河合 隼雄(かわい はやお、Hayao KAWAI、男性、1928年6月23日 - )は、兵庫県多紀郡篠山町(現篠山市)出身の心理学者、心理療法家。専攻は分析心理学、臨床心理学。2000年文化功労者。平城遷都1300年記念事業特別顧問。
河合は分析心理学(カール・グスタフ・ユング ユング心理学)を日本に紹介した学者として知られ、以来、日本におけるユング心理学の第一人者とされる。
1952年,京都大学理学部を卒業後,数学の高校教師として働く。その後、京都大学大学院で心理学を学び,フルブライト奨学生としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)へ留学し、クロッパー教授の指導を受け、彼にスイスのチューリッヒで心理学を学ぶ事を勧められる。
河井智康(かわい ともやす 1936年-2006年5月30日)は、日本の海洋学者(農学博士)。東京水産大学(現在の東京海洋大学)卒業。東京都出身。
大学卒業後、水産庁に入庁。水産庁東北区水産研究所資源管理部長を務め、1997年に定年退官。魚類の生態や魚類資源の変動をテーマに研究し、「稚魚を食べるプランクトンの大量発生で、そのとき全盛の魚が減り、別の魚が台頭する」という独自の「魚種交替論」を打ち立てるなど、水産学の発展に大きく寄与した。魚に関する著書も多い。特に、イワシが空前の大豊漁であった1988年に上梓した「イワシと逢えなくなる日」で、今日のイワシの減少を予見したことは特筆に価する。21世紀の水産を考える会代表理事などの要職を歴任した。また、1954年にマーシャル諸島ビキニ環礁付近で第五福竜丸が被爆した事件に注目し、マーシャル諸島で実態調査を行うなど、反核主義者・平和主義者としても知られた。「九条の会」賛同者にも名を連ねていた。
川合 千春(かわい ちはる、1973年4月22日~)は、北海道出身の日本の女優・声優・歌手。
1991年、昭和シェル石油「アイルトン・セナ セナに会いたい」と言うキャンペーンで芸能界デビュー。
くまちゃん(1993年映画)
真・女神転生~デビルサマナー(1997年~1998年、テレビ東京 TX)
世にも奇妙な物語”99春の特別編(1999年、フジテレビジョン CX)
古畑任三郎第3シリーズ 第36回「追いつめられて」(1999年、フジテレビジョン CX)事故死する女性役
火曜サスペンス劇場作品多数(日本テレビ放送網 NTV)
土曜ワイド劇場作品多数(テレビ朝日 ANB(現EX))
へろへろくん(へろへろくんのCV)(2000年~2001年、日本放送協会 NHK)
川合 達夫(かわい たつお、1973年5月2日 - )は、平成時代に活躍したレスリング選手。シドニーオリンピック代表。1994年から国体8連覇。
群馬県立西邑楽高等学校
日本体育大学体育学部
1996年、アトランタオリンピック出場。19位に入る
1999年、世界選手権出場。5位入賞を果たす
2000年、シドニーオリンピック出場。メダルが期待されたが予選敗退
2001年、東アジア大会優勝
「日本人だと思うから勝てないんです、俺はロシア人です」
「レスリングをやるとき、特に試合のときは相手を殺す気でやりなさい。その向こうに真の友情がある」
練習で押さえ込まれた彼のスパーリングの相手に、コーチが冗談交じりで「早く逃げないと死んじゃうよ!」と言ったのに対して、「こっちは殺す気でやってんだよォォ!!!」
川井 貴志(かわい たかし、1976年9月16日 - )は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。ポジションは投手。左投げ左打ち。
1998年のドラフト会議 ドラフト3位で千葉ロッテマリーンズに入団。2002年オフの自主トレでは、同じ左腕の工藤公康に師事して話題を呼んだ。
スライダーを武器に先発・中継ぎ両面で活躍する。2006年5月22日、新里賢捕手との交換トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した。
移籍後はファンからの評価も高くローテーションの一角に入る。
有銘兼久と共にインターリーグ 交流戦では先発を務めた。(2日前は中継ぎでも投げていた。)
河合曾良(かわいそら 慶安2年(1649年) - 宝永7年5月22日 (旧暦) 5月22日(1710年6月18日))は江戸時代の俳諧師。松尾芭蕉の奥の細道における奥州・北陸の旅に同行した弟子。
信濃国下桑原村(現長野県諏訪市)の高野七兵衛の長男として生まれる。幼名は与左衛門。その後、両親が亡くなったため伯母の養子となり、岩波庄右衛門正字と名乗る。12歳の時、養父母が亡くなったため伊勢国長島の親戚の元に引き取られる。
1668年頃より長島藩主松平康尚に仕え、河合惣五郎を名乗る。1681年頃に致仕。江戸の吉川惟足に吉川神道を学ぶ。1689年、松尾芭蕉の奥の細道の旅に同行。
1709年に幕府の巡見使随員となり九州を廻るが、翌年に壱岐国風本(現長崎県壱岐市)で病没。享年62。戒名は賢翁宗臣居士。墓所は壱岐島の能満寺。1740年、没後30年してから故郷・諏訪の正願寺にも墓標が建てられた。
川井 進(かわい すすむ、1980年6月17日 - )は、プロ野球中日ドラゴンズの投手である。背番号は17番。
上田西高では甲子園出場を果たせず、また進学した大東文化大でも2年生の時に首都大学リーグ2部落ちをしてしまうなど、全国大会で投げる機会を得られなかった。日本通運硬式野球部 日本通運で本格派左腕として台頭。即戦力として中日が2004年ドラフト会議において、4巡目に指名した。
身長・体重 1m78cm、73kg
投打 左/左
出身地 長野県北佐久郡望月町(現佐久市)
球歴・入団経緯 上田西高-大東文化大学 大東文化大-日本通運硬式野球部 日本通運-中日ドラゴンズ(2005年 - )
プロ入り年度・ドラフト順位 2004年(4巡)
川合俊一(かわい しゅんいち、1963年2月3日 - 、新潟県西頸城郡青海町(現糸魚川市)出身)は元バレーボール選手、タレント。A型。身長195cm。体重85kg。弟の川合庶は湘南ベルマーレビーチバレーチームヘッドコーチ
日本バレーボール界の名門である富士写真フイルムバレーボールチームのエースとして活躍し、ソウルオリンピックにも出場した。1991年に第一線を退くと、日本人初のプロビーチバレーボール選手として世界各地のツアーに参戦する傍ら、スポーツキャスターとして、日本テレビ放送網 日本テレビ「独占!!スポーツ情報」の司会を担当した。
バレーボール選手時代は、甘いマスクと前髪を垂らしたヘアスタイルで女性の人気を集めた。そのこだわりの前髪は、固めるのにヘアスプレーを1本使い切るという噂もあった。
川合 玉堂(かわい ぎょくどう、男性、1873年11月24日 - 1957年6月30日)本名芳三郎(よしさぶろう)は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家。
1873年、愛知県葉栗郡外割田村(現在の一宮市木曽川町)に、筆墨紙商の長男として生まれる。12歳頃より絵に親しみ、京都にてはじめ望月玉泉門下、後に幸野楳嶺門下で円山・四条派を学ぶ。「玉堂」と号するのは1890年、17歳のとき。この際「春渓群猿図」「秋渓群鹿図」は第3回内国勧業博覧会に入選している。
1896年、23歳のとき上京し橋本雅邦に師事する。岡倉天心、雅邦、横山大観らの創立した日本美術院(1898年)には当初より参加。1900年頃からは私塾「長流画塾」を主宰、1907年には第1回文部省美術展覧会(文展)審査員に任命され、また1915年からは東京美術学校日本画科教授となり、日本画壇の中心的存在の一人となる。1940年には文化勲章を受章。
河井寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8月24日 - 1966年(昭和41年)11月18日)は、日本の陶芸家。彫刻、デザイン、書道 書、文筆などの分野でも優れた作品を残している。
当時の島根県安来町(現在の安来市)の大工の家に生まれる。松江中学(現島根県立松江北高等学校)を経て、1910年、東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科に入学、板谷波山の指導を受けたほか、窯業の科学的研究を行った。1914年卒業後、京都市立陶芸試験場に入所し、2年後入所した東京高等工業学校の後輩・濱田庄司とともに1万種以上の釉薬の研究や、中国陶磁など過去の陶磁の模倣や研究も行った。1920年、五代清水六兵衛の技術的顧問を務めていた縁で京都・五条坂にあった彼の窯を譲り受け、「鐘渓窯」と名づけ制作を開始した。
河合薫(かわい かおる、1965年10月23日 - )は、気象予報士。
元スチュワーデス。その後気象予報士の資格を取得し、テレビ朝日の「ニュースステーション」お天気キャスターでデビュー。東京放送 TBSの報道番組「いちばん!エクスプレス」のメイン(特に、お天気)キャスターも勤めた。
千葉大学教育学部卒業。現在、東京大学大学院医学系研究科博士課程在学中。
2004年10月からサンテレビジョン(月22:00)、ビーエス朝日 BS朝日で放映されている企業のトップを招いたトーク番組「賢者の選択」のナビゲーターも勤めている。
ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回
うえちゃん・山瀬の涙の電話リクエスト
川井 郁子(かわい いくこ、1969年1月19日 - )は、平成期(1990年代~)のヴァイオリニスト・作曲家・大阪芸術大学芸術学部音楽学科教授。
香川県木田郡牟礼町(現・高松市)出身。高松市立屋島中学校-高松第一高等学校音楽科-東京芸術大学卒業。同大学院修了。大阪芸術大学芸術学部音楽学科助教授を経て現職。
ポーランド国立ワルシャワフィルハーモニック・オーケストラ、ニューヨーク・シンフォニックアンサンブル、サレー・アンタル・ジプシー楽団、ブルガリアン・シンフォニー・オーケストラ、読売日本交響楽団、NHK交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団など、国内外のオーケストラと多数共演・レコーディングを行う。