若一 光司(わかいち こうじ、1950年10月16日 - )は、日本の作家。大阪府生まれ。大阪市立工芸高等学校美術科卒業。
高校在学中から大阪(信濃橋画廊)・東京(村松画廊)で個展を開催するなど、現代美術作家として活動。1969年の村松画廊での個展では、ハツカネズミの死体(実物)を透明アクリルで挟んでプレスした作品を展示するなどして、一部で注目された。また、1970年には松本雄吉らと共に劇団日本維新派(現在の劇団維新派)の結成に参加。日本維新派の命名も、若一によるとされている。
高校を1年留年(理由は不明)して卒業後、コピーライターやCFディレクターを経て、1973年に企画会社プランニング・インターナショナルを設立。代表取締役・クリエィティブディレクターとして、各種の商品開発や販売促進、広告の企画制作に従事。ストリッパーと知的障害の青年との愛を描いた『海に夜を重ねて』(河出書房新社)で1983年度の文藝賞を受賞してからは、作家活動に専念。同受賞作は中原俊監督により『メイク・アップ』のタイトルで映画化された(主演は烏丸せつこ)。
若泉 敬(わかいずみ けい、男性、1930年3月29日 窶錀 1996年7月27日)は、日本の国際政治学者。沖縄返還交渉において、佐藤栄作首相の密使として重要な役割を果たしたとされる人物。
福井県今立郡今立町(現・越前市)生まれ。1954年東京大学法学部政治学科を卒業後、保安庁保安研修所教官となる。1957年ロンドン大学大学院国際政治学修了、1960年米国ジョンズ・ホプキンス大学客員教授となり、マイク・マンスフィールド(民主党上院院内総務)、ディーン・アチソン(元国務長官)、ウォルター・リップマン(ジャーナリスト)らと面識を持つ。1961年防衛庁防衛研究所所員を経て、1966年京都産業大学教授に転身。核時代における日本の平和外交のあり方についてビジョンを構築していた。
若合 春侑(わかい すう、1958年8月11日 - )は、日本の作家。
本名は山野辺 優子(やまのべ・ゆうこ)。宮城県塩竈市出身。仙台白百合学園高校から東北学院大学経済学部、国学院大学文学部神道学科卒業。1998年、「腦病院へまゐります。」で第86回文學界新人賞受賞しデビュー。同作は第119回芥川賞候補作となる。また同年、「カタカナ三十九文字の遺書」で第120回芥川龍之介賞 芥川賞候補、1999年、「掌の小石」で第121回芥川賞候補となる。2002年、「海馬の助走」で野間文芸新人賞を受賞。
『腦病院へまゐります。』
『世間様かくありき』
『無花果日誌』
『海馬の助走』
『蜉蝣』
日本の小説家 わかい すう
和央 ようか(わお ようか、本名 大川貴子、1968年2月15日 - )は元宝塚歌劇団宙組 (宝塚歌劇) 宙組の2代目男役トップスター。大阪市天王寺出身。
愛称は「たかちゃん」「たかこ」。血液型O型。
幼少のころからクラシックバレエやピアノ等を習う。
中学時代は走り高跳びの選手だった。
女子高時代はミュージカル部で活躍。バレンタインデーに集ったチョコレートの量は母校の伝説となっている。友人に誘われて宝塚歌劇に出会い受験を決意。
1988年、宝塚音楽学校を卒業し、宝塚歌劇団に入団。
初舞台は「キス・ミー・ケイト」(離婚後の男女関係をテーマにしたブロードウェイミュージカル)。同期に女優の麻乃佳世・森奈みはる・初風緑・汐風幸や白城あやか(中山秀征夫人)・現宙組組長の美郷真也らがいる。
露鵬 幸生(ろほう ゆきお、1980年3月9日 - )は、大相撲力士である。本名は、ソスラン・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフ(Сослан Феликсович Борадзов)。ロシア ロシア連邦北オセチア共和国 北オセチア・アラニヤ共和国ウラジカフカス ウラジカフカス市出身のロシア国籍オセット人。大嶽部屋所属。(入門から2~3か月間、北の湖部屋で過ごしたことがある)。最高位は東小結(2006年3月場所)。身長195cm、体重146kg。得意技は右四つ・寄り・上手投げ。趣味はロシア映画鑑賞と音楽鑑賞。好きな格闘家はエメリヤーエンコ・ヒョードル。
弟は北の湖部屋の白露山佑太 白露山。16歳からレスリングを始め、18歳のときに世界ジュニア選手権のフリースタイルで優勝する。体重が増え、レスリングには130kg級までしかなく、レスリングを諦め、20歳のときから相撲に取り組むようになった。2001年の世界相撲選手権大会の重量級で3位の成績を残し、欧州選手権大会では優勝した。2002年2月に父親の知人に大鵬幸喜 大鵬を通して来日し、弟と同部屋に入門するつもりだったが、規則で禁じられていたため、自身は3ヶ月間北の湖部屋で過ごしていたが、その後大鵬部屋に移った。初土俵の2002年5月から19連勝するなど出世は順調であった。2004年1月に十両に昇進し、2004年9月に新入幕を果たし、東前頭15枚目で10勝5敗の成績を残し三賞 敢闘賞を受賞した。翌場所も10勝をマークするなど安定した成績を残していたが、西前頭筆頭で迎えた2005年5月場所では7勝8敗で三役昇進を逃した。翌場所は右足関節三角靱帯損傷などの影響もあり、3勝8敗4休と散々な結果に終わった。2005年9月場所では8勝7敗、11月場所では弟の白露山とともに10勝5敗、2006年1月場所では東前頭2枚目で9勝6敗と三場所連続で勝ち越し、その後、東小結に昇進し、ロシア出身の力士では初の三役となったが、翌場所は4勝11敗と散々な結果に終わり、力の差を痛感させられた。2006年7月場所では6日目まで4勝2敗とまずまずの成績を残していたが、7日目に千代大海龍二 千代大海と睨み合い口論となり、風呂場のドアのガラスを割るなどして厳重注意を受けたが、その後カメラマン2人に暴行し3日間の出場停止処分となったが、復帰したての11日目の琴奨菊和弘 琴奨菊戦で勝利し、その後も好調を維持し、8勝5敗2休という成績を残した。2006年9月場所は西前頭筆頭で迎え10勝5敗の好成績を残し、翌11月場所は再び小結復帰が濃厚となった。22歳と遅い入門になったためレスリングの癖が抜けず、大柄な体格だが引き技を多用した。
名前=呂比須ワグナー
本名=
愛称=
カタカナ表記=ロペス・ワグナー
アルファベット表記=LOPES Wagner
原語名=帰化前
原語表記=Wagner Augusto LOPES
国=日本
誕生日=1969年1月29日
出身地=ブラジル
身長=182cm
体重=74kg
血液型=O型
所属チーム名=
ポジション=フォワード FW
六角 慎司(ろっかく しんじ、1972年6月27日 - )は、日本の俳優。
東京都品川区出身。東京都立日比谷高等学校を経て明治大学文学部卒業。キューブ所属。
1993年に演劇集団ジョビジョバのメンバーとしてデビューし、2002年に活動休止後は俳優としてソロ活動開始。
異様に甲高い声と尖った顎が特徴(ジョビジョバ時代はアントニオ猪木のものまねが持ちネタだった)
酒に弱く気も弱い、所謂いじられキャラ。
ジョビジョバ時代(初期)は公演ポスターの絵を手掛けており、絵が上手い。
国語の成績は優秀で学生時代国語教師を目指していたが、教育実習で挫折。その後ジョビジョバのメンバーとなり現在に至る。
六角 鬼丈(ろっかく きじょう 1941年 - )は建築家、東京藝術大学教授。東京都出身。東京藝術大学美術学部建築学科卒業。
磯崎新の初期のアトリエスタッフだった。安藤忠雄、伊東豊雄らと同じ1941年生まれである。
東京武道館 日本建築学会賞作品部門
東京藝術大学大学美術館
日本の建築家 ろっかく きしよう
1941年生 ろつかく きしよう
六本佳平(ろくもと かへい、1939年 - )は神戸市生まれの法学者。専門は法社会学。放送大学特任教授、東京大学名誉教授。
無理に東大の文科1類を受けさせられ入学したものの、学部時代は授業に出ずに濫読をしていて2年留年した。
1963年 東京大学法学部卒業
1963年 東京大学大学院修士課程(法社会学専攻)
1965-67年 カリフォルニア大学バークレー社会学部大学院博士課程留学
1970年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)
1970年 東京大学法学部助教授(法社会学講座)
1978年 東京大学法学部教授(1996年 東京大学附属図書館長)
1999年 放送大学教授
『民事紛争の法的解決』(岩波書店)1971年
六田 登(ろくだ のぼる、男性、1952年 1952年(昭和27年)7月23日 - )は漫画家、京都精華大学客員教授。
大阪府八尾市出身。大阪市立工芸高等学校 大阪市立工芸高校写真科卒業。
高校時代はアストロ作画会や作画グループで同人活動を行っていた。
1971年、19歳で漫画家を目指し、ヒッチハイクで上京。初めはルポイラストや単行本の企画・構成をする。後、ろくだのぼ~る名義で御厨さと美と共に、「小学六年生」(小学館)の読者ページ「ハロー6ワイドショー」にて活躍。
1978年、「週刊少年サンデー」の第1回小学館新人コミック大賞佳作を『最終テスト』で受賞し、デビュー。
初めは「週刊少年サンデー」などで『ダッシュ勝平』や『その名もあがろう』などといったギャグ漫画を執筆していた。しかし1985年に突如、サスペンスものの『風炎』を「ビッグコミックスピリッツ」に発表し、これ以後青年誌に活動の場を移して本格ストーリー漫画を発表するようになった。
連城 三紀彦(れんじょう みきひこ、本名加藤 甚吾、1948年 - )は、日本の小説家。愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校、早稲田大学政経学部卒業。
デビューはミステリーだったが、後に恋愛小説、ホラー小説も手がける。直木賞を受賞した『恋文』も恋愛小説で、2人の女性の複雑な心理を巧みに描写した作品である。
1978年 - 『変調二人羽織』で第3回幻影城新人賞受賞
1981年 - 『戻り川心中』で第34回日本推理作家協会賞(短編)受賞
1984年 - 『宵待草夜情』で第5回吉川英治文学新人賞受賞
1984年 - 『恋文』で第91回直木三十五賞 直木賞受賞
1985年 - 一年間の休筆。
1996年 - 『隠れ菊』で第9回柴田錬三郎賞受賞