嶌 信彦(しま のぶひこ、男性、1942年5月5日 - )は、ジャーナリスト。白鴎大学経営学部教授。慶応大学メディアコム講師併任。
中国・南京生まれ。東京都立日比谷高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日新聞に入社。秋田支局を経て、東京本社経済部に。大蔵省、通産省、外務省、日本銀行、財界、経団連クラブ、ワシントン特派員などを経て1987年からフリーとなる。
『国際情勢を読む技術――90年代の新潮流をどう予測するか』(PHP研究所, 1989年)
『メディア影の権力者たち』(講談社, 1995年)
『自分を活かす構想力』(小学館[小学館文庫], 1999年)
『首脳外交――先進国サミットの裏面史』(株式会社文藝春秋 文藝春秋[文春新書], 2000年)
嶋 大輔(しま だいすけ、1964年5月22日 - )は、兵庫県西宮市出身(公式では神奈川県)の歌手、俳優、タレント。本名は森島 裕文(もりしま ひろふみ)。
平塚学園高等学校卒業。
1981年、横浜銀蝿の弟分としてデビュー、ドラマ「茜さんのお弁当」に出演。その後1982年に「男の勲章」が70万枚を超える大ヒットとなり一躍有名となる。
1988年には「超獣戦隊ライブマン」に主演、自ら主題歌も担当する。その後俳優としてテレビドラマなどで活躍。現在も俳優、タレントとして活躍している。
ライブマン出演が元でVシネマ「百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊」で再度レッドファルコンを演じた。また、「ひらめ筋GOLD」でSAMURAIヒーローズのキャプテンを務めた。
嶋 重宣(しま しげのぶ、1976年6月16日 - )は、埼玉県ふじみ野市(旧上福岡市)出身の広島東洋カープ所属の野球選手 プロ野球選手。
東北高校では2年春と夏、3年春と3度甲子園に出場し、通算28本塁打を記録。1994年ドラフト会議 ドラフト2位で投手として、広島東洋カープに入団。一軍では2試合に登板したが勝利を挙げられなかった。ちなみにプロ初先発の試合では投手ながら2点タイムリーを放って、後に打者として開眼する僅かな兆候があった。1999年に本格的に野手転向。2軍で3割を超える成績を度々残したが、腰痛やチーム事情などの理由でなかなか試合出場に恵まれずにいた。
プロ入り10年目にあたる2004年のオープン戦から好成績を残しレギュラーを奪取。序盤に非常に高い打率を残し、その後も快調に安打を量産し続け一時はリーグ記録(当時)である192の更新も期待された。安打は終盤に腰痛等で失速し189で終わったものの、首位打者と最多安打を獲得した。さらに記者投票による2004年度ベストナイン外野手部門に1位で選出された。ちなみに首位打者獲得の前年の安打数が1というのは史上初である。
島 悟(しま さとる)は、日本の学者、医師。研究分野は、勤労者のメンタルヘルス。
慶應義塾大学医学部医学科卒業。精神科医。
慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程学位取得。医学博士。
北里大学医学部内科学教室
慶應義塾大学医学部精神神経科学教室
日本鋼管病院神経科医長・精神衛生室長
1997年、東京経済大学経営学部教授。
産業精神保健研究所所長
神田東クリニック院長。
日本EAP協会会長。
Depression and Ventricular Enlargement. "Acta Psychiatrica Scandinavica" 1984年 (論文)
妊娠・出産に伴う精神障害の縦断研究 『慶應医学』 1986年(論文)
Anticerebral Antibodies in Functional Psychoses. "Biological Psychiatry" 1991年 (論文)
島かおり(しま かおり、1946年7月19日- 大阪府出身)は女優。
1960年、「予科練物語 紺碧の空遠く」で映画女優としてデビュー。ドラマ、とりわけ帯ドラマの数多く出演し、愛の劇場シリーズでの主演も数多い。近年はテレビの紀行番組のレポーターやおもいっきりテレビのコメンテーターなどでも活躍している。
予科練物語 紺碧の空遠く(1960年)
ただいま診察中(1964年)
喜劇 駅前桟橋(1969年)
喜劇 右むけェ左!(1970年)
野生の証明(1978年)
山下少年物語(1985年)
バースデイプレゼント(1995年)
若きいのちの日記(1969年、ABC、花王愛の劇場)
愛と死と(1970年、ABC、花王愛の劇場)
島 朗(しま あきら、1963年2月19日 - )は、日本の棋士 (将棋) 将棋棋士。棋士番号146。東京都世田谷区出身。高柳敏夫名誉九段門下。
昭和55年に四段に昇段した「55年組」の一人。
若手との研究会や、パソコンによるデータ管理など、将棋界に新風を吹き込んだ。中でも、羽生善治・佐藤康光・森内俊之との研究会「島研」は伝説的研究会といわれる。
和服で臨むのが常識だったタイトル_(将棋) タイトル戦にブランドもののスーツで現れ、マスコミを賑わせた。
1988年に米長邦雄に4-0のストレートで初代竜王戦 竜王に就位。将棋界では、島が竜王になるとはほとんど予想されていなかったため、「シンデレラボーイ」と呼ばれた。
四方堂 亘(しほうどう わたる、本名:四方堂暁治 しほうどう あきはる、1962年12月9日 - )は、日本の俳優。
映画・TVドラマ・Vシネマ等で活躍中。シリアス・コメディー・アクションと何でもこなせる、監督らからの信頼の厚い実力派。
福岡県大牟田市出身。
1982年7月20日、東京・日本青年館にて、「第2回ミスターCBSソニー”82」グランプリ受賞。
翌83年、『明石貫平35才』にて、俳優デビュー。以降、数々のTVドラマ、映画、ビデオ作品に出演中。
ゴジラ FINAL WARS
渋谷物語
草の乱
風のダドゥ
エコエコアザラク エコエコアザラクII -BIRTH OF THE WIZARD-
ちんちろまい
東京BABYLON(1993年)
緋の十字架(1~9話,2005年10月3日~10月14日 14日、東海テレビ放送 東海テレビ)
渋谷 陽一(しぶや よういち、1951年6月9日 - )は音楽評論家であり、株式会社ロッキング・オンの代表取締役社長である。東京都新宿区出身。明治学院大学中退。
1972年、英米ロックの専門雑誌『ロッキング・オン』を創刊した。70年代は資金もコネもなかったためグラビアもほとんどなく、スターに直接インタビューできず架空対談を得意としていたが、80年代半ばには業界トップの『ミュージック・ライフ』を追い抜き発行部数No.1のロック雑誌となる。その後『ミュージック・ライフ』は廃刊。
70年代半ばより、NHKFMの「ヤングジョッキー」のDJとしても知られ、英米のロックを紹介。レッド・ツェッペリンとビートルズのファンとしても知られる。他にも「アリス・クーパーの顔が自分の顔に似ている、そのインテリ性が通じる」と発言している。
渋谷 桃子(しぶや ももこ、1987年3月15日 - )は、女優。所属事務所はキューブ (芸能プロダクション) キューブ。現在はドラマを中心として活動中。
「天才てれびくん」2代目てれび戦士(NHK教育・1995年)
「みにくいアヒルの子 (ドラマ) みにくいアヒルの子」桜谷奈々江役(フジテレビ・1996年)
「ごくせん (テレビドラマ) ごくせん2」(日本テレビ)
「花より男子」(東京放送 TBS)
ホンダ「ステップワゴン」(フジテレビ「海筋肉王 ~バイキング~」番組内)
「高校講座・物理」(ETV)
「マイ★ボス マイ★ヒーロー」(2006年、日本テレビ)
美少女戦士セーラームーン ~スターライツ・流星伝説~ セーラーヴィーナス/愛野美奈子役(2003年夏)
渋谷実(しぶやみのる、1907年1月2日-1980年12月20日)は、昭和期の映画監督。
東京浅草区七軒町(現・台東区元浅草)に生まれる。慶応義塾大学英文科に入学するが、胸を病み療養生活を送る。回復後、松竹蒲田撮影所に出入りし、牛原虚彦監督の見習い助手を務める。
1930年、松竹に助監督として正式入社。成瀬巳喜男、五所平之助両監督につく。1937年、小津安二郎監督の『淑女は何を忘れたか』の助監督を務めた後、『奥様に知らすべからず』で監督デビュー。松竹蒲田らしいメロドラマに乾いた笑いを取り込んだ作品を次々と発表し、若手のホープとなった。
戦後になって、『自由学校』、『本日休診』など戦後風俗をコミカルに描いた作品で喜劇映画の復活を支えた。また、『現代人』、『青銅の基督』などの作品では辛辣な社会風刺を盛り込み、存在感を示した。その作風は門下の川島雄三に引き継がれている。