田村 文生(たむら ふみお、1968年 - )は、東京都生まれの現代音楽作曲家。
東京都杉並区に生まれ、埼玉県川越市に育つ。
埼玉県立川越高等学校卒業、東京芸術大学卒業、同大学院修了。Guildhall School of Music and Drama, London大学院修了。1995年から97年まで文化庁芸術家在外研修員としてイギリスにて研修。作曲を北村昭、近藤譲、松下功、R,サクストンの各氏に師事。
ブッキ国際作曲コンクール(ローマ)、安宅賞、文化庁舞台芸術創作奨励特別賞、朝日作曲賞、国立劇場作曲コンクール、ジェネシスオペラ作曲賞(イギリス)審査員特別賞など入賞・入選多数。アジア音楽祭、〈東京の夏〉音楽祭、Spitalfields音楽祭(ロンドン)、The State of the Nation音楽祭(ロンドン)、アジア作曲家協議会音楽祭(ソウル)、世界現代音楽協会(ISCM)世界音楽の日々(香港)など国内外の主要な音楽祭で作品が演奏されている。
田村藤夫(たむら ふじお、1959年10月24日 - )は、昭和後期から平成期(1970年代後半~1990年代)の北海道日本ハムファイターズ 日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ、福岡ソフトバンクホークス 福岡ダイエーホークスに所属したプロ野球選手。千葉県出身。ポジションは捕手。右投げ右打ち。
1978年、ドラフト6位で日本ハムに入団。加藤俊夫や大宮龍男の存在で2軍暮らし・ブルペン生活が続いたが1982年から控えとして一軍に定着し、1985年には大宮から正捕手の座を奪う。1980年代後半から1990年代前半にかけて、パシフィック・リーグ パ・リーグを代表する捕手として活躍する。1996年ロッテに移籍し、翌1997年にはフリーエージェント FA宣言しダイエーに移籍(ロッテ球団初のFA移籍選手となる)。城島健司の指導役として貢献し1998年、現役引退。翌1999年は二軍バッテリーコーチを務め、2000年に日本ハムの一軍バッテリーコーチに就任し、5年ぶり古巣復帰。(2004年からは投手コーチ兼任)。2006年からはスコアラーに転身し、現在に至る。1998年に現役引退するまで1981年の日本ハム優勝を経験している唯一の生き残りだった(当時は一軍半の選手)。
多村 仁(たむら ひとし、1977年3月28日 - )はプロ野球・横浜ベイスターズに所属する外野手、背番号は6番。
神奈川県厚木市出身。高校は横浜中学校・高等学校 横浜高校へ進学。高校時代の同期に矢野英司東北楽天ゴールデンイーグルス (楽天)、斉藤宜之読売ジャイアンツ (巨人)、紀田彰一(元横浜・西武)がいる。高校通算14本塁打の長打力を買われ、ドラフト4位で横浜に入団。入団当初より走攻守三拍子揃った選手と注目されていたものの、肝心なときに怪我をすることが多く、飛躍のきっかけを掴めなかった。それでも2003年ごろから好成績を挙げるようになり、2004年にブレイク。強くてやわらかいリストを活かして広角に打ち分ける本塁打が最大の魅力の長距離ヒッターである。
田村 能里子(たむら のりこ、1944年 - )は、愛知県出身の洋画家・壁画家である。
名古屋市に生まれる
1966年武蔵野美術大学油絵学科卒業
1969年からインドに滞在
1982年昭和会展優秀賞受賞
1986年文化庁芸術家在外研修員として中華人民共和国 中国に派遣、滞在
1988年西安の飯店に壁画制作
1989年中山競馬場のロビーに壁画制作、以後各地で壁画を制作する
1999年JR東海名古屋駅ビルの壁画制作、テレビ東京でも壁画制作
2003年ファンケルスクエアで壁画制作
『女ひとりシルクロードを描く』(日本経済新聞)
『風と沙と女たち』(日本経済新聞)
日本の画家 たむら のりこ
1944年生 たむら のりこ
田村 高廣(たむら たかひろ、本名同じ、1928年8月31日 - 2006年5月16日)は、京都府出身の俳優。戒名は慈照院俊岳廣道居士
阪東妻三郎の長男。京都三中(現・京都府立山城高等学校)、同志社大学経済学部卒業。
大学卒業後、いったんサラリーマン生活を送るが1953年7月7日に父が急逝。その際、近親者や木下恵介監督などから後を継ぐよう強くすすめられたため、父が死去した際に在籍していた松竹に入社し映画『女の園』でデビュー。
その後も木下演出の下、壺井栄原作の『二十四の瞳_(映画) 二十四の瞳』を初め、『喜びも悲しみも幾歳月』、『笛吹川』に出演し、演技に磨きをかける。
1963年に松竹退社後はフリーとなり、1965年からは大映映画の『兵隊やくざ』シリーズに有田上等兵役で出演、勝新太郎とのコンビが人気を呼び、二人の代表作の一つとなった。また田村はこの演技が認められ、ブルー・リボン助演男優賞を獲得した。
田村謙治(たむらけんじ、1968年3月19日 - )は、日本の政治家。衆議院議員。民主党 (1996-) 民主党所属。妻は、フリーアナウンサーの田村あゆち。
また、お笑い芸人のたむらけんじとは同音異字である。
静岡県生まれ。筑波大学附属駒場中学校・高等学校を経て、1991年東京大学法学部卒業後、当時の大蔵省入省。1993年にミシガン大学大学院に留学する。2002年財務省 (日本) 財務省退職し、山村健衆議院議員の政策秘書となる。2003年の第43回衆議院議員総選挙 衆議院議員選挙において民主党から静岡県第4区 静岡4区から立候補するも落選。比例区でも当選を逃した。
田村謙治は、当初、民主党比例区東海ブロックの落選者の中で、津川祥吾、浅野真についで惜敗率第三位であった。しかし、佐藤観樹が秘書給与詐取により辞職したのにともない、2004年3月、まず次点の津川祥吾が繰り上げ当選した。続いて、次々点の浅野真が、公職選挙法違反容疑により公判中だった2003年3月、比例区名簿から削除された。こうして三位から次点に繰り上がり、2004年11月都築譲が公職選挙法違反により辞職すると、繰り上げ当選を果たした。