最近の有名人・芸能人 姓名判断 1518

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最近の有名人・芸能人 姓名判断 1518

野口武彦

野口 武彦(のぐち たけひこ、1937年6月28日 - )は、東京都出身の文芸評論家、国文学者。専攻は近世文学及び日本の近現代文学史 近現代文学、日本思想史。江戸の時代精神を研究。また、三島由紀夫論や谷崎潤一郎論などを展開。
ハーバード大学客員研究員。
プリンストン大学客員教授。
神戸大学文学部助教授。
同教授。
同名誉教授。
早稲田大学第一文学部卒業。
東京大学文学部卒業。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。
『谷崎潤一郎論』で亀井勝一郎賞。
『「源氏物語」を江戸から読む』で芸術選奨。
『江戸の歴史家――歴史という名の毒』でサントリー学芸賞。
『江戸の兵学思想』で和辻哲郎文化賞。

野口聡一

野口 聡一(のぐち そういち、Souichi NOGUCHI、1965年4月15日 - )は、神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身の日本人宇宙飛行士である。彼の初飛行はSTS-107コロンビア (オービタ) コロンビア号の事故後、アメリカ航空宇宙局 NASA・スペースシャトル運航再開、最初の打ち上げとなった2005年7月26日のミッションSTS-114にミッション・スペシャリストとして乗船した事である。
父親の仕事の関係で、3歳より兵庫県揖保郡太子町 (兵庫県) 太子町に移り住む。斑鳩保育園を経て斑鳩小学校へ入学、小学5年時までを同町で過ごす。現在、太子町名誉町民。
茅ヶ崎市立浜須賀中学校、神奈川県立茅ヶ崎北陵高等学校、東京大学工学部航空工学 航空学科卒、東京大学大学院工学研究科 工学系研究科航空学専攻修士課程修了。

野口茂樹

野口 茂樹(のぐち しげき、1974年5月13日 - )は、プロ野球・セントラル・リーグ、読売ジャイアンツ所属のプロ野球選手(投手)。
1999年の最優秀選手 (野球) MVP左腕で、変化の多彩な球種 (野球) スライダーが決め球。しかし、彼の持つ球種は直球とこれだけであり、直球の威力が薄れ気味のため2006年は正念場である。
趣味は絵画(水彩画)で、その腕前はプロレベルといわれ、プロをクビにされたらそれで食っていけると一部のファンから言われている。中日時代は選手寮に10年近く居座った事などから、チームメイトより「宇宙人」と称されたことも(退寮後もアパートやマンションなどを借りることはせず、ホテル住まいをしていた。これは炊事、洗濯をするのが面倒臭い程のものぐささからと言われており、車も免許こそ持っているもののほとんど乗らず、ホテルからタクシーで球場に行ってたらしい)。中村武志が中日の正捕手を務めていた頃、ヒーローインタビューでの決まり文句は「中村さんのおかげです」であった。そのことをネタにし、オールスターに登板し、キャッチャーが谷繁だったにもかかわらず、「中村さんのおかげです」というインタビューを受ける4コママンガ(オレたちゃドラゴンズ)があった。審判からボールを貰う際、マウンド上で必ず帽子を脱いで礼を表す等、礼儀の良さは折り紙付き。

野口五郎

野口 五郎(のぐち ごろう、 本名:佐藤 靖 さとう やすし、1956年2月23日 - )は岐阜県美濃市出身の歌手・俳優で、新御三家の一人として1970年代の日本を代表し、歌の上手さをアピールして活躍した男性アイドルである。妻は三井ゆり。子供は一女一男。実兄は作曲家の佐藤寛。歌うギタリストとして絶大な評価を得て、現在は「Gプロデュース」の代表として会社経営をこなしている。
本来、家族会議で「直樹」と命名するつもりだったが、父親が許可を得ずに「靖」という名前で、出生届けを出したという。
3歳から歌い始め、1966年10月にフジテレビの「ちびっこのどじまん」で、荒木一郎の『今夜も踊ろう』を歌い、優勝する。

野口健

野口健(のぐち けん、1973年8月21日 - )はアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン (マサチューセッツ州) ボストン市出身の登山家。亜細亜大学国際関係学部卒業後、青森大学大学院で環境教育学を専攻。
立教英国学院高等学校在学中に植村直己の著書と出会い登山を始める。1999年に七大陸最高峰の最年少登頂記録を更新、以後、メディアにも積極的に顔を出し、エベレスト、マナスル、富士山などの清掃登山を精力的に行っている。
母親はエジプトとギリシアとフランスとレバノンの4つの血が流れている。父雅昭は元外務省官僚。兄哲也は三菱商事の商社マン。祖父省己は太平洋戦争時、ビルマ作戦の参謀だった。

野際陽子

野際 陽子(のぎわ ようこ、1936年1月24日 - )は、昭和後期・平成期(1960年代 - )の日本の俳優 女優。
元NHKアナウンサー。陰険な姑役を演じさせると彼女の右に出るものは居ないほどのハマリ役である。
富山県富山市生まれ。東京都杉並区天沼で育つ。
生年月日は市原悦子と同じ。
立教女学院中学校・高等学校を経て、1958年立教大学文学部英米文学科卒業。
大学時代、劇団テアトルジュンヌに所属。第4回公演「アルデール」や第11回公演「アンフィトリオン38」(アルクメーヌ役)などに出演。劇団テアトルジュンヌの後輩には、相島一之がいる。相島とは大河ドラマ「新選組!」、「TRICK 劇場版」で共演

野川由美子

野川 由美子(のがわ ゆみこ、本名・山像(やまがた)由美子(旧姓・野川)、1944年8月30日-)は、京都府京都市出身の女優。京都府立朱雀高等学校卒業。
高校在学中、ミス着物コンクールの準ミスに選ばれたのがきっかけとなって芸能界入り。
1963年、NETテレビ(現・テレビ朝日)のドラマ『孤独の賭け』で女優デビュー。
翌1964年、鈴木清順が監督した「肉体の門」で映画にも進出。以降、時代劇から現代劇、シリアスからコメディまで幅広く出演した。
1971年、関西テレビ放送のディレクター・山像信夫と結婚後しばらくは、関西を中心に舞台やテレビに活動の重点を移した。
代表作としては、舞台で『夫婦善哉』、テレビでは“必殺シリーズ”、『桃太郎侍』などがあり、結婚後の映画には「北陸代理戦争」、「おんな六丁目・蜜の味」、「花いちもんめ。」、「流転の海」などがある。

野上義二

野上義二(のがみ よしじ・男性)は日本の官僚、外交官。
1961年、東京都立日比谷高等学校卒業、東京大学教養学部卒業。1965年、外務省入省。中近東・アフリカ局審議官、総合政策局審議官、駐香港総領事、経済局長、外務審議官、事務次官を歴任。現在駐英大使。
経済外交と中東問題を得意とし、中東和平問題に深くかかわった。また、九州・沖縄サミットではシェルパ(首脳の個人代表)を務めた。外務省の論客として知られ、しばしば総合雑誌などに寄稿している。
田中真紀子の外務大臣就任以後、外務省内の人事も大幅な見直しを強制された。
「指輪騒動」以後、それが事務次官の人事にまで及ぶ混迷を極める中で前任の川島裕の辞任を受け、経済畑ながら事務次官に就任するも、総理官邸と意思疎通を交わす中で、アフガン復興会議でのNPO処遇の事務当局の不手際もあって、田中氏と差し違う形で共に辞任することになる。その後次官経験者としては異例の降格という形で駐英公使となり、英国王立国際問題研究所の研究員も兼ねていたが、駐英大使に昇格した。

野上弥生子

野上 弥生子(のがみ やえこ、本名:野上 ヤヱ(のがみ やゑ)、旧姓小手川、1885年5月6日 - 1985年3月30日) は、日本の小説家。大分県臼杵市生まれ。
14歳の時に上京し、明治女学校に入学。夏目漱石門下の野上豊一郎と結婚。「ホトトギス」に『縁』を掲載してデビュー。以来、99歳で逝去するまで現役の作家として活躍する。法政大学女子高等学校名誉校長も努め、「女性である前にまず人間であれ」の言を残す。
昭和初年のプロレタリア文学が流行した時代には、社会進歩の活動のなかにあった非人間的な行動を追及した『真知子』を発表する一方で、思想と行動について悩む青年に焦点をあてた「若い息子」「哀しき少年」などを書き、また戦争への傾斜の時期には時流を批判した『黒い行列』(戦後、大幅に加筆して長編『迷路』に発展させる)と、良識ある知識階級の立場からの批判的リアリズムの文学を多く生み出した。中条(宮本)百合子や湯浅芳子とも交友をもち、『真知子』は、百合子の『伸子』を意識して書いた作品であるといわれ、1920年代の女性の生き方を描いた作品として日本文学に大きな位置を占めている。第二次世界大戦勃発の時期にはちょうど夫とともにヨーロッパに滞在しており、その前後の紀行文『欧米の旅』は、この時期の激動の証言として価値が高い。

能海寛

能海寛(のうみ ゆたか, 1869年(明治元年) - 1901年(明治34年)?)は、チベットを探検した真宗大谷派の僧、仏教学者。
島根県那賀郡 (島根県) 那賀郡波佐村(現在の金城町)長田にある浄蓮寺住職の能海法憧の次男として生まれる。京都に出て、西本願寺の普通教校で学んだのち、慶応義塾、哲学館(現在の東洋大学)で学ぶ。哲学館では、南条文雄に多大な影響を受ける。
1893年(明治26年)、『世界に於ける佛教徒』を自費出版し、その中で、チベット大蔵経の原典入手の重要性、チベット探検の必要性を説いている。
1898年(明治31年)に結婚するも、同年11月、上海に向け神戸港を出港する。

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