畑 和(はた、やわら、明治43年(1910年)9月29日 - 平成8年(1996年)1月26日)は、昭和中期から平成初期にかけての政治家。衆議院議員、埼玉県都道府県知事 知事を歴任。埼玉県加須市出身。
日本社会党(右派)の衆議院議員から転じた1972年(昭和47年)の埼玉県知事選挙で初当選、以後連続5期。日本社会党・日本共産党などを与党とし、革新・中道系の知事として活躍。1992年(平成4年)の県知事選挙で6選を目指すが、土曜会談合疑惑が起き最終的に出馬を断念、政界を引退。
「新・現実主義」といわれる、革新系の知事としては比較的現実に即した路線を取り、地方自治に保守も革新もないと立場を取ったが、自由民主党系会派は基本的に一貫して県議会野党であり、県民の圧倒的な支持を得た知事であったとはいえ、県政運営についてはかなり苦しんだ。
羽田 美智子(はだ みちこ、1968年9月24日-)は茨城県常総市出身の女優である。
茨城県立水海道第二高等学校卒。帝京女子短期大学秘書科卒。(現帝京大学短期大学現代ビジネス学科卒)(尚、生家は 出身高校と同じ常総市内の茨城県立水海道第一高等学校下にある。)
レプロエンタテインメント所属。
2006年5月10日放送の「オーラの泉」で美輪明宏の問いに妄想癖があると明かした。
連続テレビ小説 君の名は(1991年)
木曜時代劇 新 腕におぼえあり(1998年)
NHK大河ドラマ 利家とまつ(2002年)
サイコドクター(2002年)
女王の教室(2005年)
疑惑の家族(1988年)
ヒラナリ君ナリヒラ君(1989年)
クリスマスイブ(1990年)
羽田 実加(はだ みか、1978年9月22日 - )は、静岡県沼津市出身の女性タレント、女優。スターダストプロモーション所属。
2001年に日本テレビで放送された番組『雷波少年』の1コーナー「雷波少年系鉄棒少女」において、鉄棒の大技である大車輪の特訓に挑戦したことで大ブレークした。
その後電波少年的放送局にも開局以来出演したが、電波少年シリーズの終焉以降は目立った活躍が見られないタレントの一人である。
2003年放送の日本放送協会 NHK「NHK朝の連続テレビ小説 連続テレビ小説 こころ (朝ドラ) こころ」では、ヒロインの中越典子の親友役で出演した。
2006年、ドラマ・映画・舞台での活躍を目指す若手女優だけの舞台プロジェクト女優☆座に参加する。
馬田 一(ばだ はじめ、1948年(昭和23年)10月7日 - )は、JFEスチール第2代社長で日本鉄鋼連盟第12代会長。
兵庫県芦屋市出身。私立麻布高等学校を卒業後、1973年に東京大学大学院工学系研究科(冶金学専攻)修士課程を修了し、川崎製鉄に入社。
2000年:川崎製鉄取締役経営企画部長
2003年:JFEスチール専務執行役員(企画担当)
2005年:JFEスチール社長
2006年:日本鉄鋼連盟会長に就任
趣味は旅行、テニス。
技術畑出身で、川崎製鉄では主に千葉や水島で製鉄所の製鋼部門を担当。本社では鉄鋼企画部、経営企画部など川鉄社長への登竜門となる企画部門を歩む。川鉄経営企画部長時代に大韓民国の鉄鋼メーカー、現代ハイスコや東国製鋼とのアライアンス締結をまとめる。NKKと川崎製鉄の経営統合協議では中核メンバーの1人として参加。JFEスチール専務時代は中国の広州鋼鉄と自動車用鋼板合弁事業「広州JFE鋼板」の設立などを手がける。
羽田 孜(はた つとむ、男性、昭和10年(1935年)8月24日 - )は、昭和・平成期における日本の政治家。衆議院議員(13期)。
元日本の内閣総理大臣 内閣総理大臣(80代)。(在任期間:平成6年(1994年)4月28日 - 6月30日)。農林水産大臣(2回)、大蔵大臣、副総理兼外務大臣、新生党党首、新進党副党首、太陽党党首、民政党党首、民主党幹事長、同党特別代表などを歴任した。平成17年(2005年)現在、民主党 (1996-) 民主党に所属し、党最高顧問。
昭和10年(1935年)8月24日
出身地:長野県
出生地:東京都大田区
成城大学経済学部卒業
経済学士
衆議院議員秘書
会社員
衆・国家基本政策委員会委員
父・羽田武嗣郎(衆議院議員)
秦 建日子(はた たけひこ、本名同じ、1968年1月8日 - )は、小説家・劇作家・演出家・脚本家。父は作家で元東京工業大学教授の秦恒平。
1990年早稲田大学法学部卒。ジェーシービーでサラリーマンとして勤務しつつ、作家つかこうへいに師事し、劇作家、演出を手がける。1997年に同社退職後、本格的に脚本家活動を開始。以降、小説を手がける。
『カナリアホテル』(関西テレビ・1991年)
火曜サスペンス劇場『吉備津鳴釜殺人事件』(日本テレビ系・1998年)
『世紀末!男コンパニオン物語』(TBS系・1999年)
世にも奇妙な物語‘99秋の特別編『マニュアル警察』(フジテレビ系・1999年)
火曜サスペンス劇場『豊後一子相伝殺人事件』(日本テレビ系・1999年)
秦真司(はた しんじ、1962年7月29日 - )は、徳島県鳴門市出身。昭和末期から平成期(1980年代後半-1990年代)のプロ野球選手。現役時代のポジションは捕手や外野手。右投げ左打ち。流れるような美しいスイングが印象的で、野村克也監督(当時)をして「左打者のスイングのお手本」と言わしめた。また、そのスイングが実に打撃理論の理にかなった模範的なものであったことから、野村は「秦のバッティングは少年野球のお手本」とも評していた。
鳴門高校3年生の春夏、甲子園出場。鳴門高校から法政大学へ進学。1984年、ロサンゼルスオリンピック野球日本代表に出場し、公開競技ながら金メダルを獲得。1985年ドラフト会議 ドラフト2位で東京ヤクルトスワローズ ヤクルトスワローズに入団。関根潤三監督のもと、八重樫幸雄の後継として正捕手をつとめる。1990年、野村監督に思いつきや単調的なリードを指摘され古田敦也にその座を奪われるも、打力と俊足を生かして外野手に転向。1990年代のヤクルト黄金時代を支えた一人。
畑 俊六(はた しゅんろく、1879年7月26日 - 1962年5月10日)は、日本の陸軍軍人(元帥 (日本) 陸軍元帥)。
兄の畑英太郎は陸軍大将・陸軍省軍務局長・関東軍司令官。
東京都立日比谷高等学校 東京府立一中を経て、1900年に陸軍士官学校を卒業。中尉で日露戦争に従軍し負傷。1910年に陸軍大学校を首席で卒業する。ドイツ駐在武官・参謀本部作戦班長・参謀本部作戦課長兼軍令部参謀・航空本部長など作戦関係の要職を歴任し、侍従武官長、1936年に台湾軍司令官。翌1937年に陸軍大将に昇任し、軍事参議官・陸軍教育総監を兼任する。
1937年に南京大虐殺 南京事件が発生した際、責任者の松井石根大将の更迭を進言し、翌1938年には松井の代わりに中支那派遣軍司令官となり、武漢作戦を指揮。1939年8月に成立した阿部信行内閣で陸軍大臣(陸海軍大臣現役武官制)に就任した。天皇は温厚で誠実な畑を陸相に据えることで、阿部との一中コンビで日独伊三国同盟や日中戦争での陸軍の暴走に歯止めを掛けると期待されていたが、膠着状態を脱することは出来なかった。その次の米内光政内閣でも留任した。しかし、天皇から内閣への協力を厳命されていたにも関わらず、日独伊三国同盟締結に絡んだ陸軍の命により単独辞職、米内内閣瓦解の原因となった。その後、支那派遣軍司令官となり、1944年に元帥に列せられた。
秦 恒平(はた こうへい、1935年12月21日 - )は小説家。京都市生まれ。京都市立日吉ヶ丘高等学校、同志社大学文学部(美学)卒業。同大大学院中退。1959年上京して医学書院に勤める。1969年、「清経入水」が太宰治賞を受賞し文壇にデビュー。1992年から東京工業大学教授も勤めた。脚本家・作家で『HERO』『ドラゴン桜』で知られる秦建日子は息子。「大きな古時計」で知られる作詞家の保富康午は妻の兄にあたる。
「清経入水」
「冬祭り」
「慈子」
「みごもりの湖」
「風の奏で」
「からだ言葉、こころ言葉」
日本の小説家 はた こうへい
1935年生 はた こうへい
畑 恵(はた けい、1962年2月15日 - )は、女性。東京都出身。元参議院議員。早稲田大学卒。自由民主党 (日本) 自民党の船田元は夫。日本放送協会(NHK)の元アナウンサー。
東京都立国立高等学校から早稲田大学第一文学部(余談だが商学部で不正入試事件が発生した1980年に入学した)を経て、
1984年 - NHK入局。
1989年 - NHK退局。個人事務所・Kカンパニーを設立。
1992年 - パリに留学。
1995年 - 参議院議員比例代表選挙に新進党から立候補、初当選~後に自民党に移籍し近未来政治研究会所属
2000年 - 作新学院高等学校 作新学院副学長就任。
2001年 - 参議院議員選挙に無所属で立候補するも落選(住民票を栃木県に置きながら東京選挙区から出馬)
秦 郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日 - )は、山口県出身の現代史家。元日本大学法学部教授。法学博士。
専攻は日本近現代史、第二次世界大戦を中心とする軍事史。この他の昭和史にも数多くの著作がある軍事史の泰斗。客観的な実証を重んじる実証史家として知られる。東大在学中にA級戦犯を含む多くの旧日本軍将校らからのヒアリングを実施した。大蔵官僚時代には、日本国際政治学会太平洋戦争原因究明部による共同プロジェクトに参加し、研究の成果は後に『太平洋戦争への道』として出版され、現在でも開戦外交史の決定版とされる。大蔵省財政史室長時に、占領期における財政史の編集に従事した。近現代史に係る多くの事典の編纂でも知られ、特に東京大学出版会より刊行した『日本陸海軍総合事典』は日本軍研究の為の最高権威書である。家永教科書裁判においては、国側証人として出廷した。第二次大戦期における日本軍による慰安婦の組織的強制連行の可能性については否定的である。又、いわゆる南京事件(南京大虐殺)については、中間説(被殺害者数4万人程度)を見解をとっている。
ハナ 肇(はな はじめ、本名:野々山 定夫(ののやま さだお)、1930年2月9日 - 1993年9月10日)は、昭和後期・平成期(1950年代後半 - 1990年代前半)の日本のコミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」のリーダーであり、同バンドのドラマーでもある。
東京府豊島郡(現在の東京都豊島区)生まれ。工学院大学土木科卒業。
1955年に、クレイジーキャッツの前身である、「キューバンキャッツ」を結成。後に、植木等、谷啓らが加わり1957年に「ハナ肇とクレイジーキャッツ」となり、リーダーとなった。芸名は、姓=興奮すると鼻の穴が大きく開くクセから、名=ハナが敬愛したジャズピアニスト和田肇(俳優和田浩治の実父、歌手淡谷のり子の前夫)に由来する。