最近の有名人・芸能人 姓名判断 1762

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最近の有名人・芸能人 姓名判断 1762

島田一輝

島田 一輝(しまだ かずてる、1969年9月19日-)は、プロ野球選手(外野手)、コーチ。右投げ右打ち。現・北海道日本ハムファイターズ二軍打撃コーチ。千葉県習志野市出身。
千葉県立柏井高等学校 柏井高、東京農業大学からNTT東日本硬式野球部 NTT関東を経て、1994年のドラフト会議 ドラフト4位で日本ハムから指名され入団。即戦力として期待されていたが、出場機会に恵まれず二軍生活が続いた。1998年には打撃に専念するため内野手(遊撃手)から外野手に転向。
2000年から一軍に定着。5番打者を任せられると、持ち前の打撃センスを遺憾なく発揮しチームに貢献、右翼手の定位置を確保した。大物投手に滅法強い為か大物打ちとも言われ、その事から上位打線の5番としても重宝された(本来ならば、4番ナイジェル・ウィルソン ウィルソン、5番シャーマン・オバンドー オバンドー、6番島田だったが大島康徳 大島監督が高く島田を評価し、5番起用となった)。

島田叡

島田 叡(しまだ あきら、1901年12月25日 窶錀 1945年6月27日?)は、沖縄県最後の官選知事。
兵庫県神戸市出身。開業医・島田五十三郎の長男として生まれる。旧制神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)、第三高等学校を経て、1922年東京帝国大学法科に入学。中学・高校・大学と野球に熱中し、東大時代はラグビー部とも掛け持ちするなどスポーツマンであった。
東大卒業後、1925年内務省に入省する。主に警察畑を歩んだ。大阪府内務部長を務めていた1945年1月10日、沖縄県知事の打診を受け、即受諾した。東京に出張し各官庁と折衝していた前任者の泉守紀に香川県知事の辞令が出され、後任者の人選が難航していた(注:泉は職場放棄をしたかのように伝聞されているが、事実と異なるようである)。周囲の者はみな止めたが、島田は「誰かが、どうしても行かなならんとあれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん」と言い残し、日本刀と青酸カリを懐中に忍ばせながら、死を覚悟して沖縄へ飛んだ。

島薗進

島薗 進(しまぞの すすむ、1948年 - )は、東京生まれの宗教学者である。父は精神科医の島薗安雄。
1972年、東京大学文学部宗教学科卒業。東大入学時は理科Ⅲ類に所属し、父の跡を継いで医者になろうと考えていたが、ある時そんな自分に疑問を持ち、進学振り分けの最終段階で宗教学科に進路を変える決心をした。筑波大学研究員、東京外国語大学日本語学科助手などを経て、現在、東京大学大学院人文社会系研究科・東京大学文学部宗教学科教授。
宗教を基盤に幅広い社会的・文化的事象に興味を持ち、多数の著書・論文等の業績があり、フィールドワークも積極的に行っている。
1972年3月 東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。

島崎和歌子

島崎和歌子(しまざき わかこ、1973年3月2日 - 、本名は同じ字で「しまさき」と読む)は平成期(1990年代~)のタレント、女優。高知県南国市出身。O型。ゴールデンミュージックプロモーションに所属する。愛称・和歌ちゃん、ワッコさん。和歌子は父親が酒井和歌子にちなんで名づけた。明治大学付属中野中学校・高等学校 明治大学付属中野高校夜間部中退。
1989年、「弱っちゃうんだ」で歌手デビュー。 同年1月、フジテレビジョン フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ「こまらせないで!」で女優デビュー。続けて7月から放送された特撮「魔法少女ちゅうかないぱねま!」ではヒロインを演じた。その後は主にバラエティーを中心に出演。

島崎俊郎

島崎 俊郎(しまざき としろう、1955年3月18日 - )はタレント。
高知市生まれ小学4年まで高知に。その後京都府へ。京都府立洛北高等学校卒業。
コントトリオヒップアップを経て、お笑い芸人に。「オレたちひょうきん族」で、「ペーイ」と叫びながら暴れ回る謎のアフリカ原住民「アダモステ アダモちゃん」を演じ人気に。
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では「日本初・芸能人バンジージャンプ」企画で「お母ちゃーん」と叫びながら落下。視聴者の笑いを誘い、後のテレビバラエティにおける罰ゲーム企画などに影響を与えた。また「ワニとキス」「トラと握手」などの命がけ企画でもその度胸とリアクション芸を遺憾なく発揮した。

島倉千代子

島倉千代子(しまくらちよこ、本名同じ、1938年3月30日 - )は、東京都品川区生まれの演歌・歌謡曲の歌手。日本音楽高等学校卒業。
昭和30年代は今で言うアイドル的存在(テレビ放送世代の元祖アイドルともいえる。)で一時代を築いた。デビュー50年を経た今も尚、第一線で芸能活動を続けており、戦後の歌謡界に多大な貢献をした一人といえる。現在は大分を本拠地とし、九州各地で営業するリフォーム会社「野田建工」のテレビコマーシャルに着物姿で主演。同社の社名を歌っている。なお、野田建工は求人雑誌に大きなカラー広告を多く掲載しており、島倉の写真を求人情報誌で見ることができる。

島木譲二

島木 譲二(しまき じょうじ、1946年9月13日 -)は、日本の芸人。吉本興業所属。兵庫県尼崎市出身。本名は浜伸二(はま しんじ)。
私立興国商業高等学校(現・興国高等学校)卒業。元プロボクサーであり、ミドル級で西日本新人王を獲得したこともある。芸人になる前は毎日放送千里丘放送センター(大阪府吹田市、現在の千里丘スタジオ)の警備員でもあった。その時に知己を得た間寛平の紹介で吉本新喜劇に入団する。
吉本興業屈指のいい人。チュートリアル (お笑い芸人) チュートリアルの徳井義実が真の男前として紹介した。
吉本新喜劇のメンバーの一人。持ちネタがかなり多いが、特別面白いというわけではなく、むしろ拍手が来るまでパチパチパンチを続けたり、「どうや!どうや!」と客を煽ったりして無理矢理笑わせている。それを内場勝則などに「無理矢理盛り上げるのやめてください」「拍手要求すんのやめてください」などとツッコまれることもしばしば。この芸風の後継に、なかやまきんに君がいる。大抵はヤクザ役として数分間のワンマンショーのあと舞台から消えるが、ごくまれにストーリーに大いに関係する役をこなすこともある。その場合、しばしば台詞等で失敗する。(一度酔っ払って隠れていた箱の中で嘔吐し他の出演者を困らせた事がある。他、正月の舞台上で井上竜夫に楽屋で飲まされた酒のせいで酔っ払って大いびき)

島尾敏雄

島尾 敏雄(しまお としお、男性、1917年4月18日 - 1986年11月12日)は、横浜市出身の作家である。長崎高等商業学校 長崎高商を経て九州大学を繰り上げ卒業。第十八震洋特攻隊隊長として、奄美大島に赴任。
戦後、赴任地の島の娘であったミホと結婚し、神戸で富士正晴らとともに「VIKING」創刊。上京して吉本隆明、奥野健男、詩人の清岡卓行らと雑誌「現代評論」を始めるが、妻の病気のため妻の実家がある奄美に帰島。鹿児島県立図書館奄美分館長などを務めた。また、カトリック教会 カトリック信徒であった夫人の親戚に勧められ、昭和31年(1956年)に奄美の聖心(みこころ)教会で、カトリックの洗礼を受ける。(洗礼名ペトロ)その後、名瀬市から指宿市西方に住所を移し、鹿児島純心女子短期大学で教鞭をとっていた。

島尾伸三

島尾伸三(しまお しんぞう、1940年-)は日本の写真家。
父は作家の島尾敏雄。母は島尾ミホ。妻は写真家の潮田登久子、娘は漫画家のしまおまほ。
妻や子を被写体に日常を撮り、鋭い言葉を付けたシリーズで有名。
妻の潮田登久子との共著で中国の一般庶民の生活や雑貨などを撮ったシリーズがある。
:1948年、母の故郷である奄美大島生まれ。
:1974年、東京造形大学造形学部写真専攻科卒業。
:1978年、潮田登久子と結婚。
「生活」(みすず書房) 
「季節風」(みすず書房)

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