石堂 克利(いしどう かつとし、1980年4月18日- )は、プロ野球・東京ヤクルトスワローズに所属する投手。愛知県幡豆郡一色町出身。背番号は60。右投げ左打ち。186cm、83kg、A型。
松坂世代の1人。度重なるケガで出遅れるが、2003年の終盤に台頭を現す。2005年は台所事情の苦しい投手陣の一角を担う。
高等学校 高校は愛知工業大学名電高等学校 愛工大名電高に在学。
1999年 ドラフト会議 ドラフト1位でヤクルトに入団。
右肩の違和感による手術、右足首骨折、左大腿部骨髄炎など、数年間故障に泣かされた。
2003年9月7日 中日ドラゴンズ戦でプロ初登板(ナゴヤドーム)。この年4勝を挙げる。
2004年 開幕3連勝も不振で二軍降格。その後復帰し、この年は6勝。
石塚 英彦(いしづか ひでひこ、1962年(昭和37年)2月6日 - )とは、お笑いタレント お笑いタレントである。コンビ「ホンジャマカ」のボケ担当。愛称は「石ちゃん」。神奈川県横浜市保土ケ谷区出身、血液型O型、横浜市立岩井原中学校、横浜市立桜丘高等学校を経て関東学院大学経済学部卒業。
高校時代に自主映画 自主制作映画で才能を開花させ、20歳のときに劇団ひまわりに入団し、基礎からレッスンに専念する。
大学卒業後は、渡辺プロダクション(現:ワタナベエンターテインメント)に所属し、お笑い集団「ホンジャマカ」のメンバーとしてデビュー。
立花理佐のバックダンサーをしていたこともある。この頃は痩せた二枚目タイプだった。
石津 祥介(いしづ しょうすけ、1935年1月31日 - )は、岡山県生まれのファッションデザイナー、ファッションディレクター。社団法人日本メンズファッション協会常任理事。財団法人日本ユニフォームセンター理事。有限会社石津事務所、所長。
明治大学文学部中退。
桑沢デザイン研究所卒業。
婦人画報社に入社。「メンズクラブ」の編集部員として勤務。
1960年に株式会社ヴァンヂャケット 株式会社ヴァンヂャケットへ入社。
: 以後45年にわたり、アイビー 「VAN」ブランドで高度成長期のファッション界を席巻したヴァンヂャケット社創業者・故・石津謙介さんの片腕として活躍。
主にカイタックなどと組み、ブランド事業を展開。
石津 謙介(いしづ けんすけ、1911年10月20日 - 2005年5月24日)は岡山県岡山市出身のファッションデザイナーである。
旧制岡山第一中学(現・岡山県立岡山朝日高等学校 県立岡山朝日高校)を経て明治大学商科専門部を卒業後、実家の紙問屋の経営を引き継いだが、ファッションへの造詣が深く、当時の中華民国・天津で洋品店に勤務。戦後はファッションメーカー・レナウン (会社) レナウンに勤務した後1951年に独立し、「VAN」ブランドとして知られる「ヴァンヂャケット 株式会社ヴァンヂャケット」を設立。特にブレザーとボタンダウンシャツをベースとした学生のファッションスタイルを「アイビールック」として紹介し、若者のファッション文化に改革をもたらした。さらに銀座にある「みゆき通り」をそれを着た若者で埋め尽くす「みゆき族」まで登場した。
石立 鉄男(いしだて てつお、1942年7月31日 - )は日本の俳優。神奈川県横須賀市出身。私立三浦学苑三浦高等学校卒業。現在、アクターズプロモーション所属。
俳優座養成所第13期生、文学座座員を経て、テレビドラマ「おくさまは18歳」の主演で大ブレイクを果たす。1970年代を中心に、アフロへアー(1970年頃になって髪を伸ばしてゆるいパーマをかけていたが、数年後にアフロヘアーになった)に独特の声・言い回しで人気を博し、「雑居時代」、「水もれ甲介」「気まぐれ天使」など主演作多数。特に日本テレビ系「パパと呼ばないで」における杉田かおるの「パパ」役などが有名。石立の最も有名であろう台詞「おいチー坊」などは、竹中直人や柳沢慎吾の物真似のネタにもなっている。
石田 ゆり子(いしだ ゆりこ、本名:石田 百合子、1969年10月3日 - )は女優、エッセイスト。女子栄養短期大学卒。血液型A型。
妹は女優の石田ひかり。
ボックスコーポレーション所属を経て、現在は妹との個人事務所・風鈴舎社長。
父親の仕事の都合で引っ越しが多く、以下のように住まいを移している。
愛知県名古屋市生まれ
~3歳 東京都
3歳~ 兵庫県西宮市
6歳~ 神奈川県川崎市
12歳~ 台湾
15歳~ 東京都
小学校のとき水泳(平泳ぎ)でジュニアオリンピックに出場し、8位に入賞した。また台湾で生活していたこともあってか、中国語も堪能。
高1の時スカウトされてモデル (職業) モデルになり、1986年9月、”87全日空イメージガールに選出され、1987年3月から「沖縄キャンペーンガール」のキャンペーンでコマーシャル CM・ポスターなどに登場。
石田 勇治(いしだ ゆうじ、1957年 - )は、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授。中央大学文学部兼任講師。日本学術会議連携会員(地域研究)。専門はドイツ近現代史、ジェノサイド研究。
京都市出身、東京外国語大学卒業、東京大学大学院社会学研究科(国際関係論)修士課程修了、マールブルク大学(ドイツ)社会科学部博士課程修了(Ph.D.政治学、取得)。
東京大学教養学部専任講師、同助教授を経て、現職。この間、ポツダム現代史研究センター客員研究員、ベルリン工科大学反ユダヤ主義研究所客員研究員などを歴任。The Journal of Genocide Research 編集委員。
『20世紀ドイツ史』(シリーズ・ドイツ現代史Ⅰ)(白水社, 2005年)