森 哲弥(もり てつや、1943年1月 - )は、京都府京都市生まれの現代詩人。近江詩人会会員。滋賀文学会理事。
1967年、立命館大学文学部哲学科心理学専攻卒業後、社会福祉法人「びわこ学園」に勤務。その傍ら「初猟」、「仕事場」、「少年」、「少年玩弄品博物館」など多くの詩集を発表し続け、1977年には「重症心身障害児の教育における教材教具についての研究」で第1回ほほえみ賞を受賞した。また、2001年に発表した詩集「幻想思考理科室」で第51回H氏賞を受賞した。
「第1回ほほえみ賞」(1977年、「重症心身障害児の教育における教材教具についての研究」)
「第51回H氏賞」(2001年、幻想思考理科室」)
森 毅(もり つよし、1928年1月10日 - )は、東京都出身で大阪府育ちの数学者、評論家。専攻は、関数空間の解析の位相的研究。
数学・教育にとどまらず社会や文化に至るまで広い範囲で評論活動を行う。歌舞伎、三味線、宝塚歌劇団は在学中より熱中し、これらも評論の対象としている。
数学教育に関していえば、民間の教育団体である数学教育協議会の活動との関わりが挙げられる。
旧制北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)卒業。
第三高等学校卒業。
1950年東京大学理学部数学科卒業。
1951年北海道大学理学部助手。
1957年京都大学教養部助教授。
1971年同教授。
1991年退官。
同名誉教授。
森 跳二(もり ちょうじ、1982年4月15日 - )は、奈良県田原本町出身の野球選手 プロ野球選手・広島東洋カープ所属の投手。
奈良県立生駒高等学校 生駒高を卒業後、関西外国語大学 関西外大では3年春と4年秋に阪神大学リーグ最優秀投手に選ばれる。2004年ドラフト会議 ドラフト3巡目で同大学史上初、外語大卒で初のプロ野球選手として広島東洋カープに入団する。生駒高から関西外語大という進路はK-1の角田選手と同じらしい。
持ち味はスライダー。
顔が横浜ベイスターズ 元横浜の佐々木主浩に似ていることから「赤大魔神」と呼ばれる。
生年月日 1982年4月15日
身長・体重 184cm・84kg
出身地 奈良県田原本町
森達也(もりたつや、1956年5月10日-)は映画監督、テレビディレクター。広島県呉市出身。新潟県立新潟高等学校を卒業後、立教大学法学部に入学。大学卒業後は自主製作映画、演劇活動を経てテレビ番組制作会社に入社。後にフリーとなる。1997年、オウム真理教を扱ったドキュメンタリー映画『A』を自主制作で発表して以降、多数のドキュメンタリー作品を手がける。2001年『A2』で山形国際ドキュメンタリー映画祭市民賞・審査員賞受賞。近年はメディアや社会問題に対する作品が多い。
『A』(1997年)
『職業欄はエスパー』(1998年)
『放送禁止歌』(1999年)
『1999年のよだかの星』(1999年)
森 正(もり ただし、1921年12月14日 - 1987年5月4日)は、指揮者、フルート奏者である。
東京交響楽団、藤原歌劇団の指揮、京都市交響楽団常任指揮者、九州交響楽団常任指揮者、東京都交響楽団音楽監督兼常任指揮者、名古屋フィルハーモニー交響楽団音楽総監督を経て、NHK交響楽団の正指揮者となる。
日本放送協会 NHK教育放送のフルート教室等にも出演した。
日本の指揮者 もり ただし
1921年生 もりたたし
1987年没 もりたたし
Tadashi Mori
森 孝慈(もり たかじ、1943年11月24日 - )は、広島県福山市生まれ、広島市育ちの元サッカー選手、サッカー日本代表選手、監督。現役時代のポジションはミッドフィールダー。実兄は日本プロサッカーリーグ Jリーグ創設へ大きな舵取り役を果たした森健兒。
1961年、修道高等学校3年の時、国民体育大会 国体優勝。更に全国高等学校サッカー選手権大会 全国高校サッカー選手権で釜本邦茂の京都府立山城高等学校 山城高校を破り日本一、二冠を達成した。早稲田大学政治経済学部自治行政学科に進学し、同僚となった釜本らと早稲田の黄金時代を創る。1964年天皇杯全日本サッカー選手権大会 天皇杯では1年で早稲田26年ぶりの日本一に貢献。1966年には主将として無敵を誇った東洋工業サッカー部 東洋工業(現-サンフレッチェ広島)を天皇杯で破り日本一。これは天皇杯、最後の学生優勝である。1967年日本サッカーリーグ(JSL)の三菱重工業サッカー部 三菱重工(現-浦和レッドダイヤモンズ)に入団。杉山隆一、横山謙三らと1969年、日本リーグ四連覇中だった東洋工業を、またも倒し初優勝するなど主力選手として活躍。ミドルシュートの名手として知られた。JSLでは146試合28得点。またサッカー日本代表 日本代表では国際Aマッチ55試合出場2得点の記録を残し、1964年の東京オリンピック、1968年、メキシコオリンピックでも活躍、メキシコオリンピックの銅メダル獲得にも貢献した。
森 大輔(もり だいすけ 1982年8月31日 - )はプロ野球横浜ベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)、背番号は50。
1999年 - 全国高等学校野球選手権大会 夏の甲子園の石川県予選1回戦で23奪三振でノーヒットノーランを記録。
2000年 - 腰痛などを理由に挙げ、プロ入りを希望せずに三菱ふそう川崎に入社。
2002年 - JABAベーブルース杯争奪大会 ベーブルース杯MVPを受賞、アジア競技大会野球日本代表に選ばれる。
2004年 - ドラフト会議 ドラフト自由枠で横浜に入団 しかし腰痛の悪化や肘の故障、さらにイップスに陥り、二軍戦ですら満足な投球が出来ず、シーズン後に行われたフェニックスリーグでの登板後、左肘の疲労骨折が判明した。
森 荘已池(もり そういち、1907年5月3日 - 1999年3月13日)は、日本の作家。
岩手県盛岡市出身。本名:森 佐一(もり さいち)。旧制盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)、東京外国語大学ロシア語科中退。岩手県在住で最初の直木賞作家。宮沢賢治と深い親交があり、賢治作品や賢治に関する文章を多く残している。
1940年 『店頭』で芥川龍之介賞 芥川賞候補。
1943年 『蛾と笹舟』で第18回直木三十五賞 直木賞受賞。
1994年 第4回宮沢賢治賞受賞。
『店頭』
『山畠』
『蛾と笹舟』
日本の小説家 もり そういち
直木賞受賞者 もり そういち
森 青花(もり せいか、1958年 - )は京都大学文学部独文科卒の小説家(SF作家)。
1999年、第11回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞受賞作品『BH85』でデビュー。
さよなら
短編、エッセー収録本は次の通り。
教室(光文社文庫)
ああ、恥ずかし(新潮文庫)
紅と蒼の恐怖(ノン・ノベル) - 短編『砲丸のひと』
紫迷宮(祥伝社文庫)
邪香草(祥伝社文庫)
夏のグランドホテル(光文社文庫)
短篇ベストコレクション2002(徳間文庫)
日本の小説家 もり せいか
SF作家 もり せいか
1958年生 もり せいか
森 章剛(もり しょうごう、1979年5月22日 - )は、平成期(2006年~)の北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手である。ポジションは外野手。背番号は44番。登録名が「ショーゴー」、「章剛」、「森」と頻繁に変わっている。
藤蔭高では高校通算44本塁打の記録をもつスラッガーとして、1997年のドラフトで中日ドラゴンズが2位指名をして入団。2001年5月1日の対読売ジャイアンツ戦で野村貴仁投手(当時の登録名は野村空生)より塩瀬盛道、小室光男、森厚三、ドン・シュルジー、福留宏紀に次ぐ6人目のプロ初打席初球ホームランを打つがその後伸び悩み、スイッチ転向の試みも度々繰り返している。
安田亨と並ぶ代々木ゼミナール 代ゼミから駿台への移籍組。東京大学 東大文系と理系 理系や医科大学 医科大・医学部など、大学入試における最高レベルの数学の講義を行うことのできる数少ない講師。計算がとても早く、また、講義においては、マイクロフォン マイクについた紐を使って黒板にたちどころに正確な円 (数学) 円を描く。この技は山本矩一郎譲りである。
石川県金沢市生まれ
東京大学理学部物理学科卒業
:大学生の頃から大学への数学の執筆を行う。
東京大学大学院理学系研究科博士課程修了(理学博士)
:大学院博士課程在籍時より代々木ゼミナール講師
(岡本寛・上原格)『受験数学攻略法 Level 1 (入門編) 数学I』 (代々木ライブラリー, 1992)