大石 友好(おおいし ともよし、1954年1月15日 - )はプロ野球選手。現役時代は西武ライオンズ、中日ドラゴンズで活躍した。ポジションは捕手。引退後は西武でコーチを務め、現在は福岡ソフトバンクホークスのバッテリーコーチである。
西武時代の1982年・1983年に2年連続のリーグ優勝、日本一を経験したが、1985年キャンプイン直前に田尾安志外野手との交換トレードで杉本正 (野球選手) 杉本正投手とともに中日に移籍した。中日移籍後は中尾孝義・中村武志の控えとして活躍し、1988年のリーグ優勝に貢献した。1987年8月9日、プロ初登板の高卒新人投手近藤真市 近藤真一のノーヒットノーランをサポート。1991年限りで引退。
大石 大二郎(おおいし だいじろう、 1958年10月20日 - )は静岡県静岡市駿河区出身のプロ野球選手。ポジションは内野手(二塁手)。右投げ右打ち。1987年から1990年まで登録名を大石 第二朗とした。現役時代は「さわやか大ちゃん」として親しまれた。身長166cm 体重71kg 背番号4
静岡県立静岡商業高等学校 静岡商で2回全国高校野球選手権大会 甲子園に出場。故・久保寺雄二(後に福岡ソフトバンクホークス 南海に入団。1985年死去)は同級生。亜細亜大学 亜大に進み、東都大学リーグではシーズン最多盗塁記録を樹立。1980年にドラフト会議 ドラフト2位で大阪近鉄バファローズ 近鉄に入団した。1年目の1981年は代走や守備固めの出場が多く、77試合の出場で打数はわずか19であった。翌1982年に打率.274、12本塁打、47盗塁の成績で最優秀新人 (野球) 新人王を獲得。1983年には60盗塁で盗塁王のタイトルを獲得し、福本豊の連続盗塁王記録を13年で止めた。通算では盗塁王のタイトルを4度獲得。1993年に35歳で盗塁王を獲得し、最年長記録となった。大阪ドームが完成した1997年限りで引退。
大石 慎三郎(おおいし しんざぶろう、1923年9月6日-2004年5月10日 )は愛媛県出身の日本史学者。
東京大学文学部国史学科卒業。専門は日本近世史で、江戸時代が舞台となったNHK大河ドラマの時代考証を数多く担当した。また、いわゆる貧農史観や鎖国などこれまで一般的だった江戸時代のイメージを覆す研究をしたことでも知られている。
高崎短期大学、神奈川大学助教授、学習院大学経済学部教授、史料館長、経済学部長を歴任。
財団法人徳川黎明会林政史研究所長
『享保改革の経済政策』
『日本近世社会の市場構造』
『元禄時代』
『江戸時代』
『江戸転換期の群像』
『虚言申すまじく候』
大石 静(おおいし しずか、1951年9月15日-)は、東京都出身の作家・エッセイスト・脚本家。日本女子大学文学部国文科卒業。
1981年、永井愛と共に二人だけの劇団「二兎社」を旗揚げし、交互に脚本を担当。1991年脚本に専念するために俳優を廃業し二兎社を退団。
トップスチュワーデス物語(1990年・TBS(出演:山田邦子、唐沢寿明など))
ヴァンサンカン結婚
おとなの選択
わたしってブスだったの?
徹底的に愛は
長男の嫁
ふたりっ子(放映1996年・日本放送協会 NHK)(出演・岩崎ひろみ・菊池麻衣子・三倉茉奈・佳奈 三倉茉奈・三倉佳奈・内野聖陽・段田安則など)
Days (放映1998年・フジテレビ)(出演・長瀬智也・金子賢・小橋賢児など)
大石 吾朗(おおいし ごろう、本名・興石秀之、1946年11月20日 - )は、神奈川県出身のディスクジョッキー DJ、タレント、俳優。ホリプロ所属。
本名でグループ・サウンズ GSグループ「ジ・エドワーズ」のヴォーカリストとしてデビュー。日本テレビ、ニッポン放送 (ラジオ) の番組、「コッキーポップ」では、今も語り継がれる伝説のDJだった。また俳優としては「スクール☆ウォーズ」にイヤミな教師役で出演した。
2004年10月4日~2005年10月、静岡放送(SBS)のローカルテレビ番組「とく報!4時ら」でメインキャスター(月~木曜)を務めた。音楽活動では、ワイルドワンズの島英二と結成した「SOSバンド」で活躍。
大石 清(おおいし きよし)は1940年4月3日・静岡県静岡市 清水市(現・静岡市清水区)出身のプロ野球選手。右投右打の投手、野球解説者。
静岡県立静岡商業高等学校卒業後、広島東洋カープ 広島カープに入団。同期入団選手にはのちにオリックス・バファローズ 阪急ブレーブスでもコーチとして同僚となる上田利治がいた。
選手の給料もままならない弱小・広島において1年目から39試合に登板し、投手陣の柱となる。2年目からは3年連続して20勝をあげ、衰えの見えた長谷川良平に代わりエースにのし上がった。剃刀に似た速球ストレートとスライダーを武器にカープ史上最速のピッチャーと称された。1960年、1962年、1964年とオールスターゲーム (日本プロ野球) オールスターゲームに出場。
大碇 剛(おおいかり つよし、1972年6月16日-)は京都市西京区出身の元大相撲力士。伊勢ノ海部屋所属。本名は齋藤剛。身長177cm、体重135kg。最高位は東前頭11枚目(2000年3月場所)。現・年寄甲山。
高校時代には全国大会の優勝経験があり、同志社大学でも全国大会で活躍した。大学の1年先輩である土佐ノ海敏生 土佐ノ海のいる伊勢ノ海部屋に入門。大碇の四股名で1995年3月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。小兵のため幕下上位で苦労したが着実に番付を上げて行き、1997年5月場所に十両に昇進した。幕下と十両を往復した時期もあったが1998年11月場所には新入幕を果たした。立会いから一気にぶつかって行く正統派の突き押し相撲で期待されたが、幕内定着はならなかった。2002年7月場所を最後に幕内から遠ざかると、十両での土俵が続いた。怪我もあり2004年9月場所には幕下に陥落。十両復帰を目標に土俵に上がったが2勝5敗と負け越した。翌11月場所で3勝4敗と負け越したのを最後に現役を引退。準年寄・大碇を襲名した。現在は年寄・甲山として後進の指導に当たっている。尚、関取時代には地元の京都放送からニュースで今日の大碇と題し取り組みの結果を紹介していた。
大井 久士(おおい ひさし、1963年10月22日 - )は、西武ライオンズに所属したプロ野球選手。ポジションは捕手。1987年限りで現役を引退、現在は西武のブルペン捕手 チームスタッフである。
投打 右/右
出身地 宮崎県都城市
血液型 A型
球歴・入団経緯 宮崎県立都城西高等学校 都城西高 - 西武ライオンズ(1982年-1987年)
プロ入り年度・ドラフト順位 1981年(ドラフト外)
宮崎県出身の有名人一覧
根本陸夫
広岡達朗
森祇晶
東尾修
伊原春樹
伊東勤
日本の野球選手 おおい ひさし
西武ライオンズ及びその前身球団の選手 おおい ひさし
皇司 信秀(おうつかさ のぶひで、1971年2月18日-)は、大相撲力士。兵庫県三木市出身。入間川部屋所属。得意手は突き押し、寄り、いなし、猫だまし。アマチュア相撲出身。最高位は西前頭4枚目(2001年7月場所)。身長176cm、体重151kg。趣味はビデオ鑑賞。本名は大内 信英(おおうち のぶひで)。
金属加工業の二男で、祖父と父が相撲好きだった影響で子供の時から相撲好きで力士を志し、三木中学校で相撲を始めて市川高校相撲部では国民体育大会や全国高等学校相撲選手権大会で団体優勝に貢献し、日本大学相撲部では全日本相撲選手権大会で活躍した。高校と大学では大日ノ出崇揚 大日ノ出の1年後輩である。
逢坂 誠二(おおさか せいじ、男性、昭和34年(1959年)4月24日 - )は、平成期における日本の政治家。衆議院議員(1期)。元北海道虻田郡ニセコ町 ニセコ町長(3期)。北海道虻田郡ニセコ町出身。
昭和34年(1959年)4月24日
北海道虻田郡ニセコ町
北海道大学薬学部卒業
薬学士
北海道虻田郡ニセコ町長
衆・総務委員会委員
衆・憲法調査特別委員会委員
比例北海道ブロック
民主党
地方自治体局長代理
衆・第1議員会館740号室
http://www5a.biglobe.ne.jp/~niseko/ 逢坂誠二の公式サイト}}
北海道ニセコ町に生まれる。北海道倶知安高等学校、北海道大学薬学部を卒業。1983年地元のニセコ町に入庁し、企画広報係長、財政係長などを歴任した後、1994年にニセコ町長選に出馬し、現職の町長を破り当選する。なお、当時35歳で国内最年少の首長であった。
逢坂 剛(おうさか ごう、1943年11月1日 - )は、東京都文京区生まれの推理作家。誕生日がいかりや長介と同じである。
本名は中 浩正。挿絵画家の中一弥の息子。開成中学・高校を経て、中央大学法学部へ進学。卒業後は博報堂に勤務する傍ら、執筆活動を行う。1997年には同社を退社し、専業作家となった。神田 (千代田区) 神田神保町にオフィスを構える。ギターとフラメンコをこよなく愛し、スペインを舞台にした作品が多い。日本推理作家協会理事長。
初めて手がけた本格歴史小説『重蔵始末』が好評である。
1980年 -『暗殺者グラナダに死す』により第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。