和田 勉(わだ べん、本名わだ つとむ、1930年6月3日 - )は、三重県松阪市出身の日本のタレント、映画監督でもある。元日本放送協会 NHKテレビプロデューサー。現在はフリーで活躍。生島企画室所属。
鹿屋高等学校、早稲田大学第一文学部演劇科卒業。
1953年に日本放送協会 NHK入局。同期には磯村尚徳、吉田直哉らがいる。主にディレクター・プロデューサーとして活躍。これまでに「ザ・商社」「阿修羅の如く」の演出を手がけ、数多くのテレビドラマの演出を担当。1987年定年退職。フリー以後はバラエティーにも進出。演出業も並行して担当。映画『ハリマオ』は映画監督初作品。日清のCMで披露するほど、だじゃれが得意。
和田 博雄(わだ ひろお、1903年2月17日 - 1967年3月4日)は、埼玉県川越市出身の日本の政治家。第1次吉田茂内閣で農林相、片山哲内閣で経済安定本部総務長官、その後社会党左派 左派社会党政策審議会長・書記長、日本社会党政策審議会長・国際局長・副委員長を歴任する。
旧制中学校の教師の息子として生まれる。父が岡山県の中学校に転任したため、尋常小学校から旧制高等学校(第六高等学校)までの学校教育を岡山県で受ける。その後、東京帝国大学法学部にすすみ、1925年に卒業。農林省に入省。一時、企画院調査官をつとめる。
和田が一時籍を置いた企画院は、戦争遂行のために経済統制をすすめる役所であり、かつて社会主義運動に参加した者が多い所だった。和田は経済統制の必要を感じていたが、彼自身は社会主義運動に参加したことはなかった。しかし、企画院の調査官たちは、経済統制を通じて日本の社会主義化を図ったとして1941年警察に検挙され、和田はその首謀者とされた(企画院事件)。この事件は、明らかに検察のでっち上げであり、敗戦直後の1945年9月に無罪判決がおりている。
和田 秀樹(わだ ひでき、1960年6月7日 - )は、大阪府出身の受験アドバイザー、評論家(教育・医療、政治・経済)、精神科医(川崎幸病院精神科顧問)、国際医療福祉大学教授、東進ハイスクール顧問、ベンチャー企業家。
一橋大学経済学部(医療経済学)、東北大学医学部、上智大学心理学科などの非常勤講師も歴任。ヒデキ・ワダ・インスティテュート、緑鐵受験指導ゼミナール代表。
灘中学校・高等学校を経て、東京大学東京大学#前期課程 理科三類、慶應義塾大学医学部・経済学部に現役合格、在学中は家庭教師、アイドルプロデュース研究会、ライター業、塾経営などに励む。東京大学医学部医学科卒。東北大学医学部で博士号(医学)取得したが、この点については経歴では省かれることが多い。何故氏が博士号を取得していながら、東北大学大学院医学部博士課程修了と学歴を正式に書かずに、東大医学部卒業、と著書のプロフィールに書くのかについては「あたかも東大で博士号をとったかのようにみせかけるためだ」「東大ブランドで売っている人間が東北大で博士号取得では見栄えがよくないことを恐れているからだ」との批判がある。
和田 春樹 (わだ はるき、1938年1月13日 - )は、東京大学名誉教授。専門は、ソ連史・ロシア史、朝鮮現代史。大阪府生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学社会科学研究所助手、助教授、教授を務める。夫人は政治学者の和田あき子。長女・和田真保は元練馬区区議会議員。
ロシア史・ソ連史、とりわけロシア革命史の研究者としての和田は従来、ソ連共産党を正統とする史観の中で抹殺されてきた勢力への着目で知られる。すなわち、いわば本家ともいうべきソ連での研究の影響下、ソ連共産党の支配の確立をなぞるか、せいぜいレフ・トロツキー トロツキーをヨシフ・スターリン スターリンに対置する程度であった日本のソ連研究に対して、ツァーリのスパイとされた血の日曜日事件 (1905年) 血の日曜日事件のリーダーガポン神父、あるいは当初はウラジーミル・レーニン レーニンらに協力しながら、反動とされて最後に粛清されるネストル・マフノ マフノの農民アナキズム運動、そしてさかのぼってはその背景にあるナロードニキとカール・マルクス マルクス・フリードリヒ・エンゲルス エンゲルスとの微妙な偏差こそが和田の着目点である。
和田 徹(わだ とおる、1945年7月27日 - )は阪神タイガース・福岡ソフトバンクホークス 南海ホークスに所属したプロ野球選手(捕手・内野手)。野球解説者。大阪府出身。
明星中学校・高等学校 (大阪府) 大阪明星高校卒業後、1964年阪神に入団。現役時代は主に控え捕手や一塁手 一塁、代打で活躍した。あだ名は「ぶーちゃん」。1975年に南海に移籍し1979年引退。その後はコーチ等を務め、1989年から1994年まではダイエーのコーチも務めた。現在はCSスカイ・Aで野球解説者として活動している。
投打 右/右
出身地 大阪府
球歴 明星高―阪神(1964年-1974年)―南海・ダイエー(1975年-1985年、1989年-1994年)
和田 毅(わだ つよし、1981年2月21日 - )は愛知県江南市生まれ島根県出雲市育ちのプロ野球選手。福岡ソフトバンクホークス所属の投手。左投左打。背番号21。松坂世代のひとり。ボールの出所の見えにくい独特のフォームと鋭い球種 (野球) スライダーで、MAX140キロ前後ながら三振を量産。ホークス投手四本柱の一角。愛称「わっち」、「つよぽん」、「つよくん」(仲根かすみ 夫人による呼称から)、「ガッチャマン」(高校時代の愛称。和田の顔が「科学忍者隊ガッチャマン」の主人公・大鷲の健に似ているから)など。
野球を始めたのは1987年 、江南市立・藤里小1年のとき、地元の「江南団地野球」に入ったのがきっかけ。
和田千年(わだ ちとせ)は、元日本テレビ記者、解説員。
報道の第一線で活躍した。1988~90年代前半に読売新聞ニュース 読売新聞明日の朝刊司会を務めた。
日本のジャーナリスト わたちとせ