廣瀬 純(ひろせ じゅん、1979年3月29日 - )は、大分県臼杵市出身の広島東洋カープ所属の野球選手 プロ野球選手(外野手)。
大分県立佐伯鶴城高等学校 佐伯鶴城高では3年夏の甲子園で初戦敗退。その後法政大学 法大で3年春に三冠王を獲得。4年春のリーグ戦で優勝し自身も主将を務めた。シドニーオリンピック野球日本代表を務めた後、2000年ドラフト会議 ドラフト逆指名2位で広島東洋カープに入団した。運動能力が高く俊足とチームトップクラスの強肩は定評があり、緒方孝市の後継者として期待されている。現在は代打(左投手時)・守備固めとしての起用が多い。基本に忠実なバッティング。長いモミアゲが特徴。
広瀬 香美(ひろせ こうみ、1966年4月12日 - )は、日本のシンガーソングライターである。本名は大沢 麻美(おおさわ まみ)(旧姓:米光)。 福岡県太宰府市出身。芸名の「香美」は「call me」をもじって自ら命名。夫は俳優の大沢たかお。
4才からピアノを習い、そして5才から作曲を習い始める。福岡女学院高等学校を経て国立音楽大学作曲科卒業。ヴォイストレーニングのため渡米し、マイケル・ジャクソンのヴォイス・トレーナーのセス・リグス氏に師事。
帰国後、1992年アルバム『Bingo!』でデビュー。翌年1993年のアルペンCMソングになったシングル『ロマンスの神様』はオリコンチャートで170万枚を越える大ヒットとなりブレイク。それ以降『幸せをつかみたい』『ゲレンデがとけるほど恋したい』『promise』等、数々のヒット曲を生み出す。
弘世現(ひろせげん 1904年5月21日-1996年1月10日)は昭和期から平成期の実業家。
日本生命保険元社長、会長、名誉会長で日本生命の中興の祖。日本生命創業者の弘世助三郎の息子弘世助太郎(日本生命保険3代目社長)の女婿。東京都出身。東京大学経済学部卒業後、1928年に三井物産に入社。
株式会社であった日本生命が相互会社として1947年に再出発するに当り、専務として入社。その後1948年、5代目社長として1982年まで35年間にわたり社長を務めた。生保業界の重鎮とも呼ばれ、1976年に、オハイオ州立大学内にある保険殿堂入りを果たした。また日生劇場創立に力を注ぎ、その他には朝日放送、近畿日本鉄道、高島屋などの取締役をそれぞれ務めた。
廣瀬佳司(ひろせ けいじ、1973年4月16日-)は、大阪府出身のラグビー選手である。ポジションはスタンドオフ。トヨタ自動車ヴェルブリッツ所属。
小2でラグビーを始め、大阪府立島本高等学校から京都産業大学に進学。在学中、ラグビー日本代表 日本代表のメンバーに選ばれ1995年ラグビー・ワールドカップ W杯に出場。
翌1996年、トヨタ自動車に入社。
世界レベルのプレースキックの技術を持つことで知られ、トヨタのジャパンラグビートップリーグ トップリーグ昇格後は2004年 2004-2005年 05、2005-2006年 06と2シーズン連続で得点王・ベストキッカーの2冠を獲得した。特に2005-06シーズンは、公式戦でのプレースキック成功率91%を記録した。また、1999年パシフィック・リム選手権のトンガ戦で挙げた9PG(ペナルティゴール)は、テストマッチでのPGの世界タイ記録である。
広瀬勝貞(ひろせ かつさだ、1942年6月25日-)は、日本の官僚、のち政治家に転じ大分県知事。最後の通商産業省事務次官であり、省庁再編後には初代の経済産業省事務次官をつとめた。
大分県日田市出身。祖先は広瀬淡窓であり、父は日田市長・郵政大臣を務めた広瀬正雄、兄弟に富士紡績の社長を務めた広瀬貞雄、テレビ朝日の会長である広瀬道貞がいる。
通産省において平松守彦の後輩にあたることなどから、事務次官を退官後平松の後継候補に擬される。2003年4月の大分県知事選挙には各界の支援・推薦を得て当選を確実視されていたが、無党派候補を標榜する対立候補の吉良州司に苦戦を強いられたが、当選を果たしている。大分県知事として現在1期目。
広末 涼子(ひろすえ りょうこ、本名:岡沢 涼子(おかざわ りょうこ)、旧姓:廣末、1980年7月18日 - )は、日本の俳優 女優・タレント。早稲田大学教育学部中退。元アイドル。フラーム所属。血液型はO型。
1980年7月18日 - 高知市帯屋町でインテリア雑貨店を営む両親の長女として未熟児で誕生。因みに出産したのは横浜市の病院である。
1987年4月 - 高知市立追手前小学校に入学。
1993年4月 - 土佐女子中学校・高等学校 土佐女子中学校の受験に失敗、高知市立城北中学校に入学。陸上部に所属し、走り高跳びの選手として県大会で2位入賞。プロ野球・阪神タイガースの藤川球児投手は中学時代の同級生。
廣島 日出国(ひろしま ひでくに、1937年11月18日 - )は、沖電気陸上競技部総監督、元マラソン選手、元旭化成陸上部監督。宮崎県東臼杵郡北郷村 (宮崎県) 北郷村(現・美郷町 (宮崎県) 美郷町)出身。男子マラソンの元日本記録保持者で旭化成の先輩だった廣島庫夫は叔父に当たる。
中学卒業後、九州一周駅伝に憧れ長距離を始める。旭化成に入社後1965年の福岡国際マラソンで優勝、東京オリンピックの候補にも選ばれたが出場には至らなかった。特に指導者としての活躍は著しく、旭化成監督時代には宗茂・宗猛・谷口浩美・森下広一などの数多くの名選手を発掘し育て、全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)では6連覇するなど、旭化成の黄金時代を作り上げた。
広重 玲子(ひろしげ れいこ、女性、1972年1月8日 - )は、平成 平成期の東京放送 TBSアナウンサーである。岐阜県高山市出身。身長165cm、血液型A型。愛称は「れいちぇる」
埼玉県立浦和第一女子高等学校 、 早稲田大学院法学研究科をそれぞれ卒業後、1996年に東京放送(TBS)へ入社し、アナウンサーとなる。
宅地建物取引主任者、珠算2段、フランス語検定3級の資格を持つ。
はなまるマーケット
デジ屋台 ナレーション
TBSニュース日曜宿直担当
JNNニュースの森
ジャスト (ワイドショー番組) ジャスト
ベストタイム
特選名品館
コロンブスのゆで卵
お天気クジラ
おはようクジラ
アッコにおまかせ!
広沢 虎造(ひろさわ とらぞう、1899年(明治32年)5月18日 - 1964年(昭和39年)12月29日)は、昭和時代の浪花節 浪曲師。東京府東京市芝区(現東京都港区 (東京都) 港区芝)出身。本名・山田信一。
少年時代から浪花節が好きで、腕自慢の素人として天狗連(アマチュア芸人の集まり)で鳴らしていた。19歳の時に上方の浪曲師広沢虎吉に弟子入りし、23歳で二代目広沢虎造を襲名、帰京。師匠譲りの浪花節に、中京節の鼈甲斎虎丸や関東節の木村重松らの節回しを独自に取り入れた「虎造節」で、戦前から戦後にかけて一世を風靡した。
持ちネタは、国定忠治、雷電爲右エ門、祐天吉松など多岐に渡るが、中でも人気を博したのが、講談師神田伯山直伝といわれる清水次郎長伝であった。とりわけ森の石松を題材にした「石松三十石船」は人気が高く、「寿司を食いねえ」「馬鹿は死ななきゃなおらない」などのフレーズは、ラジオ放送の普及も相まって、国民的な流行語となった。
広澤 克実(ひろさわ かつみ、1962年4月10日 - )は、、昭和時代末期から平成時代にかけて活躍したプロ野球選手で、現在は野球解説者である。登録名は「広沢克」や「広澤克実」であるが、本名は「広沢克己」(読み方は同様。)である。茨城県結城市出身だが、栃木県小山市で育つ。現役時代のポジションは内野手と外野手。愛称は「トラ」、「広沢はん」)など。現役時代に所属した球団は東京ヤクルトスワローズ ヤクルト、読売ジャイアンツ 巨人、阪神タイガース 阪神である。
栃木県立小山高等学校から明治大学に進学。大学時代、ロサンゼルスオリンピック (1984年) ロサンゼルスオリンピックで野球日本代表チームの一員として出場。決勝戦でホームラン 本塁打を打ち、金メダル獲得に貢献。1984年、ドラフト会議 ドラフト1位指名で土橋正幸監督率いるヤクルトに入団。池山隆寛と共に「イケトラコンビ」(HI砲ともいう、Hは広澤でIは池山の意味)としてヤクルトの主軸を成し、2度のリーグ優勝(うち1度は日本一)に貢献した。1994年オフにフリーエージェント FA宣言し巨人に移籍。巨人時代の1997年9月26日、対中日ドラゴンズ 中日戦でサイクルヒットを達成。
広河 隆一(ひろかわ りゅういち、1943年 - ) は、中東の戦場などの写真報道で著名な反骨のジャーナリスト。土門拳賞を受賞。月刊写真誌「デイズ・ジャパン」発行人、「チェルノブイリ子ども基金」代表、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会代表を務める。
中国・天津市に生まれ、大阪府立生野高等学校、早稲田大学教育学部を卒業。フォトジャーナリスト、作家として活躍。レバノン戦争とそれに伴う虐殺事件に関する報道で、1982年によみうり写真大賞、1983年にIOJ国際報道写真大賞を受賞。チェルノブイリ原発事故についても精力的に取材し、1989年に講談社出版文化賞、1993年に産経児童出版文化賞を受賞した。その後はパレスチナ問題の取材に尽力している。2003年にはそれまでのパレスチナ問題、チェルノブイリ原発事故問題の報道活動に対して、土門拳賞が与えられた。