近衛 十四郎(このえ じゅうしろう、1914年4月10日 - 1977年5月24日)は、戦前から戦後にかけて活躍した時代劇俳優。通常より長い刀を使用し、かつ随一といわれる速い剣捌きで迫力ある殺陣を演じ、時代劇ファンを魅了した。
新潟県長岡市生まれ。 本名、目黒寅彦(めぐろ・とらひこ)。松方弘樹(長男)、目黒祐樹(次男)と二人の息子がともに俳優となったことでも知られる。
市川右太衛門プロダクションに研究生として入団し、日活を経て亜細亜映画『叫ぶ荒神山』で主役デビューを飾る。 その後、第一映画社から大都映画社に移って剣劇スターとしての名声を打ち立てる。1942年7月23日、長男・弘樹誕生。
小西良幸(こにしよしゆき、 1950年10月9日-)は日本のファッションデザイナー。通称ドン小西。三重県津市出身。
明星大学理工学部中退、文化服装学院卒業後、自身のファッションブランド「d.k.f - Produced by Don Konishi」、「FICCE」、「YOSHIYUKI KONISHI」を持つ。セクシーでアバンギャルドなスタイルを提案する。一時期Gacktをブランドのイメージキャラクターに起用していた。
テレビ等へのメディア出演も多く、辛口で独特なファッションチェックでも人気。「週刊朝日」にファッションチェックの連載を持つ他、自動車雑誌「NAVI」にも不定期連載を持つ。
ファッション
ブランド
ファッションデザイナー
小西康陽(こにし やすはる, 1959年2月3日-)は、北海道札幌市出身の作曲家、ミュージシャン。北海道札幌南高等学校卒業、青山学院大学中退。
1984年に結成された音楽グループピチカート・ファイヴのリーダーとして、2001年に解散するまで在籍した。解散後も、そのマニアックな才能とキャラクターを活かし、数々のリミックスアルバムを発表する。ヨーロッパやアメリカを中心に海外での人気も高いミュージシャンでもあり、プロモーションビデオ等でのアートワークにも定評がある。
2000年に大ヒットした「慎吾ママのおはロック」(プロモーションビデオにも出演)、深田恭子の「キミノヒトミニコイシテル」などが有名。2002年には、元スパイダースメンバーの伝説的ミュージシャン・かまやつひろしのリミックスアルバム「我が名はムッシュ」を製作。そういったレコーディングやプロデュース、リミックスに独自のポップセンスが光る音楽オタクとしての評価が高い。 また、最近では「マツケンサンバII」や「魅せられて」などのリミックスも手がけている。その関係でごく稀にテレビ出演もするが、本人も言うように人見知りが激しいらしく、その際ほとんど話さないことが多い。
小西 美帆(こにし みほ、1977年8月13日 - )は岐阜県本巣市出身の女優。
1998年度日本放送協会 NHKNHK朝の連続テレビ小説 連続テレビ小説「やんちゃくれ」のヒロイン・水嶋渚役として女優デビュー。以後、テレビドラマを中心に活躍を続けている。
彼女の祖母は、現在日本でほとんど栽培されることのなくなった雑穀のシコクビエの在来品種を岐阜県の旧徳山村で栽培維持していたことが研究者によって報告されている。
昆虫を美味しく料理できると豪語したグルメ(?)な一面も
朝の連続テレビ小説やんちゃくれ(NHK)主役・渚役
3年B組金八先生(東京放送 TBS) - 小林(旧姓・渡辺)花子(桜中学校家庭科教員)役
小西 真奈美(こにし まなみ、本名同じ、1978年10月27日 - )は鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)出身の俳優 女優、元・モデル (職業) モデル。CATAMARAN(カタマラン)所属。旧所属はユマニテ。
愛称はコニタン(リリー・フランキーが命名)。愛らしい童顔なルックスと長身のスタイルが特徴。身長168cm、B80・W59・H88。血液型AB型。鹿児島県立川内商工高等学校卒業。
エリートモデルルック日本代表を経て雑誌などでファッションモデルとして活躍。
その後、当時同じ事務所であった牧瀬里穂が演技講習を受けていた関係から「北区つかこうへい劇団」に入団し女優に転向、「寝取られ宗介”98」で女優デビューする。同劇団在籍時からテレビでの活躍が多くなり、フジテレビ系『ココリコミラクルタイプ』で一躍人気を獲得。清純な女性役が回ってくることが多いが、『ココリコミラクルタイプ』ではコントでのボケ役などを始め、多面的な演技者としての顔を出している。
小西博之(こにし ひろゆき、1959年9月28日 - )は、和歌山県田辺市出身の日本の俳優。身長は180cm。体重は78kg。中京大学商学部卒業。血液型はA型。趣味は料理、パソコン、釣り、ガーデニング、サイクリング。特技はボクシング、スキー、野球、乗馬、合気道。強面とは裏腹に温厚なキャラクターで知られている。簿記一級や造園鑑定士の資格、一級船舶操縦士免許を保持。
1980年代にTBS系列で放送されたバラエティ番組『欽ちゃんの週刊欽曜日』のレギュラーとして抜擢され、「コニタン」の愛称で欽ちゃんファミリーの一環として人気を博す。同番組内でレギュラーの清水由貴子と『銀座の雨の物語』をデュエットしヒットする。
小西 得郎(こにし とくろう、1896年7月10日 - 1977年6月9日)は、昭和期のプロ野球監督、野球解説者。東京都出身。
三高、日本中学を経て、明治大学に進学し第8代キャプテンとして東京六大学野球連盟 東京六大学リーグで活躍。日本のプロ野球 職業(プロ)野球がスタートした頃には松竹ロビンス 大東京軍、中日ドラゴンズ 名古屋軍で采配を振るった。戦後は1950年に松竹ロビンスを率い、その年のセントラル・リーグ初代優勝に導くなど、日本プロ野球黎明期の偉大な指導者として定評があった。
1950年代後半から日本放送協会 NHKでプロ野球中継の解説者として活躍し、「まぁ、なんと申しましょうか」というおなじみの台詞と、志村正順アナウンサーとの名調子でファンからの絶大なる信頼を集めた。また、ファウルボールがキャッチャーの股間を直撃した際に言葉に詰まったアナウンサーを尻目に、「まぁ、なんと申しましょうか、ご婦人方にはお分かりになられない痛みです」の名言でその場をつないだ逸話も有名。1977年6月9日死去、享年81。
小西 理(こにし おさむ、1958年8月22日 - )は、平成期の政治家。自由民主党所属の衆議院議員。滋賀県出身。
1983年東京大学法学部を卒業。同年三菱重工業株式会社に入社。1986年に長崎造船所勤務となる。1991年 現三井住友海上火災保険株式会社に入社。2000年 販売企画部・EC事業室課長を経て退職。同年衆議院議員で兄の小西哲の第一秘書となる。
2001年 兄・小西哲の死去に伴う衆議院議員補欠選挙にて初当選。橋本派に所属する。2003年、衆議院議員再選。任期中、総務省 総務大臣政務官を務める。
2005年7月5日の郵政民営化法案の衆議院本会議採決では反対票を投じた。このため、2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、自民党に離党届を提出して無所属で滋賀2区から出馬するが落選。