八田 達夫(はった たつお、1943年 - )は経済学者。国際基督教大学卒業。ジョンズ・ホプキンス大学経済学博士課程修了。専門は応用ミクロ経済学、都市経済学、法と経済学など多岐にわたる。
ジョンズホプキンス大学教授、大阪大学社会経済研究所教授・所長、東京大学空間情報科学センター教授等を経て現在、国際基督教大学教養学部国際関係学科教授。国際財政学会理事、日本経済学会会長、日本財政学会理事等の役職も歴任。
理論・実証の双方における実績や貢献は多大で、例えるなら日本のポール・クルーグマンのような存在。
『直接税改革――間接税導入は本当に必要か』(日本経済新聞社, 1988年)
初芝 清(はつしば きよし、1967年2月26日 - )は、東京都豊島区出身、埼玉県富士見市育ちの元プロ野球選手、千葉ロッテマリーンズの内野手として活躍した。二松学舎大学附属高等学校 二松学舎大学付属高校卒。社会人野球東芝硬式野球部 東芝府中出身。2005年限りで引退。2006年からはニッポン放送解説者、千葉テレビ放送 チバテレビ解説者、サンケイスポーツ野球評論家。東京シティベースボールクラブゼネラルマネージャー。愛称“初さま”。
埼玉に移り住んだ小学4年より野球を始める。二松学舎大付属高校では、2学年時からエース投手・3番打者で活躍し、高3夏の東東京大会は惜しくも準優勝で甲子園ならず。同校卒業後は社会人野球の東芝府中に入社、打者に転向し、内野手としてプレーする。都市対抗野球に3回出場した。1989年ドラフト会議 ドラフト4位で千葉ロッテマリーンズ ロッテオリオンズに推定年俸520万円で入団。1995年には第一次ボビー・バレンタイン バレンタイン政権の5番打者となり、打率.301、ホームラン 本塁打25本、打点80で自身初の最多打点 打点王、三塁手のベストナインに輝いている。またこの年球団初の1億円プレーヤーとなる。
八光亭 春輔(はっこうてい はるすけ)は、落語の名跡。当代は3代目。
三代目八光亭 春輔(はっこうてい はるすけ、1947年2月1日ー)は落語家。東京都世田谷区出身。本名は岡庭弌。落語協会所属。出囃子は喜撰。趣味は歌舞伎、映画鑑賞。
1964年7月 8代目林家正蔵(後の林家彦六)に入門。前座名は林家あとむ
1969年7月 二つ目昇進。2代目林家照蔵に改名。
1977年7月 藤間流家元勘右衛門(初代尾上松之助)より香寿太郎の名を貰い、藤間流名取になる。
1979年9月 真打昇進。3代目八光亭春輔を襲名。
落語の名跡 はつこうてい はるすけ
落語家 はつこうてい はるすけ
葉月 里緒奈(はづき りおな、1975年7月11日 - )は、東京都出身の俳優 女優。
本名は、山田 麻衣(やまだ まい)。フライングボックス所属。
家族の仕事の関係でアメリカ合衆国に渡った事もあった。1993年4月放送の東芝日曜劇場の連ドラ化第1弾となった『丘の上の向日葵』で、葉月里緒菜(はづき りおな)の芸名で女優デビュー。 その後も映画、テレビドラマ、また一時期は歌手としても活動していた。
初出演となった映画『写楽』で共演した真田広之との不倫関係がワイドショーや女性週刊誌で話題となり、以後「魔性の女」といわれる。(真田は1997年に離婚している。)
1998年にアメリカ合衆国ハワイ州在住の寿司職人の男性と結婚するも、トラブルがありすぐに離婚し、芸能界に復帰。2003年に上映された映画『スパイ・ゾルゲ』に出演した。
初風緑(はつかぜ・みどり、11月8日―東京都世田谷区出身)は元宝塚歌劇団専科 (宝塚歌劇) 専科の男役スターで女優。
芸名は彼女のおばの友人にあたる元月組 (宝塚歌劇) 月組娘役トップであった初風諄(現在、俳優 女優)に由来する。愛称はガイチ(本姓の短縮から)。
幼少のころ、一時期バレエを習っていたことがあり、宝塚を志望した。
1988年、『キス・ミー・ケイト』で初舞台。同期に和央ようか・汐風幸らがいた。同年、優秀な男役スターが数多くそろっていた花組 (宝塚歌劇) 花組に配属。将来のトップ争いを期待され、やがてダンスに優れた男役スターとして、人気を博していく。
初風 諄(はつかぜ じゅん、1941年(昭和16年)9月11日 - )は、俳優 女優。東京都出身。山脇学園卒業。本名は、松野誠子。宝塚時代の愛称カンちゃん。
1961年、宝塚歌劇団に入団。長身であったことから当初は男役であったが研1で娘役に転向。月組、星組で娘役トップを務める。
美声の持ち主でその歌唱力は歌劇団の歴史のなかでも稀有の存在だった。
1974年「ベルサイユのばら (宝塚歌劇) ベルサイユのばら」初演でマリー・アントワネット役を務め、第一期ベルばらブームの礎を築いた。
1976年星組公演「ベルサイユのばらパート3」に再度マリー・アントワネット役として特別出演。同作品の東京公演で退団予定だったが、あまりの人気と長年トップ女役を務めた月組生徒から「最後は月組から送り出してあげたい」との声があり、異例の東京公演続演となる。
鉢呂 吉雄(はちろ よしお、男性、昭和23年(1948年)1月25日 ‐ )は、昭和・平成期における日本の政治家。衆議院議員(6期)。北海道樺戸郡新十津川町出身。
1948年(昭和23年)1月25日
北海道樺戸郡新十津川町
北海道大学農学部卒業
農学士
組合職員
衆・内閣委員会理事衆・国土交通委員会委員
北海道4区
民主党(横路グループ)
選挙対策委員長北海道総支部連合会代表
衆・第1議員会館207室
http://www.tsukuru.org/ はちろ吉雄ウェブサイト「はちろweb」}}
1971年(昭和46年)北海道大学農学部を卒業し、今金町農業協同組合参事となる。1988年(昭和63年)同組合参事となる。
1990年(平成2年)2月第39回衆議院議員総選挙に日本社会党より立候補(北海道3区)し、初当選する。1993年(平成5年)第40回衆議院議員総選挙(北海道3区)で二期目の当選。
羽中田 昌(はちゅうだ まさし、1964年7月19日-)は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、スポーツエッセイスト。
山梨県韮崎高等学校 韮崎高校では、FWとして全国高等学校サッカー選手権大会 全国高校サッカー2年連続準優勝(1980年 1980・1981年 81年度)に貢献。将来を嘱望されていたが、浪人中のバイク事故で脊髄損傷により下半身不随となり、サッカー選手としてのキャリアに終止符を打つことになる。
1986年から9年間山梨県庁に勤めるが、1993年のJリーグ開幕でかつて高校サッカーで戦った選手たちが脚光を浴びるのに触発され、サッカー指導者への道を志し、1995年、スペイン・バルセロナに渡る。