中尊寺 ゆつこ(ちゅうそんじ - 、1962年5月28日 - 2005年1月31日)は、東京都出身の漫画家。本名小林 幸子(こばやし ゆきこ)。旧姓藤原(ふじわら)。自分が描いた作品に本名を書くと歌手の小林幸子と混同され、間違われやすいために中尊寺ゆつこと名乗った。なお、ペンネームは「ゆつこ」であって促音ではない(しばしば「Yutsuko Chusonji」という欧字表記を併用していた)
小学生の頃、漫画がうまい少女としてテレビ出演後、中学生時代にかけて、少女モデル (職業) モデルとして雑誌などで活躍。芳村真理などを輩出した老舗モデルクラブに所属していた。高等学校 高校在学から大学在学時にかけては女性ロックミュージシャン、ケイト・ブッシュの日本でのファンクラブ会長を務め、会報の編集・発行を行っていた。
中条 省平(ちゅうじょう しょうへい、1954年 - )は、映画評論家、フランス文学者、漫画評論家。神奈川県生まれ。
麻布学園を経て東京外国語大学に進むも中退。専攻学部になじめなかったといわれる。学習院大学仏文科卒業後、フランス留学。フランス政府給費留学生となり、パリ大学文学博士号を取得。東京大学大学院博士課程単位取得修了。学習院大学フランス文学科教授に就任。
近年は漫画評論にも力を入れる。「週刊文春」連載の漫画論「読んでから死ね!現代必読マンガ101」では、浦沢直樹、しりあがり寿、大島弓子、赤塚不二夫、安達哲、新井英樹、荒木飛呂彦、一條裕子、松本大洋、井上雄彦、古谷実、ねこぢる、皆川亮二らを解説した。
中条静夫(ちゅうじょう しずお、本名:中條静雄(ちゅうじょうしずお)、1926年3月30日 ‐ 1994年10月5日)は、昭和中期から平成期(1940年代後半~1990年代前半)の俳優。静岡県出身。
東京都立第二商業学校(現・東京都立第二商業高等学校))卒業。1948年、大映の入社試験に合格し俳優デビュー。以後、エキストラ同然の大部屋暮らしが長く続いたが、1965年から始まった大映制作のテレビドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』(宇津井健主演)に小森隊員役でレギュラー出演し、これがはまり役となり、一気に名優の仲間入りをした。大映倒産後、福田恆存の主宰する現代演劇協会・劇団雲に入団。1976年、「劇団欅」と「劇団雲」が合併した「劇団昴」の旗揚げに参加し、新劇の舞台でも活躍した。NHK朝の連続テレビ小説『雲のじゅうたん』、『赤い衝撃』、『あぶない刑事』(共演:舘ひろし、柴田恭兵、浅野温子、仲村トオル)、NHK朝の連続テレビ小説『京、ふたり』など数多くのテレビドラマに出演。存在感のあるいぶし銀の名脇役として親しまれた。
中座 真(ちゅうざ まこと、1970年2月3日 - )は、日本の棋士 (将棋) 将棋棋士。棋士番号219。北海道稚内市出身。佐瀬勇次門下。
横歩取り8五飛戦法の創始者。その名を取って「中座飛車」と呼ばれることも多い。この戦法が生まれたことによって将棋界の歴史が変わったと言っても過言ではない。
新進棋士奨励会#段級位の昇降 奨励会三段リーグを突破するのに5年11期を要した。第18回三段リーグ最後の一局は敗戦となり12勝6敗で終了、当時26歳の本人は年齢制限による退会を覚悟したが、その後競争相手が立て続けに敗れ奇跡的な逆転で四段昇段が決まった(もう一人の四段昇段者は堀口一史座)。その経緯は『将棋の子』(大崎善生・著)の冒頭に詳しく記されている。また、感動のあまり泣き崩れ壁際にうずくまる場面をとらえた写真は将棋史に残る名ショットとされる。
中願寺雄吉(ちゅうがんじ ゆうきち、明治22年(1889年)3月23日-平成15年(2003年)9月28日)は、2002年から2003年9月まで男性長寿世界一だった男性。
福岡県旧筑紫郡筑紫村(現筑紫野市)生まれ。大正3年(1914年)に結婚(妻中願寺シカ)。旧三井郡三国村(現小郡市)へ移り、養蚕指導員や銀行員を務めた。4男1女の子供に恵まれ、戦後は民生委員などを務めた。
1973年に妻が死去。2000年に男性長寿日本一となり、2002年には男性長寿世界一となった。女性長寿世界一の本郷かまととともに、男女ともに長寿世界一に日本人がなったことでも話題になった。
2003年9月、老衰のため死去。114歳。
Yukichi Chuganji
チャーリー浜( - はま、本名:西岡 正雄(にしおか まさお)(旧姓:浜野)、1942年11月7日 - )は、日本の芸能人、コメディアン。大阪府大阪市浪速区生まれ。近畿大学附属中学校・高等学校 近畿大学附属高等学校卒業。
1960年に花登筐が主宰する「笑いの王国」入り。「笑いの王国」の先輩で、浜が師事していた花紀京と共に1962年6月に吉本に入門。花紀からは厳しく鍛えられた。元々は「浜裕二」を名乗っていたが、1989年に事務所が東京進出にあたり芸名を改称した。アメリカのテレビドラマ「チャーリーズ・エンジェル」にちなむ。「チャーリーズ・エンジェル」の映画版の公開時には、「チャーリー浜ズ・エンジェル」として映画の宣伝に参加した。
北朝鮮による日本人拉致問題(きたちょうせんによるにほんじんらちもんだい)は、1977年から1983年にかけて、多数の日本人が朝鮮民主主義人民共和国の工作員などにより極秘裏に拉致、誘拐、監禁されたとされる問題。
日本政府が認定した拉致被害者は16人(男性8人、女性8人)で、このうち13人(男性6人、女性7人)について北朝鮮政府側も拉致を公式に認めた。
平成17年4月27日、政府認定拉致被害者に兵庫県神戸市、元飲食店員拉致事案が追加された。
北朝鮮の国家成立当初から、北朝鮮は武力行使を辞さぬ形で朝鮮半島を統一することを標榜してきた。この点においては韓国も同じ態度のまま(李承晩の北進統一論)であったが北朝鮮が韓国に侵攻し朝鮮戦争に突入した。だが北朝鮮側の事前の予期に反して国連軍が韓国防衛の為尽力し、中国軍の侵略支援を招き国土の荒廃と、南北分立の固定化という惨憺たる結果に終わった。
茅原 ますみ(ちはら ますみ、本名:笠井ますみ、1964年6月23日-)は、テレビ東京の報道デスク、元アナウンサー。
夫は、フジテレビジョン フジテレビアナウンサーの笠井信輔。
東京都出身。日本女子大学文学部英文学科卒。大学在学中に通ったアナウンス学校で夫と出会い、大学卒業後の1987年、テレビ東京へ入社。ただし、当時のテレビ東京では新卒でのアナウンサーの採用をしておらず(一般職の中からアナウンサー志望者やアナウンサーに適した人物を選抜してアナウンサーとするシステムだった)、一般職で採用され、報道局に配属される。その後一時期1年間だけ秘書室に勤務したが、報道記者として国会などを担当した。そして1995年3月にアナウンス室に異動。すでに結婚しており長男も誕生していた。アナウンサー時代は報道番組を中心に活動し、2005年再び報道局に異動となった。
千原 靖史(ちはら せいじ、1970年1月25日 - )は、お笑いコンビ千原兄弟のツッコミを担当。京都府福知山市出身。吉本総合芸能学院 NSC8期生。既婚。
NSC入学後、当時ひきこもりだった弟の千原浩史(千原ジュニア)を誘い、お笑いコンビ千原兄弟を結成。天然キャラであり、大雑把でひと癖あるツッコミが特徴的である。吉本芸人ではほんこんや岩尾望(フットボールアワー)と並ぶ不細工キャラだが、2002年6月に結婚している(沖縄・宮古島の教会で挙式)。
デリカシーのない無遠慮なキャラクターではあるが、その反面友人が非常に多い。プライベートでの人脈・情報網は並大抵ではなく、『やりにげコージー』『やりすぎコージー・土曜婦人』ではその情報網を利用した企画が放送された。それらの番組ではしばしば私服で登場し、その私服も知り合いがデザインしたものを着用している。
千原ジュニア(ちはら - 、本名:千原 浩史(ちはら こうじ)、1974年3月30日 - )はお笑いタレント お笑い芸人。コンビ「千原兄弟」の漫才#ボケとツッコミ ボケを担当。京都府福知山市出身。吉本総合芸能学院 NSC8期生(卒業はしていない)。2005年、芸名を千原ジュニアに正式に改名。しりとり竜王戦七段。
中学時代は不登校 登校拒否・引きこもりを経験し、高校には進学したが相変わらず引きこもりを続けていた。先にNSCに入学していた兄の千原靖史に誘われ、お笑いの世界に入ることになる。
冠番組を持つと死にかけるという不幸な一面を持っており、急性肝炎、オートバイ事故で2度生死の境をさまようが無事に復帰し、現在に至る。最初の急性肝炎の際には、同じ頃に「ベイブルース」の河本栄得が劇症肝炎で急逝したこともあり、「劇症肝炎」と疑われた。