 1950年2月9日 - 1989年2月23日?)は、日本のヒマラヤ登山家。群馬県沼田市出身。群馬県立沼田高等学校を卒業。
1965年 沼田高校登山部に入部
1975年 群馬県山岳連盟海外登山研究会入会、ダウラギリI峰登頂
1982年 マナスルで死にかける
1983年 ローツェとエベレストの秋・冬登頂計画の登はん隊長として登頂に成功。世界的ヒマラヤ登山家としての評価を固める
1984年 アンナプルナI峰南壁登頂失敗
1985年 K2無酸素登頂・マナスル無酸素登頂
1988年 アンナプルナ南壁登頂・8000m峰9座12回登頂
1989年2月7日 冬季モンブラン単独登頂
1989年2月16日 小松幸三、三枝照雄と3人でマッキンリーアタック開始