五十嵐 章人(いがらし あきひと、 1968年4月12日 - )は、平成期(1990年代-2000年代前半)のプロ野球選手。群馬県前橋市出身。現在は野球解説者。
日本プロ野球で全ポジションでの出場(高橋博士以来、日本プロ野球史上2人目)、全打順本塁打(日本プロ野球史上6人目)の両記録を達成した史上唯一の選手として知られる。また、全打順での先発出場も記録している。
1986年に前橋商高のエースで3番打者として夏の甲子園大会に出場。新日本石油ENEOS 日本石油に入社後、打者に転向。主に外野手としてプレーした。1990年の秋のドラフトで3位指名を受け、外野手として千葉ロッテマリーンズ ロッテに入団。のち遊撃手を経て、二塁手に転向。1995年5月7日の対オリックス・バファローズ オリックス戦で、風疹の流行による選手の欠場に加え、山中潔の代打交代、定詰雅彦が退場処分を受けたことにより捕手がいなくなり、急遽、捕手として出場。
猪谷 千春(いがや ちはる、1931年5月20日 - )は、日本の偉大なスキー選手。1956年のコルティナダンペッツォオリンピックで日本人としてはじめて冬季五輪メダリストとなった。その後、IOC委員となり、現在副会長を務める。また、実業家としても活躍し、現在AIU保険会社名誉会長である。北海道国後郡泊村出身。
1931年5月20日 日本スキー界の草分け・猪谷六合雄の長男として、北海道・国後島で生まれる
1934年- 猪谷六合雄によるスキーの英才教育をうける
1935年9月2日 国後島を離れる
1936年4月 父の地元である群馬県勢多郡富士見村に転居。富士見村立富士見小学校箕輪分校に入学
1938年12月 乗鞍の番所に転居、鈴蘭競技大会に出場し、大人に混じって8歳ながら入賞
猪谷六合雄(いがやくにお、1890年5月5日 - 1986年1月10日)は日本の近代スキーの草分け的存在である。
1890年5月5日 群馬県赤城山の赤城旅館の長男として誕生
1914年 スキーと出会う
1924年 樺太をスキーで走破
1925年 ジャンプを開始
1929年 国後島に移住
1931年 長男猪谷千春誕生
1933年 長女猪谷千夏誕生
1934年~ 猪谷千春にスキーの英才教育を施す
1951年~ 戸隠山・志賀高原にてスキー学校を主宰
1969年 イタリア・ステレフセルヨッホで3000mの大滑降を敢行
1986年1月10日 95歳にて永眠
「雪に生きる」
日本のスキー選手 いかや くにお
伊央里直加(いおり なおか 1970年5月9日-)は大阪府和泉市出身の元宝塚歌劇団男役スターで現在は女優。
幼少のころからバレエ・中学時代からジャズダンスに親しむ。
高校生の時、「ミュージカルダンサーになりたくて」宝塚音楽学校を受験。
:合格発表のとき、「やった!これでいろいろなダンスが踊れる!」と思ったとか。
1989年、宝塚歌劇団に入団。この当時の芸名は伊織直加(読みは同じ)。
:当時、真琴つばさ・愛華みれ・紫吹淳・香寿たつき・汐風幸・初風緑など強豪ぞろいだった花組に配属された。
2000年、専科へ異動。
2003年、「傭兵ピエール」で退団、女優に転進。舞台を中心に活躍。
五百籏頭 真 (いおきべ まこと、男性、1943年12月16日 - )は、日本の政治学者、防衛大学校校長(第8代、2006年8月1日就任)。専門は、日本政治外交史、政策過程論、日米関係論。元日本政治学会理事長(1998-2000年)。
兵庫県西宮市出身・在住。1962年六甲中学校・高等学校 六甲高等学校、1967年京都大学法学部卒業。1969年同大学院法学研究科修士課程修了後、広島大学政治経済学部助手・講師・助教授を経て、1981年より神戸大学法学研究科・国際協力研究科教授。1987年京都大学より博士(法学)学位を取得。
その間、ハーバード大学(1977-79年、2002-03年)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(1990-91年)で客員研究員、小渕内閣時には「21世紀日本の構想」懇談会の外交分科会座長をつとめた。
井岡 弘樹(いおか ひろき、1969年1月8日-)は大阪府堺市出身の元プロボクサー。グリーンツダジム所属。右ボクサータイプ。
軽量級らしい伸びのある左ジャブ・右ストレートを武器に日本最年少の18歳9ヶ月で世界ボクシング評議会 WBC世界ストロー級(現・ミニマム級)の初代王者となる。また、世界ボクシング協会 WBA世界ジュニア・フライ級(現・ライトフライ級)の王座も獲得、2階級制覇を達成した。多くの世界王者を輩出した名伯楽、エディ・タウンゼントの最後の弟子。現井岡ボクシングジム会長。
現役時代の入場曲はTEENA MARIEの「LEAD ME ON」。井岡のボクシングスタイルを象徴するような、リズム感に溢れる曲。
井生 崇光(いおう たかみつ、1981年3月12日 - )は、福岡県出身で広島東洋カープ所属の野球選手 プロ野球選手(外野手)。いわゆる松坂世代の一人である。
福岡県立東筑高等学校 東筑高では2年秋の九州大会でベスト4、3年春の選抜高等学校野球大会 甲子園では1回戦敗退。この試合には、1番遊撃手として出場し、先制タイムリーを放っている。夏の県大会では、久保裕也(現読売ジャイアンツ)のいる沖学園高等学校 沖学園や瑞季(現千葉ロッテマリーンズ)のいる柳川高等学校 柳川を破って決勝に進出するも、村田修一(現横浜ベイスターズ)・大野隆治(現福岡ソフトバンクホークス)のいる東福岡高等学校 東福岡の前に敗れた。