依田 紀基(よだ のりもと 1966年2月11日 - )は日本の囲碁の棋士 (囲碁) プロ棋士。左利き。北海道岩見沢市出身。安藤武夫七段門下。1980年入段。1993年九段。
NHK杯優勝5回、NECカップ囲碁トーナメント戦 NEC杯優勝3回などタイトル獲得数35。
棋道賞は昭和56年に敢闘賞で初受賞したのをはじめ、優秀棋士賞4回など計20回。
夫人は女流棋士の原幸子である。
棋風は非常に柔軟な優れた大局観を持ち、厚い碁を打つ。対局中に激しくぼやくことで有名。また囲碁の時間 NHK杯に寝坊して遅刻を繰り返した事から人気棋士にも拘らずNHK杯への出場権を取り消された。
1998年11月30日、本因坊戦の予選で女流棋士・青木喜久代と対戦し敗れている。
与田 剛(よだ つよし, 1965年12月4日 - )は福岡県北九州市生まれ、千葉県君津市出身。平成期(1990年代)のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。身長182cm。
亜細亜大学時代は故障が多く、登板機会のほとんど無い補欠であった。しかし、NTT東日本硬式野球部 NTT東京時代に最速157km/hの剛速球が注目され、全日本代表メンバーに抜擢。1989年、ドラフト会議 ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。入団1年目の1990年、リリーフ 抑えの切り札として35セーブを挙げ、最優秀新人 (野球) 新人王と最多セーブ投手 最優秀救援投手を獲得。
しかしその後先発転向に失敗し、さらに4年目以降は故障のため思うような成績を残せず、1996年シーズン途中で千葉ロッテマリーンズに移籍。翌1997年オフにロッテを自由契約となり、1998年、北海道日本ハムファイターズ 日本ハムファイターズにテスト入団。その後日本ハムを自由契約となり、2000年、阪神タイガースにトライアウト入団。登録名を「与田 剛士」(読み同)として再起を誓うも、同年限りで現役を引退した。
依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、男性、1940年5月27日 - )はドリーミュージック代表取締役会長、エイベックス元会長。元日本レコード協会(RIAJ)会長、元音楽産業・文化振興財団理事長。業界、政界や海外への強い影響力を持っていることから「音楽業界のビル・ゲイツ」とも呼ばれる。エイベックスの同じく創業者である松浦勝人との経営方針の確執が深刻化、平成16年8月3日付けで会長兼社長を辞任。同日、日本レコード協会の会長も辞任し、エイベックス名誉会長に(平成16年中に退任)。
昭和15年5月27日 - 長野県千曲市生まれ
昭和35年3月 - 長野県長野高等学校卒業
昭和38年3月 - 明治大学経営学部卒業
依田 學海(よだ がっかい、1834年1月3日(天保4年11月24日 (旧暦) 11月24日) - 1909年(明治42年)12月27日)は、日本の漢学者、文芸評論家。「学海目録」の著者であり、森鴎外の師としても知られている。幼名は幸造で、通称は七郎・右衛門次郎。諱(いみな)は朝宗(ともむね)、字(あざな)は百川(ひゃくせん)。學海は雅号である。
1833年(天保4年)、下総国佐倉藩(現在の千葉県佐倉市)に佐倉藩士で長柄奉行を務めた依田貞剛の次男として生まれる。佐倉藩の藩校、成徳書院(現在の千葉県立佐倉高等学校の前身)で漢学、経史を学ぶ。1872年(明治5年)に東京に出て東京会議所の書記官になる。1881年(明治14年)には権少書記官として文部省に出任し、音楽取調掛となり、また漢文教科書の編集に携わる。
吉行 理恵(よしゆき りえ、本名:辻 理恵子(りえこ)…母親の再婚の際、姉とともに養子縁組、1939年7月8日 - 2006年5月4日)は、日本の小説家・詩人。東京都生まれ。
母は日本初の美容師吉行あぐり、父は作家の吉行エイスケ。兄に作家の吉行淳之介、姉の吉行和子は女優である。女子学院中学校・高等学校を経て早稲田大学第二文学部国文科卒。父や兄の影響を受け早くから文筆活動に目覚める。詩集『夢のなかで』で1968年第8回田村俊子賞を受賞し、詩人としての評価の方が高かったが、小説『小さな貴婦人』で1981年上期芥川龍之介賞 芥川賞を受賞。兄妹で芥川賞を受賞した最初の事例として話題を呼んだ。このとき、選考委員の一人が兄・淳之介だった。
吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ、1924年4月13日 - 1994年7月26日)は、日本文学の小説家。対談やエッセイの名手でもあった。
岡山県岡山市に父・吉行エイスケ、母・吉行あぐり あぐりの長男として生まれ、東京麹町に育つ。麹町の同じ町内には内田百閒がいた。東京都立日比谷高等学校 旧制一中受験に失敗し、麻布中学を経て旧制静岡高校(現静岡大学)文丙(文系仏語クラス)に進んだ。1944年(昭和19年)、20歳で召集されるが、直後に気管支喘息と診断され帰郷。1945年(昭和20年)4月、東京大学に入学。5月の東京大空襲で焼け出された。(8月に終戦を迎えた)
大学の授業にはあまり出席せず、また学費をついに一度も払わなかった。いくつかの同人雑誌(『世代』『新思潮』など)を通して、安岡章太郎、近藤啓太郎、阿川弘之、三浦朱門、島尾敏雄らと知り合う。新太陽社で編集のアルバイトをしていたが、社長の勧めで学業を放棄し(学費未納のため除籍処分)、1947年(昭和22年)新太陽社に入社。『モダン日本』『アンサーズ』などの雑誌の編集に携わった。このときアルバイト編集者に澁澤龍彦がいた。会社が倒産寸前のなかで多忙を極めて働きながら、同人雑誌に年一作のペースで作品を発表。
吉行 和子(よしゆき かずこ、1935年8月9日 -)は、東京都生まれの俳優 女優。この他にはエッセイスト、俳人をつとめる。
女子学院高等学校卒業後、1954年劇団民藝付属水品研究所に入所し、後、劇団民藝入団。1957年、『アンネの日記』のアンネ・フランク役でデビュー。吉永小百合らとともに言わずと知れたベテラン女優の一人。以後、フリーとなり、数多くの映画、テレビドラマで脇役として出演。幅広い役柄をこなしている。『にあんちゃん』(1959年)で毎日映画コンクール女優助演賞、舞台『蜜の味』(1974年)で紀伊國屋演劇賞個人賞、『折り梅』(2002年)で毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞する。
吉行 あぐり(よしゆき あぐり、本名・辻 安久利(旧姓:松本、吉行)、1907年7月10日 - )は、日本の美容師。
岡山県岡山市生まれ。
岡山県立岡山操山中学校・高等学校 岡山県立第一岡山高等女学校在学中の1923年に作家吉行エイスケと結婚。1926年に日本の美容師の草分け山野千枝子のもとで2年間修行、1929年に独立して山の手美容院を開店。夫・エイスケとの死別、辻復との再婚を経て戦後は1952年に吉行あぐり美容室を開店。90歳を過ぎても馴染みの客に限定して美容師として仕事を続けていた(当時の悩みは常連客がだんだん亡くなって少なくなることだったらしい)が、2005年に閉店した。
1997年度上半期(4月 - 9月放送)NHKNHK朝の連続テレビ小説 連続テレビ小説「あぐり」のモデルでもある。
吉屋 信子(よしや のぶこ、1896年1月12日 - 1973年7月11日)は大正・昭和に活躍した日本の小説家である。
新潟県生まれ。栃木県で少女時代を過ごす。真岡市 真岡から栃木市に移住、そのころから少女雑誌に短歌や物語の投稿をはじめる。栃木高等女学校(現栃木女子高校)卒業後上京、作家を志し、1916年(大正5年)から「少女画報」誌に連載した『花物語』で人気作家となる。その後、大阪朝日新聞の懸賞小説に当選した『地の果まで』で小説家としてデビュー。徳田秋声らの知遇を得る。
1923年(大正12年)1月、永遠の愛友、門馬千代と運命的な出会いをする。1928年、千代を伴い満州、ソ連経由でヨーロッパに渡り、一年近くパリ滞在。アメリカを経由して帰国。戦前はゴルフ、戦後は競馬に熱中、競走馬の馬主となった。太平洋戦争開戦直前には、特派員として蘭印(インドネシア)、仏印(ベトナムなど)も訪問している。
吉本 亮(よしもと りょう)
福岡ソフトバンクホークスに在籍しているプロ野球選手(内野手)-吉本亮 (内野手)
広島東洋カープ・大阪近鉄バファローズ 近鉄バファローズ・阪神タイガースに在籍したプロ野球選手(捕手)-吉本亮 (捕手)