薬師 義美(やくし よしみ、1936年-)はヒマラヤ研究家。京都市出身。立命館大学文学部地理学科卒業、同大学院文学研究科修士課程修了。大谷高校教諭を経て研究者となる。日本のヒマラヤ研究の第一人者として知られ、チベット山岳関係の著書、翻訳書を数多く手掛けている。
著書『新版ヒマラヤ文献目録』(白水社、1994年)で、第1回ゲスナー賞(銀賞)を受賞。
『中央アジア、とくにヒマラヤにおける日本人の探検と登山小史』
『中部ネパール踏査における2,3の観察』
『ネパールの人口と地域構造について』
『ヒマラヤ名峰辞典』
『チベットの報告(1)、(2)』
『白き聖地・ヒマラヤ』
柳楽 優弥(やぎら ゆうや〔本名同名〕、1990年3月26日 - )は、日本の俳優である。東京都東大和市出身。堀越高等学校在学中。スターダストプロモーション所属。
2002年に「友達が所属していて楽しそうだった」という理由で自分も芸能事務所に応募し、主役選びに難航していた映画『誰も知らない』のオーディションで是枝裕和監督に「目に力がある」と主役に抜擢され、子役として活動。
2004年5月22日に、同映画で第57回カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞。同映画祭での俳優部門の受賞は日本人初で、当時14歳での男優賞受賞は史上最年少記録となった。ほとんど無名の俳優だったが、この受賞で一気に注目を浴びることとなる。ちなみに授賞式は本人が中間テストですでに帰国していたため、是枝監督が代理で出席した。2004年8月25日に「文化関係者文部科学大臣表彰」を授与され、2004年10月5日のTIME誌アジア版では「2004Asia”s Heroes」に選出された。
柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年1月7日 - )は、日本の俳優、司会者である。雑木林を利用した庭師 作庭家としても活動している。
2004年4月17日からは「日本野鳥の会」の第5代会長職にある。剣豪として有名な柳生宗矩 柳生一族の末裔である。
妻は二階堂有希子。長男は園芸家柳生真吾。
茨城県土浦市生まれ。茨城県立土浦第一高等学校卒業後、船員を目指して東京商船大学(後の東京海洋大学)に入学するも体調を崩して大学を中退。その後、役者を志して劇団俳優座の養成所へ入り、俳優となる。39歳のとき、NHKの朝の連続テレビ小説「いちばん星」に野口雨情役で出演し、テレビ俳優としての地位を確立する。
八木沼 純子(やぎぬま じゅんこ、1973年4月1日-)は、元フィギュアスケート選手で現在はプロスケーターおよびスポーツコメンテイター。愛称はジュンジュン。
品川中学校・高等学校(現・品川女子学院中等部・高等部)を経て早稲田大学教育学部を卒業。
日本人初の世界ジュニアフィギュアスケート選手権 世界ジュニア2位入賞者である。
カルガリーオリンピックの代表選考会を兼ねた1988年の全日本フィギュアスケート選手権 全日本選手権では、日本人女子は2名の出場枠があり、伊藤みどりが確実視され、2人目は小沢樹里、加藤雅子、結城幸枝の大学生トリオが有力視されていたが、初出場の八木沼は規定演技で首位に立ち、総合で2位入賞して当時若干14歳にして五輪代表を獲得。3位に入賞した佐藤有香とともに中学生旋風を巻き起こした。
八木 裕(やぎ ひろし、1965年6月8日 - )は、岡山県玉野市生まれのプロ野球選手。現役時代は阪神タイガースでプレーした。投打は右投右打。ポジションは内野手・外野手。
岡山県立岡山東商業高等学校 岡山東商業高校卒業後、倉敷オーシャンズ 三菱自動車水島を経て、1986年ドラフト会議 ドラフト3位で阪神に入団する。1989年6月ごろからレギュラーに定着。掛布雅之二世とも呼ばれ、1990年に28本塁打、1991年に22本塁打、1992年に21本塁打を記録するなど長距離砲として活躍した。若手の亀山努、新庄剛志などが台頭し、チームが惜しくも2位に終わった1992年を境に故障もあり次第と出番が減っていった。ついに1軍出場がなくなった1996年オフにはチームの戦力構想から外れかけたが、吉田義男新監督の進言で残留。
八木 秀次(やぎ ひでつぐ、1886年 - 1976年)は、日本の男性工学者である。専門は、無線工学。博士 (工学) 工学博士で、八木・宇田アンテナの共同発明者・教育者としても知られている。
1886年1月28日 大阪府に生まれる
1909年 東京大学 東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業
1913年 ドイツ留学
1919年 東北大学 東北帝国大学工学部教授 工学博士の学位を取る
1925年 八木アンテナの基礎理論を発表
1926年 八木アンテナを特許化
1933年 大阪大学 大阪帝国大学理学部物理学科主任教授
1942年 東京工業大学学長に就任
1944年 内閣技術院総裁に就任
1946年 大阪帝国大学総長に就任するもGHQの公職追放者指定を受けて辞職 日本アマチュア無線連盟会長に就任
八木啓代(やぎ のぶよ、1962年1月13日 - )は、大阪府生まれのラテン音楽 ラテン歌手、作家、随筆家 エッセイスト、ジャーナリスト、音楽コーディネータ。
ラテンジャズ・バンド、ハバタンパ(HAVATAMPA)のリードヴォーカル。声質はソプラノのリリコ・リジェーロ(Lirico Leggero, Soprano)。(ローマ字で苗字は Yagi となるが、活動地域であるラテンアメリカ(スペイン語)向けに Yagui とも綴る)
大阪府立北野高等学校 北野高校、京都外国語大学スペイン語 イスパニア語学科卒業。在学中、政府交換留学生としてメキシコのグアナファト州 グァナファト州立大学で学ぶ。留学中、声楽家としての資質を見抜いたオペラのプリマドンナに勧められ、同大学音楽院でオペラとクラシック音楽を学ぶ。また中南米を放浪して各地の音楽を吸収し、帰国後フォルクローレのバンドなどで演奏活動を開始。
八木 智哉(やぎ ともや、1983年11月7日- )はプロ野球北海道日本ハムファイターズに所属する投手である。背番号は29。
小学生の頃から野球を始めた。高校時は山梨県の日本航空高等学校 日本航空高校に在籍。3年夏の全国高等学校野球選手権大会 甲子園では初戦の鳴門工業高等学校 鳴門工業高校戦で11奪三振の快投を見せるなどし、チームをベスト16に導く。
その後創価大学に進学。1年時からベンチ入りし、大学通算35勝。4年時の2005年の全日本大学野球選手権大会では49奪三振の大会新記録を樹立。同年11月2日に、明治神宮野球大会の出場権を争う白鴎大学と対戦し、完全試合を達成した。
北海道日本ハムはドラフト会議 ドラフト希望入団枠を行使し、八木との契約を締結した(同年11月7日公示)。