唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、唐澤とも、1958年5月22日 - )は、北海道札幌市出身の作家、カルト物件評論家、コラムニスト、パーソナリティ。と学会の発起人の一人で運営委員。雑学王であり、フジテレビジョン『トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~』のスーパーバイザー。「トリビアの泉」の元ネタとなったのが氏の著作『トンデモ一行知識の世界』である。「世界一受けたい授業」の講師としても参加している。ラジオでは、「ブジオ!」(TBSラジオ)の金曜日パーソナリティを経て、冠番組「唐沢俊一のポケット」(TBSラジオ)のパーソナリティを務めている。
実家は、札幌駅近くで薬局を営んでいる(現在は義理の弟が経営)。
唐木 恵子(からき けいこ、1973年7月22日 - )は、東京都出身の元タレント・浪曲師である。白百合学園中学校・高等学校卒業、東京大学教育学部卒。血液型はA型。父親は東京大学教授・唐木英明である。
大学時代は劇団を作り地道に活動していた。日本テレビ放送網 日本テレビの「進ぬ!電波少年」の企画「電波少年的東大一直線」で、東大卒の肩書きを買われて、お笑い芸人の坂本ちゃんの家庭教師役を務め、見事日本大学文理学部合格を成し遂げた(高学歴の人間として会場の観覧客から選ばれたという事になっているが、当然のように仕込み)。以来「ケイコ先生」と呼ばれ、親しまれる。
唐 十郎(から じゅうろう、本名:大靏義英(おおつる よしひで)、1940年2月11日)は、昭和後期から平成期(1960年代後半~)の作家、演出家・舞踏家。
演劇の新テーゼ「特権的肉体論」を提唱して、1963年に状況劇場を旗揚げ。1967年、花園神社に紅テントを建て『腰巻お仙』等公演して話題となる。旗揚げ公演の『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』は、初めて唐十郎のペンネームを使用した作品でもある。状況劇場を解散し、1988年に「劇団唐組」旗揚げ。1997年10月には横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程教授に就任し、学生劇団「唐ゼミ」を指導した。2005年、同大学を定年退職。2005年、近畿大学文芸学部教授就任。
家弓 家正(かゆみ いえまさ、1932年10月31日 - )は、声優、俳優、ナレーター。81プロデュース所属。
東京都出身。
『つや(艶)』っぽく、『はり(張り)』のある声であり、実年齢より非常に若く聞こえる。説得力溢れるナレーションでお馴染み。
主役ではなく、主役に絡む、多少嫌味な役柄を担当することが多い。
悪役が多いのも特徴で、「知性的な悪役」といった感じの役柄が最も多い。そのせいもあって、第一印象では声は低音そうに思えるが、案外キーが高い。『未来少年コナン』でのインダストリア行政局局長のレプカをはじめ、ひとたびこの人が腰を上げると、最高級に役柄にはまっている、本物中の本物の声優である。逆にTVアニメで1~2話だけの出演等のチョイ役は殆ど見かけない。
香山リカ
リカちゃん リカちゃん人形に付けられた設定上の本名。
香山リカ (精神科医)。1にちなむペンネーム。
細野不二彦 作の漫画、『愛しのバットマン』の登場人物。
同姓同名
加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年4月11日 - )は、俳優・歌手・作曲家・タレント。神奈川県横浜市出身(育ちは茅ヶ崎市)。本名・池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは若大将。血液型はA型。
父親は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子。妻は元女優の松本めぐみ、長男でコンピュータグラフィックの会社を経営する池端信宏、次男で俳優の山下徹大(てつお)、長女で元タレントの梓真悠子、次女で女優の池端恵美子。母方の高祖父は公家、500円札にもなった政治家の岩倉具視である。
日吉の慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部卒業後、1960年東宝入社。「男対男」で映画デビュー。渡辺プロにも一時期在籍。
加山 又造(かやま またぞう、男性、1927年9月24日-2004年4月6日)は、昭和~平成の日本画家。
1927年、京都府に西陣織の図案家の子として生まれる。京都市立美術工芸学校、東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業。山本丘人に師事。東京芸術大学名誉教授。日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現した。1997年文化功労者に選ばれ、2003年文化勲章を受章。
「春秋波濤」(1966) 東京国立近代美術館
「雪」「月」「花」(1978) 東京国立近代美術館
「黄山霖雨・黄山湧雲」(1982) 京都国立近代美術館
「墨龍」 身延山久遠寺大本堂天井画
「濤と鶴」 ブリティッシュエアウェイズワールドイメージ尾翼デザイン
佳山明生(かやまあきお(本名:長谷茂浩)、1951年9月19日 ‐ )は、北海道函館市出身の演歌歌手である。1983年のヒット曲『氷雨』で知られている。2004年に函館観光大使に就任。
1970年(昭和45年)に作曲家の古賀政男最後の門下生として師事し、1973年(昭和48年)に美輪明宏(当時の芸名は丸山明宏)より、芸名の佳山明生をもらい、1977年(昭和52年)12月1日に『氷雨』でデビューを果たす。しかし、発売した当初は世間に受け入れられず、以降に発売する曲もヒット曲と呼べるまでにはいかなかった。しかし、1983年(昭和58年)にデビュー曲である氷雨が全日本有線大賞グランプリに選ばれるなど、ヒットの兆しが見え、第5回日本レコード大賞ロングセラー賞を受賞した。
萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006年5月6日)は、アイヌ アイヌ民族のアイヌ文化研究者。日本国籍。アイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。二風谷アイヌ資料館(シシリムカ二風谷アイヌ資料館)を創設し、館長を務めた。政治活動面ではアイヌ初の日本の国会議員(1994年から1998年まで参議院議員)。在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことでも知られる。
1926年 - 北海道沙流郡平取町二風谷(にぶたに)に生まれる。当時すでにアイヌ語を自在に操れる話者は少なくなっていたが、アイヌ語を完全に母語とする祖母に育てられたため、アイヌ語と日本語、2つの言語を母語として身につけた。青年期はアイヌであることから逃避するために出稼ぎに出て、炭焼きや測量士などで生計を立てる。