羽海野 チカ(うみの ちか)は日本の女性漫画家。8月30日生まれ。東京都足立区出身。高校時に漫画家デビュー。その後、卒業と同時にデザイン会社に就職、デザイナー、イラストレーターを経て本格的に漫画を描き始める。自身は美大には通っていない。また、「スラムダンク」、高村薫作品などの二次創作で同人活動をしていた。
代表作は、美大を舞台とした『ハチミツとクローバー』(2005年アニメ化)、愛称は「ハチクロ」。2003年、同作で第27回講談社漫画賞を受賞。
ペンネームの由来は読みきり作品の「海の近くの遊園地」からとったものである。
ハチミツとクローバー
自身の作品である「ハチミツとクローバー」のあとがきにもあるように、ハリーポッターとラピュタが好きらしく、自らをオタクと称することがある。
冲方 丁(うぶかた とう、1977年2月14日 - )は日本のライトノベル作家、SF作家、ゲーム制作者、漫画原作者、アニメ制作者。岐阜県生まれ。4歳~9歳までシンガポール、10歳~14歳までネパールで過ごす。早稲田大学政治経済学部中退。小説のみならずメディア (媒体) メディアを限定せず幅広く活動を展開する。
1996年 -『黒い季節』で第1回スニーカー大賞金賞を受賞し、デビュー。
2003年 -『マルドゥック・スクランブル』で第24回日本SF大賞受賞。
2006年 -『マルドゥック・スクランブル』TVアニメ化決定。
黒い季節
微睡みのセフィロト
ばいばい、アース
カオス レギオン
マルドゥック・スクランブル
生方恵一(うぶかた けいいち、1933年3月25日 - )は、元日本放送協会 NHKアナウンサー。1984年の「ミソラ事件」で広く知られている。NHK退職後はフリーアナウンサーとしてテレビ・ラジオ・講演等で活躍する。群馬県出身。
早稲田大学卒業後、アナウンサーとして日本放送協会に入局。
1970年代後半からNHK-FMにて「夕べの広場」のDJを務め、自らを「ウブウブおじさん」と称し、ダジャレを連発するおよそNHKらしからぬキャラクターで高齢者から若者までに人気を博す。
1984年12月31日、「第35回NHK紅白歌合戦」で総合司会を担当。この日を最後に引退を宣言していたトリの都はるみを「今年の歌い納めは、ミソラ…」とうっかり間違えてしまった。
宇野 勝(うの まさる、1958年5月30日 - )は、昭和後期から平成期(1970年代後半~1990年代前半)の中日ドラゴンズ・千葉ロッテマリーンズで活躍した千葉県八日市場市(現・匝瑳市)出身、千葉県立銚子商業高等学校 銚子商業高校卒業のプロ野球選手。愛称は、ウーやん。1980年代の中日ファンに最も愛された選手の一人。引退後10年たった2004年から、古巣の中日で打撃コーチを務める。
千葉県の強豪・銚子商業のショートを守っていた時、中日ドラゴンズのスカウトが甲子園で三遊間の深い位置に転がったゴロをさばいて強肩で打者走者を刺した守備力を評価してドラフトで指名したという話がある。同じ学年の神奈川・東海大相模の原辰徳三塁手から、『東海大学で三遊間を組もう』と誘われたが、ルックス・人気の点で原に差をつけられていると考えた宇野は、中日ドラゴンズの誘いを受けて高校からプロ入りに踏み切ったと言われる。守備位置は、内野手(遊撃手 ショート、三塁手 サード、二塁手 セカンド)・外野手(左翼手 レフト)。長距離打者で、1984年の本塁打王のタイトルも獲得して、ベストナインにも選出されている(その他に1982年・1987年)。ただし、三振の多い打者であった。右投げ右打ち。自身の1シーズン最多本塁打は、41本塁打で、遊撃手のシーズン本塁打としては最高である。
宇野雅美(うの まさみ;1978年5月2日~ )は東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手、右投げ右打ち)。本名は「宇野正美」。
京都府八幡市出身。1996年、花園高校からドラフト5位で読売ジャイアンツ 読売に指名され入団。読売には2年間在籍するも一軍出場のないまま、1998年オフに広島東洋カープ 広島へトレード。広島でも1シーズン(1999年)在籍したが、一軍出場がなく、戦力外通告を受けた。
その後、社会人野球のリースキン広島(2004年にリースキンに改称、現在は伯和ビクトリーズにチーム変更)へ入団、5シーズンにわたりエースとして活躍し、2004年にはチーム(リースキン)の都市対抗野球初出場の原動力となった。同年オフのトライアウトに参加し、東京ヤクルトスワローズ ヤクルトスカウトの目に留まり、2005年からの契約を手に入れた。プロ野球選手が解雇後社会人野球チームを経て再度プロ野球チームに加入するのは渡邉孝男捕手(西武ライオンズ 西武→サンワード貿易硬式野球部 サンワード貿易→北海道日本ハムファイターズ 北海道日本ハム(→沖縄電力硬式野球部 沖縄電力))以来2人目。
宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - )は、東京都生まれの音楽評論家、指揮者。国立音楽大学声楽科卒。父は漫談家の牧野周一。なお、功芳は筆名であり、本名は宇野功(うの いさお)。
旧制東京府立第四中学校在籍中に学制改革に遭い、東京都立戸山高等学校を卒業。上智大学英文科に入学するも中退し、六年かかって国立音大声楽科に入学。この間、体を壊し、肺結核で闘病生活を送った宇野は、敬愛する指揮者ブルーノ・ワルターに手紙を出したところブロマイド付きの返事を得る。これがきっかけとなり、『ディスク(雑誌) ディスク』において「ブルーノ・ワルターの芸術」を執筆、評論家としてデビューする。しかし大学在学時より合唱指揮者を目指していた本人にとって、評論を生業にすることは当初、不本意だと感じていたようである。ともあれ数年後には『レコード芸術』(音楽之友社)とのつきあいがはじまり、やがて数多くの雑誌で執筆活動を行うようになる。