山本 貴司(やまもと たかし, 1978年7月23日 - )は、大阪市生まれの水泳選手。近畿大学出身(現在は近畿大学東大阪キャンパス職員でもある)。アテネオリンピック (2004年) アテネオリンピック競泳バタフライ200m銀メダリスト。千葉すずと結婚した。2005年に誕生した長男の父でもある。
ひょうきんな性格でユニークな言動が多く、日本チームのムードメーカー的な存在である。地元大阪では夕方のニュース番組でスポーツキャスター(FNNスーパーニュースほっとKANSAI スーパーニュース・ほっと関西→スーパーニュースアンカー アンカー)を担当したりと、露出が多い。
主な記録
種目はすべてバタフライ
山本隆雄(やまもと たかお 1959年12月1日-)は大阪市東住吉区針中野出身のコンピュータ・サブカルチャー評論家、実業家。日本コンピュータクラブ連盟(通称:日コン連)理事長。日本霊能者連盟・日本占い師連盟・日本イケメン鑑定師連盟・日本エステサロン連盟・日本トレーディングカード連盟各理事長。駒川中野国際ハッカー団団長。日コン連企画株式会社・有限会社鈴なり会各代表取締役社長。現在のハンドルネームは「えむびーまん」、過去には、「のりびーまん」・「のりびーまん2号」・「山名健二」などを名乗った時期もある(後2者はニフティからアカウントを剥奪されたときに借用した他人名義のアカウントで使用したハンドル・氏名)。
山本晋也(やまもと しんや、1939年6月16日~)は、映画監督・タレント。東京都千代田区神田 (千代田区) 神田生まれ。早稲田中・高等学校 早稲田高等学校、日本大学芸術学部卒。血液型はAB型。愛称は「カントク」。サングラスにちょび髭がトレードマーク。口癖は「すごいですねぇ」。
日本教育テレビ(NET・現在のテレビ朝日)のアシスタントディレクター(AD)を務めた後、岩波映画にて羽仁進監督の助監督を務める。初監督作品は成人映画の『狂い咲き』(1965年発表)。これ以後も成人映画にて数多くの作品を手がける。
成人映画で名を挙げた経緯から、風俗関係での仕事が多い。特にテレビ朝日の深夜番組『トゥナイト』および『トゥナイト2』に通算で約21年間出演し、主に風俗関係の話題をリポートしたことで知名度が上がった。このときに生まれた「ほとんどビョーキ」というフレーズは有名になった。2002年よりブロードバンド映像コンテンツ『山本晋也のランク10国』を開設し、『トゥナイト』時代の同僚レポーターであった乱一世らと風俗や映画、社会現象など、サブカルチャー的内容を配信している。
山本晋也(やまもと しんや、1939年6月16日~)は、映画監督・タレント。東京都千代田区神田 (千代田区) 神田生まれ。早稲田中・高等学校 早稲田高等学校、日本大学芸術学部卒。血液型はAB型。愛称は「カントク」。サングラスにちょび髭がトレードマーク。口癖は「すごいですねぇ」。
日本教育テレビ(NET・現在のテレビ朝日)のアシスタントディレクター(AD)を務めた後、岩波映画にて羽仁進監督の助監督を務める。初監督作品は成人映画の『狂い咲き』(1965年発表)。これ以後も成人映画にて数多くの作品を手がける。
成人映画で名を挙げた経緯から、風俗関係での仕事が多い。特にテレビ朝日の深夜番組『トゥナイト』および『トゥナイト2』に通算で約21年間出演し、主に風俗関係の話題をリポートしたことで知名度が上がった。このときに生まれた「ほとんどビョーキ」というフレーズは有名になった。2002年よりブロードバンド映像コンテンツ『山本晋也のランク10国』を開設し、『トゥナイト』時代の同僚レポーターであった乱一世らと風俗や映画、社会現象など、サブカルチャー的内容を配信している。
山本 伸(やまもと しん、1962年 - )は、日本の文学者。四日市大学環境情報学部助教授。和歌山県生まれ。専門はカリブ文学。
1986年立命館大学文学部卒業、静岡大学大学院修了。黒人文学、特にカリブ文化圏の文学を専門にする。静岡大学大学院在学中にコロンビア大学に留学、アフリカ系アメリカ人文学、カリブ文化(トリニダード・トバゴなど)・文学を研究する。現在は四日市大学環境情報学部メディアコミュニケーション学科の助教授を務める。
『カリブ文学研究入門』(世界思想社)
『世界の黒人文学』(鷹書房弓プレス)
『地球村の行方』(新評論)
『浄土真宗と現代』(文理閣)
山本昌平(やまもと しょうへい、1938年1月17日 - )は俳優。台湾・澎湖島生まれ(本籍は福岡県又は熊本県)。東京都立江戸川高等学校卒。
60年代中盤からピンク映画の俳優として活躍。主に二枚目役を得意としていた。しかしその強烈なインパクトのある顔つきゆえか、後に悪役商会にメンバー入り、以降ドラマ・バラエティでその存在感を見せた。
日本の俳優 やまもとしようへい
悪役俳優 やまもとしようへい
1938年生 やまもとしようへい
山本常朝(やまもと じょうちょう、万治2年6月11日 (旧暦) 6月11日(1659年7月30日) - 享保4年10月10日 (旧暦) 10月10日(1719年11月21日)。じょうちょうとは42歳での出家以後の訓で、それ以前はつねともと訓じた。)は、江戸時代の武士、『葉隠』の口述者。通称は神右衛門、俳号は古丸。
万治2年(1659年)に、佐賀城下片田江横小路(現在の佐賀市水ヶ江二丁目)で、佐賀藩士山本神右衛門重澄の次男として生まれた。母は前田作左衛門女。
常朝が自分の生い立ちのことを語っている項が『葉隠』・聞書第二にあり、それによると、自分は父70歳のときの子で、生来ひ弱くて20歳まで生きられまいと言われたので、塩売りでもやろうと父は思ったが、名付親の多久図書(茂富、重澄の大組頭)の「父の血を受け末々御用に立つ」という取りなしで、初名を松亀と名づけられ、9歳のとき、鍋島光茂(佐賀藩二代藩主)の小僧として召し使われたという。
山本 譲二(やまもと じょうじ、本名同じ、1950年(昭和25年)2月1日-)は、山口県下関市出身の演歌歌手である。所属プロダクションは北島音楽事務所、現在の所属レコード会社はテイチクエンタテインメントである。
早鞆高校時代昭和42年夏、甲子園出場。松商学園(長野)に敗れるも代打出場ながらヒットを打つ。
演歌歌手になりたくて上京。多くの職を転々とする。クラブのボーイ時代、お客の飲み残しのビールを飲み干す。中にはタバコの吸い殻がたくさん入っていた。肝臓を壊しやむなく帰郷、ひっそりと療養生活を送る。母親の叱咤で強い決意を持ち22歳で再び上京。再び職を変えながらスナックでギターを手に2年間弾き語りを続ける。たまたま店に来た浜圭介に誘われ芸能界入りした。当初は映画「ダーティハリー」にかけて、「伊達春樹」という芸名でデビューしたが、パッとせず、崖っぷちに立たされた。最後の決意で北島三郎の仕事場に何度も足を運び頭を下げ、十数回繰り返したときに北島からカバンを渡された。即ち「カバン持ちになれ」という意味であり、以降2年間北島の付き人を務める。25歳だった。本名でもある「山本譲二」名義でポニーキャニオン キャニオンレコードから再デビュー。またも鳴かず飛ばずが続き『みちのくひとり旅』のリリースは30歳の時。しかしこの曲も売れず大ヒットには更に10ヶ月を要した。年を越し1年近くが経過。「夜のヒットスタジオ」に注目曲として出演すると大きな反響を呼び大ヒット、31歳の時だった。こうした経緯から北島を親父と慕い、現在は北島ファミリーの旗頭的存在である。代表的な歌曲に『みちのくひとり旅』、『旅の終りはお前』、『海鳴り』、『奥州路』など。
山本 省吾(やまもと しょうご、1978年5月28日 - )は石川県出身のオリックス・バファローズの投手。左投げ左打ち。背番号は20。
高校時代は星稜高等学校のエースとして、チームを甲子園準優勝まで導くなど、猛威を奮った。慶応義塾大学へ進学し、ここでは全国優勝も経験(ちなみに中学時代でも全国制覇をしている)。
2000年にドラフト会議 ドラフト1位で大阪近鉄バファローズに入団。2002年に56試合に登板するなど、左の中継ぎエースとして活躍し、優勝も経験した。
2005年からは分配ドラフトによりオリックスでプレーすることに。首脳陣からの期待は大きく、貴重なサウスポーとして重宝されている。高校時代に比べると腕の出どころが少し高くなった。現在の球速は135キロ前後、スクリューボールはいい。
山本 翔(やまもと しょう、1984年1月13日 - )は、福岡県北九州市出身の広島東洋カープ所属の野球選手 プロ野球選手(捕手)。
東筑高校 東筑高では3年夏の県大会でベスト8。2001年ドラフト会議 ドラフト5巡目で広島東洋カープに入団。ウエスタンリーグでも好成績を残しており、正捕手争いに期待がかかる。
身長・体重 178cm・82kg
血液型 A型
投打 右投げ右打ち
球歴 東筑高
プロ入り年度・ドラフト会議 ドラフト順位 2001年・5巡目(広島東洋カープ)
守備位置 捕手
広島東洋カープ(2002年 - )
61 (2002年 - )
一軍未出場
一軍未出場
広島東洋カープの選手一覧
日本の野球選手 やまもと しよう
山本 潤子(やまもと じゅんこ 旧姓:新居 1949年12月30日 - )は、奈良県出身の女性シンガーソングライター。4人姉妹の末っ子として生まれ、幼少期は父親の実家がある大阪市阿倍野区で過ごす。帝塚山中学校・高等学校 帝塚山高校卒業、帝塚山大学卒業。2人の娘の母親でもある。
代表曲に『翼をください』(作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦)、『卒業写真』(作詞・作曲:松任谷由実 荒井由実)などがある。『翼をください』は約20年間にわたり小学校の音楽の教科書に採用され、現在でも合唱曲として有名。
1969年、後藤悦治郎、平山泰代、山本俊彦、大川茂とともにフォークソンググループ「赤い鳥 (フォークグループ) 赤い鳥」を結成。同年、第3回「ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト」全国大会にて『竹田の子守唄』を歌いグランプリを獲得。第2位のオフコースなどを抑えての優勝。
ジョイスタッフ所属のフリーアナウンサー(やまもとじゅん)千葉県出身。
1978年6月22日生青山学院女子短期大学卒。
身長163cm、血液型はO型。
趣味はゴルフ、跳び箱。
TBSあすのそら色お天気キャスター。
グリーンチャンネルにて競馬キャスターも担当。
ゴルフネットワークMCを努める。
日経BBニュース「新製品HIT予報」リポーター。
巨人ファン。
山本 周五郎(やまもと しゅうごろう、本名、清水 三十六(しみず さとむ)、男性、1903年6月22日 - 1967年2月14日)は日本の小説家。
山梨県北都留郡初狩村(現山梨県大月市初狩町下初狩)出身。
旧制横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)中退。
知人の紹介で質屋に住み込みながら、正則英語学校(現在の正則学園高等学校)を卒業。その質屋の名前が山本周五郎質店である。これが筆名となったのは、自身の出世作となった「須磨寺附近」を発表する際に本人の住所「山本周五郎方清水三十六」と書いてあったものを見て、文芸春秋が誤って山本周五郎を作者名と発表した事に由来する。
山本 シュウ(やまもと しゅう、1964年4月24日 - )は大阪府門真市出身のラジオパーソナリティー、アミューズ所属。ニックネームはレモンさん。2児の父でもある。
SATURDAY STORM(エフエム富士 FM-FUJI、土18:00-22:00)
POWER NUTS(エフエム大阪 fm osaka、金25:00-29:00)
エモーショナル・ビート(エフエム東京 TOKYO FM)
スーパーフライデー オールジャパンベスト20(TOKYO FM)
MUSIC QUEST Mt.GROOVE2000(TOKYO FM)
MUSIC QUEST Mt.GROOVE2001(TOKYO FM)
CASTER MUSIC TRAIN(TOKYO FM)
Jay-Land SHUFFLE(fm osaka)
山本シュウの激突!テレファイト(ニッポン放送)
山本シュウのオールナイトニッポン(ニッポン放送)
独占!!Jリーグエキスプレス(ニッポン放送)
山本 七平(やまもと しちへい、1921年12月18日 - 1991年12月10日)は、山本書店店主。評論家。
日本社会・日本文化・日本人の行動様式を「空気」「実体語・空体語」といった概念を用いて分析した。
その独自の業績を総称して「山本学」と呼ばれる。
1921年12月18日、東京府荏原郡三軒茶屋(現在の東京都世田谷区三軒茶屋)で、クリスチャンの両親(山本文之助、山本八重)の間に長男として生まれる。
名の「七平」は神の安息日(日曜)生まれから命名される。兄弟姉妹は姉2人と妹1人。
1937年、青山学院教会で洗礼を受ける。
1942年9月、太平洋戦争中のため、青山学院専門部高等商業学校 高等商業学部を21歳で繰り上げ卒業する。10月、第二乙種合格で徴兵され、陸軍近衛野砲連隊へ入隊。その後、愛知県豊橋市の豊橋陸軍第一陸軍予備士官学校 (日本) 予備士官学校に入学する。
山本 鎮彦(やまもと しずひこ、1920年11月1日 - )は警察官僚。日商岩井航空機疑獄事件や、東京サミット時の警察庁長官。初の非東大法学部出身の警察庁長官。英語、フランス語、ロシア語を使うことのできる国際派として知られ、警察官僚出身者としては初の特命全権大使も務めた。後の三井脩人脈に連なる。
長野県生まれ。横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)、松本高等学校(現信州大学文理学部)を経て1943年東北帝国大学(現東北大学)法文学部法科卒。
高等文官試験行政科試験合格(1943年)
内務省大臣官房人事課勤務
海軍経理学校入学
大日本帝国海軍大尉(1945年)
福井県農務課長