岩垂 寿喜男(いわたれ すきお、1929年4月25日 - 2001年3月7日)は、昭和中期から平成期(1970年代前半~1990年代後半)の政治家。元日本社会党・社会民主党 (日本) 社会民主党衆議院議員。
長野県松本市出身。中央大学を卒業。日本労働組合総評議会 総評本部書記を経て、1972年、旧神奈川2区より衆議院議員に当選。連続当選8回。社会党内では伊東秀子や小森龍邦らと並ぶ最左派の理論家として知られ、1993年、細川内閣が成立を目指した衆院に小選挙区比例代表並立制導入することを柱とする政治改革法案に党の意向に反して反対票を投じ処分を受ける。しかし、自身が推進側に回った自社さ連立政権の村山内閣下では一転して、ルアンダに現地調査に行き自衛隊のPKO(国連平和維持活動)派遣を決め、「変節した」との批判を浴びた。1996年1月から11月まで第1次橋本内閣の環境庁長官を務めた。同年、政界引退。
岩谷 直治(いわたに なおじ、1903年3月7日 - 2005年7月19日)は、日本のプロパンガスメーカー・岩谷産業の創業者・取締役名誉会長。島根県大田市出身。
島根県の大田農業学校卒業。神戸市の運送会社で約30年近く勤務した後、ガスの製造・販売を行う「岩谷直治商店」を1930年に創業。これが1945年に株式会社法人の岩谷産業に改組される。それ以後40年間に渡り社長を務めた。
1953年家庭用プロパンガスを日本で初めて市販。また1969年にはガスホースを使わないカセットボンベ式卓上型ガスコンロをやはり日本初の市販化。「プロパンガスの父」と慕われた。またプロパンガス以外の住機器、食品事業などにも取り組み、岩谷を生活総合産業企業へと一代で築き上げた。またNHK交響楽団に協賛するなど、文化事業にも率先的に取り組んだ。
岩谷 時子(いわたに ときこ、1916年3月28日 - )は、越路吹雪のマネージャー。作詞家としても有名で、越路の死後は作詞・訳詞に専念している。京城(現在のソウル特別市)生まれ。
神戸女学院大学卒業後宝塚歌劇団出版部に就職。そこで越路と出会う。以来、越路と常に行動をともにし、越路が死去するまでマネージャーとして強い信頼関係で支えた。
その傍ら、越路の歌うシャンソンの訳詞を手掛けたのきっかけとして作詞家・訳詞家としての活動を始め、日本語のわかりやすい言葉選びに定評がある。
:訳詞は殆ど意訳なので、本来の意味からかけ離れていることも少なくないので注意が必要である。
岩館 真理子(いわだて まりこ、女性、1957年2月8日 - )は、漫画家。北海道札幌市出身。
1973年、「週刊マーガレット」掲載の『落第します』でデビュー。
以後、同誌を中心に執筆し、現在は主に「ヤングユー」などの女性誌で執筆している。
繊細な感性から生み出される独特の作品世界は、淡麗な絵柄とも相まって、幅広い層のファンを持つ。
1992年、『うちのママが言うことには』で、第16回講談社漫画賞を受賞。このほかの代表作に『1月にはChristmas』、『アリスにお願い』など。
岡崎京子・楠本まきなどの作家も、彼女に大きな影響を受けている。
おしおきしちゃうから
初恋時代
ふたりの童話
岩舘 学(いわだて まなぶ、1981年4月14日 - )は、千葉県成田市出身の読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手。右投右打で、ポジションは内野手(主に二塁手、三塁手、遊撃手)。背番号は36番。華麗かつ堅実なフィールディングには定評があり、次代のレギュラー候補として、首脳陣からの期待は高い。2006年度は小久保裕紀、ジョージ・アリアスの代走、守備交代要員として、出場機会も多い。出身校は、成田高等学校(千葉)→東洋大学。
36(2004年~)
第1回世界大学野球選手権日本代表
日本の野球選手 いわたて まなふ
読売ジャイアンツの選手 いわたて まなふ
1981年生 いわたて まなふ
岩田康誠(いわた やすなり、1974年3月12日 -)は、兵庫県出身の日本中央競馬会(JRA)所属の騎手である。2006年2月までは、兵庫県競馬組合の清水正人厩舎に所属していた。地方競馬での勝負服 (競馬) 勝負服の柄は白・青襷だった。得意戦法は先行。
兵庫県競馬を代表する騎手の一人として、先に中央競馬に移籍した小牧太と共に2本柱と呼ばれた。小牧太が抜けた2004年は、プレッシャーと12月1日の落馬もあり思うほど勝利数は重ねられなかったが、それでも279勝を挙げている。
地方・中央で通算勝利数は3000勝(後述)を数え、中央競馬移籍までは地方競馬の同一施行者での生え抜き騎手の中では断トツの1位であった(生え抜きに限らなければ中津競馬場から移籍してきた有馬澄男が通算で3800勝あまりを挙げており、現役に限らなければ田中道夫が3166勝、小牧太が中央移籍までに3376勝を挙げている)。また1996年にはケイエスヨシゼンでアングロアラブ アラブ三冠を達成している。兵庫県競馬史上、アラブ三冠は1970年のアサヒマロットに次いで2頭目。このケイエスヨシゼン騎乗時に、プレッシャーから吐いたのは有名な逸話である。本人も何度かインタビューなどで自分のプレッシャーに対する弱さを吐露している。
岩田 稔(いわた みのる 1983年10月31日- )は大阪府守口市出身のプロ野球選手(投手)。阪神タイガース所属。背番号は21。身長178cm、体重83kg。左投げ左打ち。
大阪桐蔭中学校・高等学校 大阪桐蔭高時代には2年秋からエースとなり、秋の府大会で準優勝、近畿大会でもベスト8に進出するが、同年の冬、風邪を引いた際のウイルス感染が元で1型糖尿病を発症してしまう。
3年次には腰の故障に泣き、中村剛也、西岡剛らが活躍するチームで、エースナンバーは背負っていたが、登板機会はなく、甲子園の土も踏むことはなかった。
社会人野球のチームから誘われ、一度は決まりかけたものの、病気が分かってから取り消されたため、指定校推薦で関西大学に入学。
岩田 光央(いわた みつお、1967年7月31日 - )は男性声優。大沢事務所所属。埼玉県所沢市出身。
通称「兄貴(アニキ)」。『ぼくのマリー』でマリの「兄」ひろし、『超兄貴ショー』で「イダテンのアニキ」を演じたことが由来とされる。実際のところ人望もあつく、後輩やラジオのリスナー、ファンたちから兄貴的に慕われる存在である。
妻は同じ声優の愛河里花子である。2006年1月17日に第1子(男児)誕生。
子役時代には『1年B組新八先生』にも出演している(佐古光役)。
声優としてのキャリアは豊富であり、爽やかな好青年からさえないオヤジまで幅広いキャラクターを演じ分けることができるベテラン声優である。