松本 烝治(まつもと じょうじ、1877年(明治10年)10月14日 - 1954年(昭和29年)10月8日)は、日本の商法法学者 学者。法学博士。
鉄道庁長官を務めた松本荘一郎の子息として生まれる。東京帝国大学卒業後、農商務省参事官を経て東京帝大に戻り1903年に助教授。1906年~1909年にヨーロッパへ留学し、帰国後に東京帝大教授となる。1919年に南満州鉄道理事に就任、副総裁を歴任後、1923年に第2次山本権兵衛内閣の法制局長官を務めた。 同年、貴族院議員に勅選され、1924年に帝国学士院会員に選ばれるとともに関西大学学長に就任、1928年まで任にあった。1934年に斎藤実内閣で商工大臣を務め、1938年の会社法改正に尽力した。
松本 竣介(まつもと しゅんすけ、1912年4月19日 - 1948年6月8日)は、昭和期の洋画家。戦時色濃い1941年(昭和16年)、軍部による美術への干渉に抗議して、雑誌「みづゑ」に「生きてゐる画家」という文章を発表したことはよく知られている。都会の風景やそこに生きる人々を、理知的な画風で描いた。
松本竣介は、1912年(明治45年)、東京渋谷に生まれた。本名は佐藤 俊介。1936年(昭和11年)、松本禎子と結婚してから松本姓を名乗るようになった。名前の「俊介」を「竣介」に改めるのは1944年(昭和19年)制作の作品からである。以下の文中では煩雑を避けるためすべて「竣介」と記述する。
松本 良順(まつもと りょうじゅん、男性、1832年7月13日(天保3年6月16日 (旧暦) 6月16日) - 1907年(明治40年)3月12日)は、江戸時代後期の幕臣であり、明治後には初代陸軍軍医総監や貴族院の勅撰議員などを務めた。男爵。父は佐倉藩藩医で順天堂を営む佐藤泰然。外務大臣の林董は実弟。後に幕医の松本良甫の養子となる。幼名は佐藤順之助。明治4年に従五位を受けてからは松本順と名乗った。号は蘭疇とも楽痴とも称する。また、近藤勇や新撰組の供養塔を建てたという説もある。
江戸麻布(東京都港区 (東京都) 港区)に生まれる。1857年(安政4)に長崎(長崎県)でオランダ軍医のポンペ ポンペ・ファン・メールデルフォールトに医学等の蘭学を学ぶ。将軍侍医などを勤めて徳川家茂などの治療を行う。会津藩の下に京都の治安維持の為に活動していた新選組の局長である近藤勇とも親交があり、隊士の診療も行う。戊辰戦争では奥羽列藩同盟軍の軍医となり、明治後一時投獄されるが赦免され、山県有朋などの薦めで軍医総監となる。1907年(明治40)に死去、享年75。
松本幸四郎(まつもと こうしろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は高麗屋。 当代は9代目。定紋は浮線蝶、四ツ花菱。歴史的に成田屋(市川團十郎家)と縁が深い。
松本幸四郎 (初代)
松本幸四郎 (2代目) - 市川團十郎 (4代目)
松本幸四郎 (3代目) - 市川團十郎 (5代目)
松本幸四郎 (4代目)
松本幸四郎 (5代目) - 四代目の子。
松本幸四郎 (6代目)
松本幸四郎 (7代目)
松本幸四郎 (8代目) - 七代目の次男。のちの松本白鸚 (初代)。
松本幸四郎 (9代目) - 八代目の長男。松本金太郎、六代目市川染五郎に同じ。
歌舞伎役者 まつもと こうしろう
名跡 まつもと こうしろう
Matsumoto Koshiro
松本 元(まつもと げん、1940年11月24日 - 2003年3月9日)は脳科学者で、ヤリイカの飼育法の開発、神経細胞の研究、脳型コンピュータの開発を行った。
東京都大田区生まれ。1964年に東京大学理学部物理学科卒業。1971年に通産省電子技術総合研究所(現産業技術総合研究所)に入所。脳型コンピュータの開発を志す。1997年、理化学研究所脳科学総合研究センター・ディレクター。
脳科学の道を志した松本は、電子技術総合研究所において、まずヤリイカの人工飼育法の開発を始める。ヤリイカは神経細胞が大きく観察しやすい特色があるが、当時ヤリイカは生態・飼育法とも不明で、コンラッド・ローレンツから「人工的な飼育が不可能な唯一の動物」とすら言われていた。松本は周囲が「狂ったのではないか」と言うほどヤリイカに情熱を傾け、3年の苦心の後、定常的な飼育に成功した。巨大神経細胞が豊富に得られるようになった松本のグループは次々と研究成果を挙げ、脳・神経科学の分野で世界的な業績を生み出した。電総研の地下にはヤリイカの水槽がいくつもあり、見学者に「色がきれいだろう」と紹介したり、イカ焼きパーティーでヤリイカを振る舞っていた。
松本 キック(まつもと - 本名:松本真一。1969年3月8日 - )は大川興業所属の芸人。三重県伊賀市(旧上野市)出身。三重県立上野高等学校卒業、神奈川大学中退。
元々ハウス加賀谷とともに松本ハウスというコンビを組んでいて人気を博していたが、現在は一人で活動している。お笑いに限らず、俳優として客演や本公演をこなす。
以前シュートボクシング シューティングという格闘技をかじっていた。その実力は、TV番組で佐藤ルミナから膝十字で一本取ったほど。
お笑い芸人 まつもときつく
1969年生 まつもときつく
松本 和将(まつもと かずまさ、1979年 - )は、岡山県倉敷市生まれのピアニスト。
各地での演奏活動を本格的に展開中。その音楽性豊かな演奏は、世界で高い評価を受けている。HIROSHIMA MUSIC FESTIVALのゲストピアニスト。2006年5月現在、ベルリン芸術大学に留学中。
第48回全日本学生音楽コンクール全国優勝(中学3年、初リサイタルも開催)
第67回日本音楽コンクール優勝、併せて増沢賞、金賞
ホロヴィッツ記念国際ピアノコンクール第3位
第53回ブゾーニ国際ピアノコンクール第4位
エリーザベト王妃国際音楽コンクール(世界三大コンクールの1つ)第5位(日本人最高位)
岡山県芸術特別顕賞
倉敷市芸術文化栄誉章
松本 和子(まつもと かずこ 1949年10月27日 - )は、日本の化学者。東京都出身。
日本女子大学附属中学校・高等学校 日本女子大学附属高等学校を卒業後、東京大学に入学。1977年に東京大学大学院博士課程を修了。のち早稲田大学理工学部教授として活動。専門は無機化学。ほかに、国際純正・応用化学連合副会長、京都大学経営協議会学外委員、総合科学技術会議議員、文部科学省研究不正防止を検討する委員会主査代理などの要職を歴任した。
2006年6月、研究費の不正流用問題が表面化し、大学に対して辞職願を提出したが受理されなかった。またこの問題により、文部科学省から研究費助成の5年間停止処分という異例の厳しい処分を受けた。さらに論文の捏造疑惑等も取りざたされ、大学当局が調査に乗り出した。上記のような科学技術行政分野、とりわけ研究不正防止に関する委員会等の要職に就いていた研究者による不正事案であり、非常に問題視されている。
松本 大(まつもと おおき、1963年12月19日 - )は、埼玉県生まれの起業家。マネックス・ビーンズ証券代表取締役社長CEO。
開成中・高を経て、1987年に東京大学法学部卒業後、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券入社。
1990年にはゴールドマン・サックス証券に転じ、1994年、同社共同経営者に就任する。
同社退社後、1999年にマネックス証券設立、同社取締役社長。
2006年事業創造大学院大学客員教授就任。
日本の実業家 まつもとおおき
松本 英子(まつもと えいこ、1979年6月16日 - )は、シンガーソングライター、歌手。秋田県秋田市出身。2006年にSomething ELseの今井千尋と入籍。
1999年に「涙のチカラ」でデビュー。同年、歌手・福山雅治のプロデューサー プロデュース曲「Squall」がヒット。
2004年にユニットZuTTOを、親友篠原ともえと結成。
GROOVE FROM K-WEST(bayfm、毎週火・木曜日19:00~20:00)。
松本英子のサウンドスケッチ(中部日本放送 CBCラジオ他)。
涙のチカラ(1999年6月2日)
Squall(1999年9月8日)ドラマ「パーフェクトラブ!」挿入歌
Naturally Yours(2000年3月23日)
Someone(2000年7月26日)
realize(2002年1月23日)作詞、乙武洋匡
明日も笑えるように/君に会いたい(2002年5月15日)(君に会いたい:NHKドラマ「君を見上げて」主題歌)