葉室 鱗(はむろ りん)は、日本の小説家。
西南学院大学卒業。江戸時代元禄期の絵師尾形光琳と陶工尾形乾山の兄弟を描いた「乾山晩愁」がデビュー作。歴史文学賞を受賞した。2005年に出版された「乾山晩愁」(新人物往来社)には歴史文学賞受賞作のほか「永徳翔天」「等伯慕影」「雪信花匂」「一蝶幻景」。元新聞記者で、ラジオニュースデスク、フリーライターなどを経て作家に。50歳から創作活動に入って4年で文壇デビューした。
日本の小説家 はむろ りん
北朝鮮による日本人拉致問題(きたちょうせんによるにほんじんらちもんだい)は、1977年から1983年にかけて、多数の日本人が朝鮮民主主義人民共和国の工作員などにより極秘裏に拉致、誘拐、監禁されたとされる問題。
日本政府が認定した拉致被害者は16人(男性8人、女性8人)で、このうち13人(男性6人、女性7人)について北朝鮮政府側も拉致を公式に認めた。
平成17年4月27日、政府認定拉致被害者に兵庫県神戸市、元飲食店員拉致事案が追加された。
北朝鮮の国家成立当初から、北朝鮮は武力行使を辞さぬ形で朝鮮半島を統一することを標榜してきた。この点においては韓国も同じ態度のまま(李承晩の北進統一論)であったが北朝鮮が韓国に侵攻し朝鮮戦争に突入した。だが北朝鮮側の事前の予期に反して国連軍が韓国防衛の為尽力し、中国軍の侵略支援を招き国土の荒廃と、南北分立の固定化という惨憺たる結果に終わった。
浜村 弘一(はまむら ひろかず、1961年2月8日 - )は元ファミ通 週刊ファミ通編集長で現在は株式会社エンターブレイン代表取締役社長、株式会社メディアリーヴス取締役。ペンネームは浜村通信、通称ヒゲ。大阪府出身。
1985年に早稲田大学卒業後、「ファミコン通信」(のちの週刊ファミ通)に創刊から携わる。1990年に副編集長、1992年に編集長へ就任。2002年ファミ通編集長を加藤克明(バカタール加藤)に代わる。
阪神タイガースの大ファンである。また「天からトルテ!」(近藤るるる)、「いい電子」(みずしな孝之)など、週刊ファミ通連載の漫画の多くに本人として登場している。
現在のゲーム業界において、その発言が最も影響力を与えるといっても過言ではないと言える。特に民放テレビ番組における家庭用ゲーム機関連のニュースにおいては「ゲーム評論家」として最も多く出演するのは浜村である。
浜村 淳(はまむら じゅん、1935年1月10日 - )は、日本のタレント、パーソナリティ、映画評論家、司会者。本名、塩浜 真(しおはま まこと)。
京都府京都市出身。京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部卒業。毎日放送 MBSラジオの「ありがとう浜村淳です」のパーソナリティ パーソナリティーを30年以上担当している。
所属事務所は渡辺プロダクション→吉本興業→昭和プロダクションである。
「さてみなさん」(みにアクセント)のフレーズでもお馴染み。関西地方で毎朝流れるラジオ番組、「ありがとう浜村淳です」の司会を1974年から続けており、朝の8時からほとんどCM無しで喋り続け、驚異的な聴取率を誇っている。1980年代からは大平サブローが緻密なものまねを披露しており、人気を得ている。
濱ノ嶋 啓志(はまのしま けいし、1970年3月21日-)は熊本県宇土市出身の元大相撲力士。三保ヶ関部屋所属。本名は濱洲圭志。身長179cm、体重131kg。最高位は西小結(1994年9月場所)。現・年寄尾上圭志。
熊本工業大学附属高校(現・文徳高等学校 文徳高校)時代から全国大会に出場し、日本大学では高校時代からの同級生・坂本(元幕内肥後ノ海直哉 肥後ノ海・現木瀬親方)と共に活躍した。その坂本と共に三保ヶ関部屋に入門し、1992年1月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。1993年1月場所には十両に昇進し、1994年1月場所に新入幕を果たした。小兵だが前褌を取ると力を発揮し、大勝こそなかったが着実に番付を上げて行き同年9月場所には最高位の小結に昇進した。6勝9敗と負け越し関脇には昇進できずに終わったが、その後も幕内中上位で相撲を取り続け安定した成績を残した。しかし、糖尿病を患ってからは精彩を欠く相撲が多くなり2001年5月場所を最後に十両に陥落した。十両でも成績が残せず2002年3月場所には幕下まで陥落した。この時点で既に年寄・尾上を取得しており、引退かとささやかれたが「満足するまで相撲を取り続けたい」と心に決め幕下に陥落しても長く相撲を取り続けた。2004年5月場所中に現役を引退し、年寄・尾上を襲名した。
髙濵 竜郎(たかはま たつろう、1976年11月23日-)は、 熊本市出身の大相撲力士。追手風部屋所属。最高位は東前頭11枚目。身長182cm、体重127.5kg。趣味は音楽鑑賞。幕内時代の四股名は濵錦 竜郎。
小学校時代から相撲を始め、熊本工大高等学校(現・文徳高等学校)時代から全国大会に出場し、日本大学では、田宮啓司(現・琴光喜啓司 琴光喜)や加藤精彦(現・高見盛精彦 高見盛)らと共に活躍した。卒業後は九州電力への入社が内定していたが、全国大会2位だったので追手風部屋に入門し、1999年三月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。以降、順調に番付を上げて行き2000年七月場所に十両に昇進し、2001年五月場所には入幕を果たした。四つ相撲で、一時は幕内に定着しかけたが2002年七月場所を最後に十両に陥落。十両に下がっていた2003年七月場所には、右膝を故障し幕下に陥落。以降、十両と幕下を往復する生活が現在も続いているが、幕内復帰を目指して土俵に上がり続けている。
濱中 治(はまなか おさむ、1978年7月9日 - )は、和歌山県田辺市出身。平成期(1990年代後半~)の阪神タイガース所属のプロ野球選手(外野手)。背番号は5。
和歌山県立南部高等学校では投手として、また打順は主に1番で活躍するも甲子園出場は逃す。その後高校通算51ホームラン 本塁打の実績を買われ、1996年ドラフト会議 ドラフト3位で阪神タイガースに入団した。そのときの入団会見では「阪神甲子園球場 甲子園で場外ホームランを打ちたい」と発言し、和製大砲到来と期待される。入団1年目からウエスタン・リーグで4番を打ち、球団では掛布雅之以来となる高卒新人でのスタメン出場を果たすなど頭角を現すが、1軍と2軍を往復する日々が続いた。
浜名 千広(はまな ちひろ、1969年11月11日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手で、現在は野球評論家、野球解説者 プロ野球解説者である。ポジションは内野手。
小学3年生から野球を始める。
1991年 東北福祉大学からドラフト会議 ドラフト3位で福岡ソフトバンクホークス 福岡ダイエーホークスに入団。端整な顔立ちで女性の人気に。
1992年 アマチュアナンバーワン遊撃手 ショートと呼び声高く、若田部健一投手と共にルーキーイヤーから一軍に定着。同年、オールスターゲーム (日本プロ野球) オールスターゲームにファン投票で選ばれる。
1994年 藤本博史 (内野手) 藤本博史、吉永幸一郎らと下位打線を支える。確実性のある打者ではなかったが、時折放つ長打などで、弱小時代のダイエーを支えた。