REDIRECT 松本幸四郎
歌舞伎役者 まつもとはくおう
松本徳彦(まつもと のりひこ;1936年-)は写真評論家、写真家。
日本大学芸術学部写真学科卒業。
九州産業大学芸術学部・大学院講師、東京工芸大学芸術学部講師などを務める。
写真史に関する啓蒙活動、美術館の写真収集に関する協力活動などを、きわめて積極的に行う。
写真弘社のカレンダーの制作にも協力している(解説など)。
昭和をとらえた写真家の眼―戦後写真の歩みをたどる/朝日新聞社/1989年
写真家のコンタクト探検―一枚の名作はどう選ばれたか/平凡社/1996年
日本の美術館と写真コレクション/淡交社/2002年
2006年刊行のシリーズ『名作写真館』(小学館・全30巻)に「日本写真史」を連載中
松本 典子(まつもと のりこ、1935年8月9日 - )は俳優 女優。1960年代~1970年代にテレビドラマ ドラマや映画で活躍し、以降も演劇 舞台などで活動を続けている。夫は劇作家の清水邦夫。
松本 典子(まつもと のりこ、本名:笘篠美和子(旧姓:佐藤)1968年1月30日 - )は、東京都昭島市生まれ、群馬県伊勢崎市育ちのアイドル・タレント。血液型はB型。ニックネームは「のりりん」「サミー(本名の佐藤美和子より)」など。1980年代から1990年代前半に活躍した。デビュー当時のキャッチフレーズは、「届くかな、笑顔」。
夫は元プロ野球東京ヤクルトスワローズ ヤクルト・広島東洋カープ 広島内野手の笘篠賢治。現在二人の息子を持つ。
松本南海雄(まつもとなみお、1943年3月4日 - )は、千葉県出身の実業家。ドラッグストアチェーンストア チェーン日本最大手「マツモトキヨシ」の社長。日本大学薬学部卒。創業者松本清の次男。前社長で元衆議院議員の松本和那は兄に当たる。
高校生のとき、兄和那が勘当されて駆け落ちしたため(後に許される)文系志望だった南海雄が急遽跡継ぎとして薬学部に進学させられたというエピソードがある。
兄和那が社長の傍ら県会議員や国会議員でもあったため、副社長時代に実質のトップとなっており2001年(平成13年)2月に正式に社長になっている。
日本の実業家 まつもとなみお
1943年生 まつもとなみお
松本哲也(まつもと てつや、1976年8月18日 - )は岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ、大船渡市育ちのシンガーソングライター。血液型:A型。
盟友:中川あつお
父は暴力団幹部、母は薬物中毒者という複雑な家庭環境であったため、5歳から祖父母の元で、8歳から児童養護施設にて育つ。児童養護施設に預けられていた小学5年生の時、保父さんが弾いていたアコースティックギターにより、音楽への興味を持つ。小学校卒業と同時に、児童養護施設を退園。
中学へ進級するも、家庭との折り合いが悪く、また学校にも馴染めずに非行へと走る。その結果、鑑別所・児童自立支援施設(旧教護院)に送致されることとなった。この頃、施設内で作詞、作曲をするようになる。施設内で中学を卒業し、その後上京。コック見習いなどで生計を立てながら、ストリートや都内のライブハウスなどで音楽活動を続ける。
松本 剛明(まつもと たけあき、昭和34年(1959年)4月25日 ‐)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。学歴は東京大学法学部卒業。学位は学士 法学士(東京大学)。
民主党 (1996-) 民主党政策部会 政策調査会長。
昭和34年(1959年)4月25日
東京都
東京大学法学部卒業
法学士(東京大学)
衆議院議員秘書、防衛庁長官秘書官
会社員
衆・武力攻撃事態等特別委員会理事
衆・安全保障委員会委員
父・松本十郎(衆議院議員)
兵庫11区
民主党(野田グループ)
政策調査会長(次の内閣・官房長官)
衆・第1議員会館214号室
松本 匡史(まつもと ただし、1954年8月8日 - )は、兵庫県尼崎市出身。昭和後期から末期(1970年代後半-1980年代)のプロ野球選手。右投両打、外野手。
報徳学園中学校・高等学校 報徳学園高校を経て、早稲田大学から1977年、読売ジャイアンツに入団。東京六大学野球連盟 東京六大学のリーグ盗塁記録を塗り替えた。入団当初は右打であったが、1980年よりスイッチヒッターに転向。5年目となる1981年から、俊足の外野手として柴田勲後の巨人の1番打者を担った。1982年、1983年に盗塁王を獲得。1983年に記録した年間76盗塁は現在もリーグ記録。青色の手袋をしていたことから、「青い稲妻」のニックネームを付けられる。1987年現役引退。引退後は日本テレビ放送網 日本テレビの解説者を経て二軍監督、コーチに就任した。2002年からスカウトとしてフロント入り。2006年より東北楽天ゴールデンイーグルスのヘッドコーチに就任。1981年、1982年、1983年にゴールデングラブ賞を受賞するなど、守備での評価も高い。走塁のために上下一体型の特注ユニホームを着用していた。
松本孝利(まつもと・たかとし、1941年-)は北海道出身の経済人。
1966年、法政大学工学部電気工学科を卒業。その後、日本電子開発株式会社に入社し、1975年、日本ディジタル・イクイップメント株式会社(日本DEC)入社。横浜営業所所長、東京第一営業部長などを歴任した。1984年に独立し、インサイト・インターナショナル株式会社を設立、社長に就任。UNIXの開発者であるビル・ジョイ氏との交流を図った。
1986年、日本サン・マイクロシステムズ株式会社社長に就任した。さらに、1990年、株式会社システム・ソフトウェア・アソシエイツを設立し、社長に就任した。1992年には日本シスコシステムズ株式会社社長に就任した。1998年10月、日本シスコシステムズ代表取締役会長に就任するなど、精力的に活動してきた。慶応義塾大学環境情報学部教授を経て、現在は法政大学の理事を務めている。日本インターネット協会、監事・理事などで活躍した。
松本 隆(まつもと たかし、1949年7月16日 - )は作詞家。東京都出身。慶應義塾高等学校、慶應義塾大学文学部卒業。
東京青山生まれ。父親は大蔵省 大蔵官僚。中学から大学まで慶應に通う。妹が生まれつき病弱で早くして亡くなったことが詩が優しいと言われる理由では、と自身語っている。ビートルズの影響を強く受けた。細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂とはっぴいえんど(パートはドラム)を結成。はっぴいえんどの母体となったエイプリルフール時代、細野に「松本、詞書け」と提案され、これ以後作詞を担当することになる。細野の提案は、松本が常に本を持ち歩くなど文学少年であったことによる思いつきだったらしい。
松本 高明(まつもと たかあき、1984年4月12日 - )は、東京都出身の広島東洋カープ所属の野球選手 プロ野球選手(内野手)。
帝京中学校・高等学校 帝京高では3年夏の甲子園でベスト4。甲子園では1試合で5残塁という珍記録を持っている。チームメートの吉田圭とともに2002年ドラフト5巡目で広島東洋カープに入団。
2005年7月2日の対読売ジャイアンツ8回戦(東京ドーム)8表から代走で初出場を果たす。(その後8裏で遊撃の守備につく)。また翌3日の対読売ジャイアンツ9回戦(東京ドーム)で前田幸長投手からプロ初ヒットを放つ。
荒川区の実家の両親が焼肉店「悠悠苑」(じょじょえん)を経営している。
松本 大洋(まつもと たいよう、男性、1967年 - )は、日本の漫画家。東京都出身。和光大学文学部芸術学科中退。
ニューウェーブ世代の最後発として「週刊モーニング」他で活躍するもそれほど人気が出ず。評価され始めたのは「ビッグコミックスピリッツ」に移ってから。『ピンポン』『青い春』『リボルバー』は実写映画化もされた。『鉄コン筋クリート』は2007年にSTUDIO 4℃制作のアニメーション映画として上映される予定である。
主人公群は、独自の世界観を持つキャラクターが多く、その中でのファンタジーを交えた心理描写を得意とする。描線は極力直線を廃し漫画界でも独自のそれを築いている。コマ割、構図にもこだわりがあり、スピード感のある演出に定評がある。
松本 善明(まつもと ぜんめい、1926年5月17日 - )は、元衆議院議員、弁護士。大阪府生まれ。最初の妻は童画家のいわさきちひろ(いわさきちひろ死後かなりの年月の後に別の女性と再婚)。1948年(昭和23)東京大学法学部政治学科在学中に日本共産党に入党。弁護士として松川事件やメーデー事件、労働争議に関わる。第31回衆議院議員総選挙 1967年(昭和42)に東京4区(中選挙区)から初当選、その後比例東北ブロックに移り、2003年(平成15)まで日本共産党衆議院議員を通算11期勤める。衆議院議員在職中は農林水産委員会所属。現在、日本共産党名誉役員、財団法人いわさきちひろ記念事業団副理事長。
松本 清張 (まつもと せいちょう、男性、1909年12月21日-1992年8月4日) は、日本の小説家。本名、清張(きよはる)。福岡県企救郡板櫃村(現在の北九州市小倉北区)生れ。
生家が貧しかったために高等小学校卒業後、給士、版工などの職につく。1950年、朝日新聞社勤務中に書いた第一作「西郷札 (小説) 西郷札」が「週刊朝日」の「百万人の小説」に入選し、1953年に「或る『小倉日記』伝」が第28回芥川龍之介賞 芥川賞を受賞。以後作家活動に専念する。
1958年に発表した推理小説『点と線』『眼の壁』の二長編はベストセラーとなる。犯罪の動機を重視した「社会派推理小説」とよばれる作品は「清張ブーム」を引き起こし、推理小説を大衆に開放することに成功した。