見坊 豪紀(けんぼう ひでとし、1914年11月20日 - 1992年10月21日)は、日本語学者・辞書編纂者である。『三省堂国語辞典』の編纂者として辞書史に大きな業績を残した。
東京都出身(本籍は岩手県盛岡市)。青森県、福島県、当時の南満州を経て、1932年、旧制山口高校入学。1年の病気休学期間を経て卒業。
1936年、東京大学文学部国文科に入学、22歳で上京する。1939年、同大学卒業。
大学院在学中の1939年、金田一京助の紹介で『明解国語辞典』(三省堂)の編纂に関わる。この辞書は、基本的な項目は当時の『小辞林』に基づいているものの、ほぼ見坊の独力により編纂され、「金田一京助編」の文句を冠して1943年に刊行された(後、1952年に改訂版)。
玄葉 光一郎(げんば こういちろう、昭和39年(1964年)5月20日 ‐ )は、平成期における日本の政治家。衆議院議員(5期)。
松下政経塾出身。福島県議会議員(1期)。
昭和39年(1964年)5月20日
福島県田村郡船引町(現:田村市)
上智大学法学部卒業
法学士
福島県議会議員
衆・決算行政監視委員会委員
岳父:佐藤栄佐久(福島県知事)
福島3区
民主党(野田グループ)
福島県総支部連合会代表
衆・第1議員会館522号室
http://www.kgenba.com/ げんば光一郎HP}}
昭和39年(1964年)5月20日福島県田村郡船引町に生まれる。昭和62年(1987年)3月上智大学法学部を卒業する。同年4月松下政経塾に入塾(第8期生)する。平成3年(1991年)福島県議会議員に当選する(自民党所属)。
REDIRECT 日本の漫画家 か行#現代洋子
玄田 有史(げんだ ゆうじ、1964年10月20日 - )は、日本の経済学者、経済評論家。島根県頓原町(現飯南町 (島根県) 飯南町)生まれ。専攻は労働経済学。学習院大学教授を経て東京大学 東大助教授。
2001年に出版した『仕事のなかの曖昧な不安 揺れる若年の現在』によりサントリー学芸賞及び日経・経済図書文化賞授与。同書は、中高年層の雇用(既得権益とみなす)を守るために若年層の雇用を抑制する、日本の民間企業の現状を分析した経済評論。また、2004年の曲沼美恵との共著『ニート――フリーターでもなく失業者でもなく』の出版によりニート問題の第一人者としてジャーナリスティックに知られ、メディア・講演などに出演するようになった。しかし、一方で玄田のニート論に対する批判も提出されている。東京大学社会科学研究所助教授の本田由紀は『「ニート」って言うな!』(光文社新書)の中で玄田のニート観を批判している。
玄田 哲章(げんだ てっしょう、1948年5月20日 - )は、日本の声優。岡山県出身。81プロデュース所属。デビュー当時は、本名である「横居 光雄(よこい みつお)」や、本名から字を一部変えた「横井 光夫」の名前で活動していた。
アーノルド・シュワルツネッガーの吹き替え、『ドカベン』の岩鬼正美、『クッキングパパ』の荒岩一味、『Dr.スランプ#『Dr.スランプ アラレちゃん』 Dr.スランプ アラレちゃん』のスッパマンなどで知られる。
多くの洋画作品で吹き替えを担当、アーノルド・シュワルツネッガーやシルヴェスター・スタローンなどを吹き替えることが多い。特にシュワルツェネッガーは、最近ではほぼ専属状態となっている。
見城 美枝子(けんじょう みえこ、1946年1月26日 - )は、青森大学社会学部教授・エッセイスト・ジャーナリスト・評論家・キャスターで日本リーダー養成協会理事長。
群馬県館林市出身。
群馬県立館林女子高等学校卒業
早稲田大学理工学部建築学科卒。
東京放送 TBSアナウンサーとなる。「ケンケン」の愛称を持ち、美人局アナとして絶大な人気を誇った。進藤晶子・雨宮塔子らの大先輩にあたる。
TBSを退社し、フリーになる。旺盛な好奇心を発揮した体当たりの取材で高い評価を得る。
1981年、24時間テレビ「愛は地球を救う」(第4回、日本テレビ系)で徳光和夫とともに総合司会を務めた。
見城 徹(けんじょう とおる、1950年12月29日-)は幻冬舎代表取締役社長。
静岡県生まれ。県立清水南高校、慶應義塾大学法学部卒業。廣済堂出版に入社したがまもなく退社し、角川書店に転ずる。『野性時代』『月刊カドカワ』などの編集を担当。有力ボディービルダー編集者として知られた。同社社長だった角川春樹のコカイン密輸事件をきっかけに退社し、1993年11月12日に幻冬舎を設立した。
幻冬舎のマークに描かれている「槍を高くかざした人間」のモデルは見城本人で、自らポーズをとって描かせたものである。
ヤクザ ジャーナリズム
日本の実業家 けんしようとおる
編集者 けんしようとおる
源氏 鶏太(げんじ けいた、男性、1912年4月19日-1985年9月12日 )は、日本の作家。富山市出身。旧制富山県立富山商業高等学校卒。
旧制高校卒業後、大阪の住友財閥本社に入社し、経理課長代理まで昇進。戦後の財閥解体後は、住友系の栄泉不動産(現・住友不動産)で総務部次長を務めた。
サラリーマンとして勤務の傍ら、会社を舞台にした人間の悲喜劇を描いた小説を発表し、「サラリーマン小説」の第一人者と呼ばれた。
1951年『英語屋さん』他で第25回直木賞。1956年には作家に専念するため、勤続25年目で会社を退職。1958年より直木賞選考委員。
1935年 『あすも青空』でサンデー毎日大衆文芸欄佳作
研ナオコ(けん なおこ、本名:野口 なを子 のぐち なをこ(旧姓:浅田)、1953年7月7日 - )はタレント・歌手である。ケンズファミリー所属。
身長162センチ、体重51.5キロ。血液型:A型。
芸名の苗字の「研」は、芸能事務所「研音」の「研」から採ったもので、名づけ親は研音創業者の野崎俊夫。
芸能界に入る前は競艇の選手だった。好物は、天下一品のラーメン。
友人は田原俊彦、野口五郎、落合信子など幅広い。また、堺正章を「シャカイシェンシェー」と呼び、芸能界で一番尊敬する人だと述べている。
彼女の娘は小夏・ひとみ・レイナとして活動していた野口ひとみで、母との共演もある。
弦哲也のFTVカラオケグランプリ(げんてつやの-からおけぐらんぷり)は福島テレビで毎週月曜日19:30~20:00(JST)に放送されている視聴者参加型のローカル番組。1997年3月31日開始。
作曲家の弦哲也が審査委員長となって、若者からお年寄りの挑戦者がチャンピオンに対して歌で勝負していく。形としてはNHKのど自慢に近い。勝ち抜いた人はグランドチャンピオン大会に参加し、ハワイ行きの旅行券がプレゼントされる。また、弦哲也賞になった人はエンディングでワンポイントアドバイスで弦哲也に直接歌唱法についてアドバイスが受けられる。
しばらくは今の時間帯ではまつアワーの番組として放送した。
ゲッツ 板谷(げっつ いたや、1964年7月4日 -)は、日本の著作家 ライター。本名、板谷宏一。東京都立川市出身。
パチンコ雑誌でデビューを飾る。当初は金角、銀角というコンビで活動しており、文章は金角、イラスト・漫画は銀角という分担になっていた。
パチンコの旅打ち企画が好評だった。
後に、銀角との仕事への温度差から(ゲッツ談)コンビは解散となり、金角からゲッツ板谷と改名し、単独での活動を開始し現在に至っている。なお、銀角とのコンビは、「日本一凶暴なライター・イラストレーター」としても一部で有名であり、二人をモデルに大沢在昌が「らんぼう」という喧嘩っ早い刑事コンビを主人公にした小説を書いた事もある。また、西原理恵子の漫画「ぼくんち」のこういちくんもゲッツがモデルであると思われる。
劇団離風霊船(げきだんりぶれせん)は日本の劇団。主宰は大橋泰彦と伊東由美子。
1983年、伊東が大橋に劇団結成を持ち掛け、この2人を中心に結成された。劇団名の由来は、スペイン語の「自由」を意味する「リブレ」に漢字を当て、伊東が「最後に船をつけたい」と希望したことからこの名前になった。
1986年、前年に起こった日本航空123便墜落事故 日航機墜落事故を元にして、大橋の作・演出による『赤い鳥逃げた…』を上演、代表作のひとつとなる。翌1987年、大橋の作・演出により『ゴジラ』を上演。翌1988年、この作品で大橋は第32回岸田國士戯曲賞を受賞した。
上演作品は大橋と伊東が交互に執筆している。傾向としては、社会問題や世間に大きな衝撃を与えた事件を取り上げることが多い。近年ではイラク日本人人質事件を基にした『渚家にて』(2004年)や、新潟少女監禁事件を基にした『閉ざされて』(2005年)をなどが上演されている。