根本 匠(ねもと たくみ、昭和26年(1951年)3月7日 - )は、政治家。福島県郡山市出身。
建設省職員を経て、平成5年(1993年)の第40回衆議院議員総選挙 衆議院議員総選挙で旧福島1区から自由民主党 自民党公認で初当選。このとき、元衆議院議員の粟山明から地盤を引き継いだ。以降、5回連続当選。宏池会に所属。厚生政務次官、内閣府副大臣などを歴任。同副大臣時代には内閣総理大臣補佐官(行政改革・食品安全担当)を兼務した。平成18年(2006年)9月26日、安倍内閣の発足に伴い内閣総理大臣補佐官(経済財政担当)に就任。
安倍晋三
渡辺喜美 渡邉喜美
塩崎恭久
石原伸晃
日本の国会議員 ねもとたくみ
根元 俊一(ねもと しゅんいち、1983年7月8日 - )は、千葉ロッテマリーンズ所属のプロ野球選手。ポジションは内野手(二塁手、遊撃手)。背番号は32番。
花咲徳栄高等学校 花咲徳栄高校で甲子園本大会にも出場している。東北福祉大学へと進学して、2004年の第53回全日本大学野球選手権大会 大学野球選手権で1番打者として優勝に大きく貢献した。6月16日の決勝では日本大学の先発・那須野巧(現横浜ベイスターズ)から3打数1安打という成績を残している。
大学での活躍を経て2005年オフ、千葉ロッテに大学・社会人ドラフト会議 ドラフト3巡目で指名を受け、入団。2006年5月10日に初めて1軍に昇格し、5月11日 翌日に代走で初出場。そして、ついに5月13日に休養の西岡剛に代わって「1番・遊撃手 ショート」で初めてスターティングメンバー スタメン出場した。結果は4打数無安打に終わったものの、初安打よりも先に敬遠されてしまうという面白い現象が発生した(#その他 当該項に詳細)。その後は、スタメンや途中出場で存在感は示した。しかし打率が2割弱と低かったためか、昇格してからちょうど1か月後の6月9日に2軍落ちしてしまった。数字的に見ると1軍の投手の投球に相当苦しんだようだが、2軍では打率.343を打って首位打者獲得が決定的であるなど打撃の素質を感じさせる。
根深誠(ねぶか まこと、1947年 - )は、日本のルポライター、登山家。青森県弘前市出身。明治大学山岳部OB。
『遥かなるチベット』(中央公論新社)で第四回JTB紀行文学大賞受賞。
他に著作として『風の瞑想ヒマラヤ』『白神山地をゆく』『ヒマラヤを釣る』(以上、中央公論新社)などがある。
白神山地の保護活動や世界遺産登録で大きな役割を果たす。
ゴッラゾム、シャハーンドク初登頂を果たした他、ヒマラヤ山脈 ヒマラヤ遠征を多数こなす。
ヒマラヤの雪男の正体を発表して、大きな反響を呼んだ。
登山家 ねふか まこと
1947年生 ねふかまこと
根津嘉澄(ねづ よしずみ、1951年10月26日 - )は東武鉄道の代表取締役社長(在任:1999年6月 - )。
根津嘉一郎 (初代) 初代根津嘉一郎は祖父、根津嘉一郎 (2代) 二代目根津嘉一郎は父に当たる。東京大学出身。
東武鉄道代表取締役社長
東京急行電鉄取締役
蔵王ロープウェイ取締役会長
松屋取締役
富国生命保険監査役
東洋大学顧問
東武鉄道 人ねつよしすみ
根津 甚八(ねづ じんぱち)
真田十勇士のひとり。→根津甚八 (真田十勇士)
俳優。→根津甚八 (俳優)
根津嘉一郎(ねづかいちろう)
根津嘉一郎 (初代)(1860年8月1日(万延元年6月15日 (旧暦) 6月15日) - 1940年(昭和15年)1月4日)
根津嘉一郎 (2代)(1913年(大正2年)9月29日 - 2002年(平成14年)2月15日)
ねじめ 正一(ねじめ しょういち、男性、1948年6月16日 - )は日本の詩人、小説家。本名は祢寝 正一(よみは同じ)。東京都生まれ。日本大学第二高等学校卒業。青山学院大学経済学部中退。阿佐ヶ谷で民芸店「ねじめ民芸店」を営む。草野球チーム「ファウルズ」に所属し、年間数十試合をこなすほどの野球好き。熱狂的な長嶋茂雄、読売ジャイアンツ 巨人ファンとしても有名。TBS番組審議会委員。テレビ朝日「スーパーモーニング」で亀田父と討論した、ガッツ石松氏に対して「つまらなかった」と発言
中日スポーツ第18793号5版9面より(2006/8/10)
1981年 - 詩集『ふ』により、第31回H氏賞を受賞。
根食真実(ねじき まみ、1985年10月25日 - )は、日本の歌手である。東京都八王子市出身でオスカープロモーション所属。2004年に堀越高等学校を卒業した。
1997年に第7回全日本国民的美少女コンテストで音楽部門賞を受賞した。国民的美少女コンテストで同期の上戸彩(審査員特別賞受賞)、西脇愛美、藤谷舞(ともに本選出場)とZ-1 (女性アイドルグループ) Z-1を結成。上戸のソロデビューに伴いZ-1は活動停止、以後はソロデビューに向けてのレッスンの傍らソロでライヴ活動してきた。ライヴでは元Z-1の西脇や同じ事務所に所属しており国民的美少女コンテストでも同期の松下萌子(マルチメディア賞受賞)と共演してきた。
根來 泰周(ねごろ やすちか、1932年(昭和7年)7月31日 - )は、和歌山県和歌山市生まれの弁護士で、第11代日本野球機構コミッショナーを務めている。第18・19代公正取引委員会委員長。
和歌山県立向陽中学校・高等学校 和歌山県立向陽高等学校、京都大学法学部を卒業。京大在学中に司法試験と国家公務員I種試験に合格。法曹への道を選び、1958年(昭和33年)に札幌地方検察庁検察官 検事に任官された。
1985年(昭和60年)12月、法務大臣官房長
1988年(昭和63年)6月、法務省刑事局長
1990年(平成2年)6月、法務事務次官
1993年(平成5年)12月、東京高等検察庁検事長を歴任。
1995年(平成7年)7月、定年退官。
根来 龍之(ねごろ たつゆき、1952年9月19日 - )は、三重県出身の経営情報学者。専攻は、ネットビジネス論、ビジネスモデル論、システム方法論。京都大学文学部社会学専攻卒業、慶應義塾大学大学院経営管理研究科(MBA)修了。鉄鋼メーカー、英ハル大学客員研究員、文教大学などを経て、2001年早稲田大学商学部教授。同大学大学院商学研究科教授。早稲田大学IT戦略研究所所長(2003 - )。
Systems Research誌Editorial Board、経営情報学会誌編集長、Systems Practice誌International adviser、CRM協議会副理事長、組織学会評議員、国際CIO学会理事(同学会誌編集長)などを歴任。
『代替品の戦略』(2005)(東洋経済新報社)
猫田 勝敏(ねこだ かつとし、1944年2月1日 - 1983年9月4日)は、広島県広島市安佐南区(当時は安佐郡安古市町)出身の元バレーボール選手一覧 日本男子バレーボール代表選手。
東京オリンピックから4大会連続でオリンピック出場を果たしメダルを金・銀・銅の3個を獲得、世界一のセッター (バレーボール) セッターと称された。
バレーどころ安古市に生まれ、小学校時にバレーボールを始める。中学校時代では9人制でセンターを務めていた。バレーの名門崇徳学園 崇徳高校に進み、当時の監督の稲葉正文(故人)にセッターとしての素質を見出され、全国大会で優勝を果たす。高校卒業後に地元、日本専売公社広島地方局(現日本たばこ産業株式会社広島支店)に入社、専売広島(現JTサンダーズ)に入部した。直後に当時の全日本監督松平康隆の目にとまり、1964年、20歳で東京オリンピックに出場し銅メダルを獲得する。これ以降、猫田はバレーボール全日本男子 全日本男子の正セッターとして不動の地位を築いていく。1968年、再び松平康隆監督の下でメキシコオリンピックで銀メダルを獲得し、翌1969年のワールドカップでベストセッター賞を受賞した。
猫背椿(ねこぜ つばき、1972年10月17日 - )は、東京都出身の女優。
劇団「大人計画」に所属。跡見学園短期大学卒。
1991年、松尾スズキ、宮藤官九郎の劇団「大人計画」に入団。
2005年、ライフカードのCMに「専務の娘」役として、オダギリジョーとともに出演。
「吾輩は主婦である」(2006、TBS)
「今夜ひとりのベッドで」(2005、TBS)
「タイガー&ドラゴン」(2005、TBS)
「こちら本池上署」(2004、TBS)
「マンハッタンラブストーリー」(2003、TBS)
「ほんとにあった怖い話3」~『染み』 (2003、フジテレビ)
「マルサ!!」(2003、フジテレビ)
「薔薇の十字架」(2002、フジテレビ)
「恋ノチカラ」(2002、フジテレビ)