大西清右衛門(おおにしせいえもん)は、千宗旦#千家十職 千家十職の釜師。大西家は、室町時代後期から400年以上続く京釜師の家。四代目当主が清右衛門をなのり、六代目以降九代目をのぞき、代々の当主は清右衛門という名を継いだ。京都市中京区の三条釜座(かまんざ)に工房があり、「大西清右衛門美術館」も併設されている。
現在は十六代清右衛門が当主。十五代の長男として京都に生まれ、大阪芸術大学美術学部彫金科卒業。父が隠居の後、1993年に十六代清右衛門を襲名した。
浄林 (1594 - 1682) :(五郎左衛門)
浄清 (1594 - 1682) :(五郎左衛門) 古田織部、小堀遠州らにつかえ、茶釜師としての大西家の基礎を確立した。
大西 健丞(おおにし けんすけ、1967年5月29日 - )は、NGOピースウィンズ・ジャパン(PWJ)の統括責任者。
大阪府出身。NGOの人道援助を支えるため政府、企業などが資金・人材・ノウハウなどを出し合う「ジャパン・プラットフォーム」の設立に尽力し、現在その理事。国際ボランティア会理事も務める。
2002年、政府主催のアフガニスタン復興支援会議への出席をPWJなど2団体が拒否されたことをきっかけに、自民党の鈴木宗男衆院議員(当時)と対立。田中真紀子外相(同)の更迭など政界を揺るがす騒動に発展したことで、世間の耳目を集めた。
大阪市北区で誕生。父は読売新聞記者、母は高校教師。私立上宮中学校・高等学校 上宮高校を卒業後、1987年、上智大学文学部新聞学科に入学。経済学者の村井吉敬らに影響を受け、フィリピン、インドネシアで農村開発NGOの活動に接した。
大西 巨人 (おおにし きょじん,1919年8月20日-) は、福岡県福岡市出身の小説家・評論家である。福岡中学(現:福岡県立福岡高等学校)卒業、九州帝国大学文学部退学 中退。元毎日新聞社記者。本名は、大西巨人( -のりと)。
1950年代前半には新日本文学会の事務局に勤務し、会の組織再編を担当しながら評論を書く。このとき、会再編の方法と、評論のなかでの野間宏『真空地帯』への評価をめぐって宮本顕治と論争する。『真空地帯』批判論文の標題「俗情との結託」は今日では文芸批評用語として定着している。
戦前の日本軍を舞台にした大長編小説『神聖喜劇』を著す。この作品には、野間宏の『真空地帯』が日本軍隊を描ききっていないという大西の問題意識が反映している。最初は雑誌『新日本文学』に掲載されたが、大西が新日本文学会を退会したために、最後のほうは書き下ろしで刊行された。この題名は、ダンテ・アリギエーリの『神曲』 ”La Divina Commedia” (神聖なる喜劇(ディヴィーナ・コメディア)) から採ったものである。
大西麻恵(おおにし あさえ、1983年11月16日-)は京都府城陽市出身の女優。バグジー所属。特技:水泳・乗馬・書道八段
2000年、東京放送 TBSドラマ「君のままで」でデビュー。その後、数々のドラマで活躍し、2004年10月より順次公開された映画「1リットルの涙」で主役・木藤亜也役を好演し、映画初主演を果たす。
君のままで(TBS)
朝の連続テレビ小説てるてる家族(日本放送協会 NHK)
どこイク(毎日放送)
暴れん坊将軍(テレビ朝日)
朝の連続テレビ小説ほんまもん(NHK)
金曜時代劇 はんなり菊太郎(NHK)
かるたクィーン(NHK)
ドラマ愛の歌パパ・トールド・ミー(NHK)
ほんとうにあった怖い話(フジテレビジョン フジテレビ)
大南 正瑛(おおなみ まさてる、1931年 - )は、日本の研究者(工学博士)。京都府生まれ。立命館理事・前総長。
社団法人日本私立大学連盟常務理事、文部科学省大学設置・学校法人審議会常任委員、大学入試センター運営委員、財団法人大学コンソーシアム京都副理事長、文部科学省大学設置分科会運営委員、同省中央教育審議会専門委員、同省大学評価・学位授与機構評議員を歴任。
1954年 1954(昭和29)年、立命館大学理工学部機械工学科卒業
1955年 1955(昭和30)年、京都大学助手
1960年 1960(昭和35)年、工学博士号取得(京都大学)
1961年 1961(昭和36)年、立命館大学助教授
1967年 1967(昭和42)年、立命館大学教授
大中 恩(おおなか めぐみ、1924年7月24日 - )は、東京生まれの作曲家。
父は『椰子の実』の作曲者である大中寅二。詩人、作家の阪田寛夫は従弟にあたる。父親が教会のオルガニスト兼合唱指揮者であったことから歌を愛好するようになった(聖歌隊の女の子に惹かれたからだとも語っている)。1942年に東京音楽学校(現東京芸術大学)作曲科入学。学徒動員で海軍に召集された。1943年の混声合唱曲『わたりどり』(詩:北原白秋)は戦地で果てる覚悟で書いたという。1945年同校卒業。この頃の歌曲集「五つの抒情歌」、就中『しぐれに寄する抒情』(詩: 佐藤春夫)『ふるみち』(詩:三木露風)は畑中良輔が初演し、現在でも愛唱されている。その後1955年に中田喜直ら5人と「ろばの会」を結成。特にこどものための音楽をライフワークとし、現在も精力的な活動を続けている。
大鳥 れい(おおとり れい、1973年11月6日 - )は、大阪府池田市出身。渋谷高校出身。平成期(1990年代~)の女優。元・宝塚歌劇団花組娘役トップスター。79期生で、同期には次期雪組トップスター水夏希をはじめ、未来優希・立樹遥・朝比奈慶・秋園美緒・貴咲美里・南城ひかり等がいる。
安定した実力と華やかな美貌に加え、娘役の枠にとらわれない存在感と演技力が魅力であった。
歌劇団退団後も、その華やかさと実力を活かし、舞台を中心に活躍を続けている。
プロ野球選手の中村紀洋(オリックス・バファローズ)とは高校の同級生。
1991年、宝塚音楽学校に入学。
1993年に宝塚歌劇団に入団し、月組の「グランドホテル」「BROADWAY BOYS」(涼風真世のサヨナラ公演)で初舞台を踏んで、花組に配属となる。
鳳 蘭(おおとり らん、1946年1月22日 - 神戸市出身)は、元宝塚歌劇団星組 (宝塚歌劇) 星組男役トップスターでミュージカル俳優 女優。愛称ツレちゃん。身長170㎝、血液型A型。
もともとは中国籍で,本名は 荘芝蘭(ツエン・ツウレン)であったが、近年日本国籍取得、現在の戸籍名は
荘田蘭 (しょうだ・らん)である。
神戸中華同文学校卒業後、1962年に宝塚音楽学校に入学。
1964年に宝塚歌劇団に50期生として入団。『花のふるさと物語』で初舞台。
1970年、『僕は君』で星組トップスター就任。
1976年の『ベルサイユのばらⅢ』にはフェルゼン役で出演し、第1次『ベルサイユのばら』ブームを巻き起こして、榛名由梨、汀夏子、安奈淳とともに「ベルばら四強」の異名をとった。
大友柳太朗(おおとも りゅうたろう、本名・中富正三、1912年6月5日 - 1985年9月27日)は、日本の俳優。山口県出身。
(正式には「友」の右上に「丶」を付与した文字だが、一般表示ができない)
松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)卒業後、新国劇に入り、辰巳柳太郎に師事する。
1936年新興キネマ京都撮影所に入り、芸名を「大友柳太郎」とし、山本周五郎原作の『青空浪士』で映画デビュー。大ヒットした『佐賀怪猫伝』に主演し、スターの仲間入りを果たす。角川映画 大映合併後の、オールスターが共演した『維新の曲』の演技は特に好評だった。
戦後、復員し、芸名も「柳太朗」と改め、佐伯清監督の『加賀騒動』で山田五十鈴と共演し、映画界に復帰。1953年、東映に入社し、『怪傑黒頭巾』に主演。評判になり、黒頭巾役者として子供の人気の的になった。特に殺陣の鮮やかさは誰もが認めるところだった。
大友直人( おおとも なおと、1958年 - )は、日本の指揮者。
桐朋学園大学を卒業。
1986年から1988年は、日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者として活躍。1991年からは東京交響楽団の正指揮者、2004年からは同団の常任指揮者として活躍している。
2001年からは京都市交響楽団の常任指揮者にも就任している(1995年から正指揮者、1996年から首席指揮者に就任していた。2004年からアーティスティック・アドヴァイザーを兼任)。
また2000年春より創設された琉球交響楽団のミュージック・アドヴァイザーに就任、2001年3月には同楽団の設立コンサートを指揮、以来琉響のステージにもしばしば立つ。
大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 1973年1月27日)は日本の編集者、SF研究家、映画評論家、翻訳家。別名、大伴秀司。「怪獣博士」と呼ばれた。
国際ジャーナリスト四至本八郎(ししもと はちろう)の息子として東京市本郷区の順天堂病院に生まれる。本名は四至本豊治(ししもと とよじ、のち「よしもと」と読みを改める)。1938年から父の任地メキシコで育ち、アステカのピラミッドや石像から大きな影響を受ける。このときの体験が、のちに怪獣の生みの親となる素地を築いたといわれている。
1941年10月に帰国。戦時中は母親の郷里である福島に疎開。戦後、東京に戻り、品川区立御殿山小学校から慶應義塾普通部を経て慶應義塾高等学校に進み、3年のとき佐藤俊(筆名紀田順一郎)と知り合う。1958年、慶應義塾大学文学部東洋史学科を卒業し、慶應義塾大学法学部政治学科3年次に学士入学。大学では推理小説同好会で活躍。
大友 康平(おおとも こうへい、1956年1月1日 - )は、日本のロックバンド/ハウンド・ドッグ (ロックバンド) ハウンド・ドッグのボーカリスト。
東北学院大学経済学部卒業。宮城県塩竈市出身。その後、青森県弘前市、千葉県松戸市、埼玉県入間郡越生町と引越しを繰り返す。幼少時代から、街のカラオケ大会等で熱唱し、その片鱗を見せる。本格的に音楽を始めたのはグループサウンズ・ザ・タイガースが好きだった父の影響。一番衝撃を受けたのはキャロル (バンド) キャロルと言う。高校は埼玉県立川越工業高等学校へ行き、ヤンチャしながらも、武者小路実篤等を愛読する読書家でもあった。その時の経験が後の大学、ハウンド・ドッグへの礎となる。
大友 克洋(おおとも かつひろ、1954年4月14日 - )は、日本の漫画家、映画監督。宮城県登米郡迫町(現在の登米市迫町)出身。同郷、同高校(宮城県佐沼高等学校)出身に故石ノ森章太郎がいる。
ペンタッチにたよらず、大胆な画面構成に背景などを極端に細部まで克明に描き込むジャン・ジロー・メビウスから影響を受けた画風が特徴。
劇画の時代から漫画の時代への回帰の時期に現れた大友克洋のスタイルは、当時の新進漫画家に多大な影響を与え、多くの亜流的な画風・表現方法を持つ漫画家が現れた。『AKIRA』以降は海外でも知名度が上がり評価が高く、アニメ映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(監督:押井守)とともに洋画の映像手法やカット割りに影響を与えた。
大富 敬康(おおとみ ひろやす、1956年 - )は、兵庫県神戸市生まれの経営評論家、神戸大学助教授。本名、長田貴仁。
同志社大学文学部英文学科卒業。早稲田大学大学院社会科学研究科修士課程修了(企業・経済動態)。ジャーナリスト 新聞記者として活躍した後、ビジネス誌「プレジデント」副編集長、主任編集委員に。その後、明治学院大学教員を経て神戸大学助教授。
名義は全て大富敬康。
『ベンチャースピリットの研究―ケーススタディー三洋電機』
『変わる松下 生まれ変わった日産―「純日本企業」と「外資流入企業」に見る二つのV字回復』
『田中耕一の「自分を活かす」術』
『カルロス・ゴーン 人を動かす技術―「個」の特性を活かし、集団パワーを発揮させよ!』