川北 桃子(かわきた ももこ、1974年8月29日 - )はテレビ朝日の広報、元アナウンサー。
静岡県沼津市出身。不二聖心女子学院、聖心女子大学文学部を卒業後、1997年4月1日にアナウンサーとして入社した。
アナウンサー時代は「早起き!チェック」、「やじうまワイド」、「スーパーモーニング」、「スーパーJチャンネル」などの情報番組やミニ番組「都のかほり」のナレーションなどを担当。
2004年4月1日をもって同社広報局宣伝部に異動。異動の理由は不明だが、徳永有美アナ降板後に司会になった「スーパーモーニング」で徳永有美 徳永アナに関する批判を言い、それが原因だとも言われているが、自身も元横綱花田勝 若乃花との不倫をスクープされており、それが遠因とも言われる。
川北 紘一(かわきた こういち、1942年12月5日 - )は平成ゴジラシリーズなどで有名な、日本の特撮監督。株式会社ドリーム・プラネット・ジャパン代表取締役。
東宝・特殊技術課に入社し、円谷英二に師事する。1972年「ウルトラマンA」で特撮を初めて演出した。1976年、『大空のサムライ』で商業映画デビュー。
東宝を定年退職した後、2003年1月、SFX・VFXの制作会社、株式会社ドリーム・プラネット・ジャパンを設立した。
ゴジラ映画や超星神シリーズなどでは、スタジオ内にスモークを貼った上で怪獣を逆光で撮影し、怪獣のシルエットを浮かび上がらせるという手法を使う。また、怪獣は肉弾戦、いわゆるプロレスごっこをしないだろうという考えから、光線技を多用することでも知られる。
川岸 良兼(かわぎし りょうけん, 1966年12月6日 - )は、石川県出身のゴルフ プロゴルファーである。日本大学卒業。身長180cm、体重88kgの大型選手。師匠は尾崎将司で、いわゆる「ジャンボ軍団」(尾崎の指導を受けながら、一緒に練習する弟子たちの集団)のひとりである。これまでに日本ゴルフツアー機構 日本ゴルフツアーで「6勝」を挙げている。
10歳からゴルフを始め、1989年にプロ入り。直ちに1990年の「静岡オープン」でツアー初優勝を遂げ、「関東オープン」と「ABCラークカップ」(ABCチャンピオンシップ・ゴルフトーナメントの当時の名称)にも優勝して、一気に年間3勝を記録する。1991年にも「ポカリスエットオープン」で優勝。新人選手としての目覚ましい躍進ぶりに加えて、大柄な体格から“怪物”と呼ばれた。しかし、その後すぐにスランプに悩むようになる。それ以後のツアー優勝は、1995年のJCBクラシック仙台と1999年の「フィリップモリス・チャンピオンシップ」がある。(当大会は名称変更が多く、川岸にとっては9年ぶり2度目の優勝だった。ABCチャンピオンシップ・ゴルフトーナメントの項目を参照のこと。)この後再び極度の低迷に陥り、日本ゴルフツアーのシード権(賞金ランキング70位以内)を失って悪戦苦闘したこともあった。
川岸 強(かわぎし つよし、1979年9月12日-)は、プロ野球中日ドラゴンズの投手である。背番号は41番。
トヨタ自動車硬式野球部 トヨタ自動車では、エースとして都市対抗野球に出場。即戦力を期待され中日に入団した右のサイドスロー。
身長・体重 1m74cm、70kg
投打 右/右
出身地 神奈川県相模原市
血液型 B
球歴・入団経緯 学校法人桐蔭学園 桐蔭学園高-駒沢大学 駒大-トヨタ自動車硬式野球部 トヨタ自動車-中日(04 - )
プロ入り年度・ドラフト会議 ドラフト順位 2003年(7巡目)
35試合 1勝1敗0セーブ 44投球回 36奪三振 18与四死球 防御率4.09
日本の野球選手 かわきし つよし
中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 かわきし つよし
河上 倫逸(かわかみ りんいつ、1945年 - )は法学者。専門は西洋法制史。
東京都生まれ。東京都立日比谷高等学校等を経て、1974年京都大学大学院法学研究科博士課程中退。法学博士。
京都大学法学部助手、同助教授を経て、1984年同教授。この間マインツ大学ドイツ研究所客員教授、ウィーン大学法学部客員教授、ベルリン自由大学客員教授等を歴任。
『多神教世界における日常の法』(晃洋書房,2005年)
『法史学者の課題』(未來社, 2004年)
『ゆらぎの法律学』(風行社, 2001年)
『ゆらぎの法律学』(風行社, 1999年)
『ゆらぎの法律学』(風行社, 1997年)
『社会システム論と法の歴史と現在』(未来社, 1991年)
川上 優子(かわかみ ゆうこ。1975年8月1日生まれ)は、1990年代後半~2000年代初期に活躍した陸上競技女子選手。1996年アトランタオリンピック(7位入賞)と2000年シドニーオリンピック(10位)は共に女子10000m代表として出場した。現在は日本女子プロゴルフ選手を目指し修業中。沖電気に所属。
1996年6月、日本選手権では女子10000mに出場、当時の日本新記録で優勝した鈴木博美に惜しくも敗れたが2位に入り、この成績でアトランタ五輪代表に選ばれた。その後8月の五輪本番で川上は予選を無事通過、そして決勝でも五輪初出場とは思えない積極的なレースを見せる。終盤に入るとさすがに川上は苦しい表情になりながらも粘り強く走り続けた。そして千葉真子の5位に次いで、川上も見事7位に食い込んだ。長距離トラック種目で日本女子が二人同時に入賞するのは、五輪史上初めての快挙であった(鈴木博美は16位)。
川上 麻衣子(かわかみ まいこ、1966年2月5日 - )はスウェーデン出身の日本の女優。慶応義塾大学通信教育部卒業
デビュー作は「白夜の時代」。1980年、3年B組金八先生第2シリーズでメジャーとなる。翌年にはアイドルとして歌手デビュー。1983年には写真集「暑い国 夢の国 生まれた国」(篠山紀信撮影)で17歳にして初ヌードを披露。1996年、中学時代の同級生だったバッグデザイナーの清彰久氏と結婚するが、2000年に離婚した。
3年B組金八先生第2シリーズ(東京放送 TBS、1980年)
空白の900分(NHK、1980年)
母の殺意(日本テレビ放送網 日本テレビ、1982年)
青が散る (テレビドラマ) 青が散る(TBS、1983年)
川上 弘美(かわかみ ひろみ、1958年4月1日(昭和33年) - )は、日本の小説家。東京都出身。お茶の水女子大学理学部生物学 生物学科卒業。幻想的な世界と日常が織り交ざった描写を得意とする。作品のおりなす世界観は「空気感」と呼ばれ、内田百間 内田百閒の影響を受けた独特のものである。代表作は、『神様』『センセイの鞄』など。
1958年4月1日(昭和33年) - 東京都で生誕。
1994年(平成6年) - 「神様」で第1回パスカル短篇文学新人賞を受賞し、デビュー。
1995年(平成7年) - 「婆」が第113回芥川龍之介賞 芥川賞候補作品となる。
1996年(平成8年) - 「蛇を踏む」で第115回芥川龍之介賞 芥川賞を受賞。
名前=川上直子
本名=
愛称=ハワイ、なおちゃん
カタカナ表記=カワカミ ナオコ
アルファベット表記=KAWAKAMI Naoko
原語名=
原語表記=
国=日本
誕生日=1977年11月16日
出身地=兵庫県明石市
身長=156cm
体重=
血液型=
所属チーム名=日テレ・ベレーザ
ポジション=ミッドフィールダー MF、ディフェンダー (サッカー) DF(SB)
川上哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - ) は第10代関西経済連合会会長、日本万国博覧会記念協会会長。2001年勲一等瑞宝章受章。東京都出身。
東京商科大学(現・一橋大学)卒業後、住友電気工業入社。同社取締役会長、関西情報センター会長などを経て、1994年から1997年まで関西経済連合会会長を務める。1997年に日本万国博覧会記念協会会長就任。
著書に『日本型経営の叡知』『西暦2050年の日本人へのメッセージ』(ともに共著)。
日本の実業家 かわかみ てつろう
1928年生 かわかみ てつろう
川上 哲治(かわかみ てつはる、1920年3月23日 - )は、熊本県球磨郡大村(現人吉市)出身のプロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者。左投げ左打ち。
現役時代から「野球の神様」と言われ、また監督としては読売ジャイアンツの黄金時代を築き上げ、V9(9年連続日本一)を達成した。愛称は「打撃の神様」、「哲」、「ドン川上」。現役では最高齢のプロ野球解説者(日本放送協会 NHK)であり、その長寿ぶりから最近では「球界の森繁久彌」と呼ぶ声も。
元は右投げ右打ち。5歳の時に砂利道で転んで右腕を負傷。経過が悪く完治に半年ほどかかり、治る頃には左利きになっていた。その後暫くは左投げ右打ち。
川上 澄生(かわかみ すみお、1885年(明治28年) - 1972年(昭和47年)9月1日)は、日本の版画家。
神奈川県出身。
明治28年、横浜市に生まれる。
大正10年、版画を制作。宇都宮中学(現・宇都宮高校)英語教師となる。
大正15年、国画会に「初夏の風」出品。棟方志功を感激させ、版画家への転向を決意。
昭和2年、処女詩画集「青髯」頒布。
昭和10年、版画本「ゑげれすいろは人物」刊行。『へっぽこ先生』を名乗る。
昭和24年、宇都宮女子高校講師となる。第1回栃木県文化奨励賞受賞。
昭和33年、退職、版画制作に専念。
昭和47年、没。享年77。
命日(洋燈忌)には現在も法要が営まれる。