柳亭 燕路(りゅうてい えんじ)は、落語の名跡。当代は7代目。
柳亭燕路 (初代) 初代柳亭燕路
柳亭燕路 (2代目) 2代目柳亭燕路
柳亭燕路 (3代目) 3代目柳亭燕路
柳亭燕路 (4代目) 4代目柳亭燕路
柳亭燕路 (5代目) 5代目柳亭燕路
柳亭燕路 (6代目) 6代目柳亭燕路
#7代目 7代目柳亭燕路
6代目 柳亭 燕路については、柳亭燕路 (6代目)の項目を参照のこと。
7代目 柳亭 燕路(りゅうてい えんじ、本名:浅間 聖史、1959年2月 - )は、福岡県出身の落語家。
1982年1月 10代目柳家小三治に入門。前座として柳家九治を名乗った。
1987年 二つ目に昇進。
1997年 真打に昇進し、七代目柳亭燕路を襲名した。
落語家 りゆうてい えんし
流山児 祥(りゅうざんじ しょう、本名:藤岡 祥二、1947年11月2日 - )は、日本の声優、俳優、演出家、劇作家。日本演出者協会副理事長も務める。熊本県荒尾市出身。青山学院大学経済学部中退。
状況劇場や早稲田小劇場に所属した後、1970年に劇団「演劇団」を設立(1990年解散)。1984年には事務所「流山児★事務所」を設立。
俳優としてテレビドラマ、映画、舞台、アニメで活躍する他、演出家としても数多くの作品を手掛けている。
新宿みだれ髪(1986年、フジテレビ)
特別企画 さんまの「おれは裸だ」(1988年、日本テレビ)
Vの悲劇(1990年、フジテレビ)
ミンボーの女
ビーストウォーズネオ 超生命体トランスフォーマー
竜崎 遼児(りゅうざき りょうじ、1953年9月14日 - )は、漫画家。
長崎県出身。
1972年、「漫画ホット」に掲載の『番格流れ者』でデビュー。『炎の巨人』『どぐされ球団』と野球漫画を続けてヒットさせる。その後も『ウォー・クライ』(ラグビー)、『ばっくれ一平!』(野球)、『雷電王』(相撲)などといったスポーツ漫画や『闘翔ボーイ』などといった格闘技漫画を発表した。
初期は少年漫画 少年誌で活動していたが、後に青年漫画 青年誌でも執筆するようになった。現在は「週刊パーゴルフ」(学習研究社)誌上にて『インパクト』を連載中。
1972年 - 『番格流れ者』によりデビュー。
竜 雷太(りゅう らいた、1940年1月21日 - )は、日本の俳優。本名、長谷川 龍男。
大阪府箕面市出身。三船プロ、田中プロモーションを経て、現在は大手芸能プロダクションアクターズプロモーションの社長である。
日本大学芸術学部中退後、芝居の勉強のため単身アメリカへ渡る。帰国後に青春ドラマ『これが青春だ』の主人公に抜擢され、一躍スターダムにのし上がった。ちなみに『これが青春だ』は後の「太陽にほえろ!』で、才能ある新人俳優をいきなり主役に抜擢して番組で成長する姿を映し、それとともにその新人俳優をスターにしていくという手法の先駆けであり、その後同番組でこの手法を使うことにより多くの新人俳優がスターになっていった。
龍 年光(りゅう としみつ)は日本の政治家。通称「りゅう ねんこう」。
原島宏治、辻武寿らと同様に支持母体・創価学会の最古参幹部を兼任しながら公明党東京都議会議員団副団長、団長を歴任し、1961年公明政治連盟書記長に就任。
1964年11月17日の公明党結成で副書記長に就任。東京都議を歴任しながら1967年から1984年まで竹入義勝委員長の下で中央統制副委員長を歴任した。
創価学会が日蓮正宗から破門される前年の1990年に創価学会を脱会、現在は日蓮正宗に属し、創価学会や池田大作を批判する活動を展開。個人雑誌「威徳王」を発行している。
過去に自由民主党で公明党・創価学会の政教分離関する部会に山崎正友弁護士と共に出席した。また2001年9月2日には、かつて創価学会と公明党の政教一致批判をするなど創価学会(公明党)の問題を追及した。1995年9月に謎の転落死をした東村山市の朝木明代市議(当時)の追悼集会に出席し、スピーチを述べたこともある。
笠 智衆(りゅう ちしゅう、1904年(明治37年)5月13日 - 1993年(平成5年)3月16日)は、日本の映画俳優。
熊本県玉名郡玉水村(現玉名市)立花で父淳心、母トシの次男として生まれる。生家は浄土真宗本願寺派来照寺。「笠智衆」(りゅう ちしゅう)というやや変わった名前は本名である。玉水村立玉水尋常小学校、熊本県立玉名中学校(現熊本県立玉名高等学校)を卒業後、旧制の東洋大学印度哲学科に入学。1925年(大正14年)に中退、松竹キネマ蒲田撮影所の第一期研究生として入所。同年7月に父淳心の死で一度住職を継ぐも、兄にその座を譲り1926年(大正15年)再度上京。以来、松竹映画の俳優としての道を歩み出す。
隆 大介(りゅう だいすけ、1957年2月14日 - )は、日本の俳優。本名、張明男(柳明男)。
東京都出身。東京都立大森高等学校、横浜放送映画専門学校(現:日本映画学校)卒業。無名塾一期生。師である仲代達矢夫人の故・宮崎恭子の筆名「隆巴」から苗字を貰い芸名を隆大介とした。
1977年に黒澤明監督『影武者 (映画) 影武者』の織田信長役で注目を浴び、ブルーリボン賞 (映画) ブルーリボン賞新人賞を受賞。主な出演作に映画『幻の湖』『遠野物語』『GOJOE五条霊戦記』『踊る大捜査線 THE MOVIE』などがある。
テレビではNHK大河ドラマ『翔ぶが如く』の江藤新平役が有名で、同じく大河ドラマ『峠の群像』の浅野内匠頭役でエランドール新人賞を獲得した。長身と鋭い眼光が印象的な俳優で、一時はスティーブン・スピルバーグ製作作品『Sayuri』に主演すると報じられたこともある。(実際は同じく無名塾出身の俳優役所広司が出演した。)
隆 慶一郎(りゅう けいいちろう、1923年9月30日 - 1989年11月4日)は日本の脚本家、小説家。
東京都赤坂 (東京都) 赤坂生まれ。旧制同志社中学(現同志社高等学校)、第三高等学校_(旧制) 第三高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒。脚本家としては、本名である池田 一朗(いけだ いちろう)で活動。
漫画『悪魔の花嫁』(作画:あしべゆうほ)の原作者である池田悦子は妻。
戦時中は学徒出陣して陸軍士官として中国大陸で戦った。この時期に陣中で読んでいた「葉隠」が後に『死ぬことと見つけたり』を書くきっかけとなる。終戦後、復学して後に東京創元社に入社する。
脚本家時代は映画、テレビドラマ問わず幅広い作品を手がける。日本のテレビの歴史においても1970年代までを代表する脚本家の一人である。脚本家としての代表作は映画『にあんちゃん』、テレビドラマ『鬼平犯科帳』。
リック吉村(りっく よしむら、1965年2月12日 - )はプロボクサー。本名はフレデリック・ロバーツ。ニューヨーク市生まれ。
12歳でボクシングを始める。20才で空軍に入隊、同年、米軍三沢基地に配属という形で来日。1992年、横田基地勤務となる。横田基地勤務時代にプロボクサーとなり、1993年、日本ライト級王者になる。初防衛には失敗するが、1995年1月に王座に返り咲く。以来、2001年11月に王座を返上するまで、5年10ヶ月の間日本王座に君臨し、22回防衛という日本最多防衛記録を打ち立てる。
2001年2月、WBA世界ライト級王者である畑山隆則に挑戦。判定は引き分けで王座奪回に失敗。
2002年2月に規定(定年制ルール)により、プロボクサーの地位を引退するも、西澤ヨシノリの活動により定年制ルールが改正し、現役復帰。
利重 剛(りじゅう ごう、1962年7月31日 - )は、日本の俳優・映画監督。本名、笹平 剛(ささひら ごう)。
神奈川県横浜市鶴見区 (横浜市) 鶴見区生まれ。クォーター・トーン所属。身長178cm。脚本家・小山内美江子の長男。成蹊高等学校卒業、成蹊大学中退。
映画監督としては、1996年『BeRLiN』で、日本映画監督協会新人賞を受賞。更に、2001年『クロエ』は、ベルリン映画祭にコンペティション部門に選ばれ好評を得る。その他、『ZAZIE』『エレファントソング』『リョーコ!』などの作品がある。また、ジャックスカードのコマーシャル CM製作でも有名である。
俳優としては、『父母の誤算』で主演デビュー。その他に『少女が大人になるとき その細き道』『青が散る』『金田一少年の事件簿 (テレビドラマ) 金田一少年の事件簿』『やんちゃくれ』『ヤマダ一家の辛抱』その他多数の作品に出演している。
リービ 英雄(りーび ひでお、”Ian Hideo Levy”, 1950年11月29日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー生まれの小説家、日本文学者。本名、リービ・ヒデオ・イアン。父は外交官で、少年時代から台湾、香港、アメリカ、日本と移住を繰り返す。プリンストン大学東洋学専攻卒業、同大学院博士課程修了。文学博士。万葉集の翻訳で全米図書賞、1992年に『星条旗の聞こえない部屋』で野間文芸新人賞、2005年に『千々にくだけて』で大佛次郎賞をそれぞれ受賞。日本語を母語とせずに日本語で創作を行い続けている稀有な作家。プリンストン大学、スタンフォード大学での日本文学教授職を経て、現在、法政大学国際文化学部教授。