四方田 犬彦(よもた いぬひこ、1953年2月20日 - )は、兵庫県西宮市出身の比較文学者、映画史家である。専攻は比較文学、映画史、漫画論、記号学。本人は「映画評論家ではない」と言っているが、その肩書が用いられることがある。蓮實重彦門下と見られがちだが、当初は由良君美に師事、大学院では芳賀徹の門下。本名は、四方田 剛己(- ごうき)。妻は台湾日本文学研究者の垂水千恵。
本来は「四方田 丈彦」との筆名を用いるつもりだったが、出版社に「四方田 "犬"彦」と誤植され、そのまま筆名にした。本名のローマ字表記では好んで「Gorki Yomota」と自署する。「ゴウキ」のこの綴り方は、マクシム・ゴーリキーの名字の「Gorki」にあやかったものらしい。
米山俊直(よねやまとしなお 1930年 - 2006年3月9日)は日本の文化人類学者。京都大学名誉教授。
アフリカの農村の研究で知られている。
また日本の祭りについても幅広く研究しており、京都の祇園祭や大阪の天神祭などを取り上げている。
京都学を提唱するとともに、その世界的な拠点とすべく国際京都学協会を設立して理事長を務めていた。
1954年 - 三重大学農学部農学科を卒業。
1956年 - 京都大学大学院農学研究科修士課程を修了。
1956年 - イリノイ大学社会人類学部助手に就任。
1960年 - 京都大学に復学。
1961年 - 京都大学大学院農学研究科博士課程を単位取得退学。
1961年 - 京都大学農学部助手に就任。
米山 公啓(よねやま きみひろ、1952年5月10日 - )は作家、医師。専門は神経内科。社団法人日本推理作家協会会員。日本老年学会評議員、有限責任中間法人日本脳卒中学会評議員 、元社団法人日本臨床生理学会評議員。特定非営利活動法人日本ブレインヘルス協会理事。特定非営利活動法人日本サプリメント評議会理事。
1952年、山梨県甲府市の医師の家に生まれる。愛知県岡崎市及び東京都福生市育ち。岡崎市連尺小学校、愛知教育大学附属岡崎中学校を経て、1970年、東京都立立川高等学校卒業。一年間の浪人を経て、1971年新設の聖マリアンナ医科大学医学部医学科に二期生として入学、1977年同卒業、同大学院進学。医学博士。
米本昌平(よねもと しょうへい, 1946年-)は、日本の科学者。専門は、科学史、生命倫理、地球環境問題。
愛知県生まれ。京都大学理学部卒業。三菱化成生命科学研究所研究員を経て、現在、シンクタンク「科学技術文明研究所」所長。
『バイオエシックス』(講談社[講談社現代新書], 1985年)
『先端医療革命――その技術・思想・制度』(中央公論社[中公新書], 1988年)
『遺伝管理社会――ナチスと近未来』(弘文堂, 1989年)
『地球環境問題とは何か』(岩波書店[岩波新書], 1994年)
『クローン羊の衝撃』(岩波書店[岩波ブックレット], 1997年)
『知政学のすすめ――科学技術文明の読みとき』(中央公論社, 1998年)
米村でんじろう(よねむら - 、1955年2月15日-)は、科学 サイエンスプロデューサー、学者 タレント学者。千葉県市原郡加茂村(現・市原市)出身。男。本名・米村傳治郎(旧姓・戸谷=結婚して夫人の米村姓を名乗る)。「米ちゃん」、「でんちゃん」の愛称で呼ばれることもある。 東京学芸大学大学院理科教育専攻科修了。自由学園講師、都立高校教諭を勤めた後、広く科学の楽しさを伝える仕事を目指し1996年4月独立。1998年に有限会社米村でんじろうサイエンスプロダクションを設立。サイエンスプロデューサーとしてサイエンスショー、実験教室、テレビ番組の企画・制作・出演等、様々な分野で活躍中。
米原 万里(よねはら まり、ロシア語 露: Мари Йонэхара、1950年4月29日 - 2006年5月25日)はロシア語同時通訳、エッセイスト、ノンフィクション作家、小説家。代表作は、エッセイ『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』、『魔女の一ダース』、ノンフィクション『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』、小説『オリガ・モリソヴナの反語法』など。
日本共産党常任幹部会員(当時)・衆議院議員米原昶(よねはら いたる)を父として東京都に生まれた。祖父は貴族院議員米原章三。
1960年、小学校4年生のときに、父が日本共産党代表として「平和と社会主義の諸問題」編集委員に選任されチェコスロバキアのプラハに赴任したため、一家そろって渡欧することになる。
米野 智人(よねの ともひと 1982年1月21日- )は、平成期(2000年代~)の東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手。181cm、76kg、血液型はB。ポジションは捕手。右投右打。北海道札幌市出身。
小樽市の北照高から2000年ドラフト会議 ドラフト3位でヤクルトに入団。肩が強く、リードも良いので古田敦也の後継の正捕手として注目されている。入団以来、致命的な打撃力の低さが問題点とされていたが積極的に特打ちを行うことなどにより改善されつつあり、ポスト古田の筆頭として期待されている。
手稲東ファイターズ→新琴似シニアリトル→北照高等学校→ヤクルト(1999年ドラフト会議 ドラフト3位指名)
米長 邦雄(よねなが くにお、1943年6月10日 - )は、将棋棋士 (将棋) 棋士。棋士番号85。山梨県南巨摩郡増穂町出身。東京都立鷺宮高等学校 都立鷺宮高校卒、中央大学商学部中退(後に名誉卒業)。佐瀬勇次名誉九段門下。日本将棋連盟の会長で、東京都の教育委員会 教育委員でもある。50歳時に名人戦 (将棋) 実力制名人の地位にあった将棋界ただ一人の人物。
あだ名は「ヨネちゃん」。若き日は端正な容貌であったために将棋を知らない女性に人気があった。
1985年、名人戦 (将棋) 名人位こそ含まれていなかったものの、タイトル (将棋) タイトルの過半数である四冠を制し、「世界一将棋の強い男」と称された。間違いなく当時のトップレベルの実力を誇ったにもかかわらず、名人位だけにはなかなか手が届かなかったが、1993年に7度目の挑戦で悲願の名人位を獲得する。そのとき49歳11ヶ月。史上最年長名人の誕生であった。