稲増龍夫(いなます たつお、1952年-)は社会学者。現在、法政大学社会学部教授。東京都出身。筑波大学附属駒場中学校・高等学校 東京教育大学附属駒場高等学校、東京大学文学部社会学科卒業後、同文学部社会心理学研究室助手を経て、現職。専門は社会心理学・メディア文化論。
テレビ等でのコメンテーターの活躍も多く、フジテレビのトークシャワー、TBSの朝の番組いちばん!エクスプレス・エクスプレスのコメンテーターを務めていたほどである。また、メディアにもよく登場し、女子アナウンサーにも知り合いが多い。ゼミ出身者はマスコミ関係者が多く、大村正樹(フリー)などがおり、数多くのアナウンサーを輩出している。また、大学が主催する法政大学自主マスコミ講座の顧問でもあり、送り出したアナウンサーは小島奈津子(元フジテレビ)や龍円愛梨(テレビ朝日)、加藤明子(朝日放送)など数多くいる。講座からは毎年アナウンサーを出している。
稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年 - )は、日本の俳人。日本伝統俳句協会の設立者。
1931年、横浜に生れる。父高浜年尾、母喜美の次女。小林(おばやし)聖心女子学院高校卒。同英語専攻科中退。
小学生の頃から、祖父高浜虚子・父高浜年尾に俳句を学んだという。1935年、鎌倉から芦屋に転居。1956年24歳で稲畑順三と結婚、二男一女の母となる。1965年「ホトトギス」同人。1976年第一句集『汀子句集』刊行。1977年「ホトトギス」雑詠選者に。同年、父高浜年尾の死去により主宰を継承した。翌1980年、夫順三死去。
1982年より朝日俳壇選者に、1994年―96年、NHK俳壇の講師・選者となる。
1987年、日本伝統俳句協会を設立し、会長に就任。2000年、虚子記念文学館を芦屋に開館、理事長に就任する。
稲葉 光雄(いなば みつお、 1948年10月2日 - )は、プロ野球選手(投手)、野球解説者。現在はテレビ愛知、東海ラジオの野球解説者。静岡県静岡市清水区出身。
静岡県立清水工業高等学校 清水工から日本軽金属を経て、1970年のドラフト会議 ドラフト2位で中日ドラゴンズ 中日に入団。スピンの効いた落差の大きなカーブを武器に活躍し、1972年には20勝を挙げた。1977年にオリックス・バファローズ 阪急へ移籍、同年に最高勝率のタイトルを獲得。1984年に阪神タイガース 阪神へ移籍、一軍登板は無く同年に引退。引退後は中日、北海道日本ハムファイターズ 日本ハムでコーチを務めた。
331試合 104勝 80敗 2セーブ 1655.2投球回 防御率3.44
稲葉なおと(いなば なおと、1959年9月24日 - )は日本の一級建築士、紀行作家、写真家。
1978年、東京都立立川高等学校を卒業。1983年、東京工業大学工学部建築学科(篠原一男研究室)を卒業。
一級建築士の資格を持つ建築プロデューサーの先駆けとして、商業ビルや分譲マンションの企画及びプロデュースを手がける一方、『誤解だらけのマンション選び』や『こんなマンションに騙されるな』、『高く売れるマンション 暴落するマンション』など、マイホーム購入者への購入術手引書、警告書であり、不動産業界関係者への指南書、啓蒙書ともいえる書籍を次々と刊行、話題となる。
マンションにおいてはいかに管理が重要かを説き、マンションの本当の価値について、「田の字マンション」や「羊かん切りマンション」、「戸建て感覚」や「横縞マンション」など、オリジナルの造語を使った明解な説明・解説は、多くのマンション購入者や、ディベロッパーからも支持を得た。
稲葉 振一郎(いなば しんいちろう、1963年11月6日 - )は社会学者。専門は社会倫理学。東京都出身。1986年一橋大学社会学部卒、1992年東京大学大学院経済学研究科単位取得退学。
岡山大学経済学部講師、助教授などを経て、2001年より明治学院大学社会学部助教授。2005年4月より明治学院大学社会学部教授。
『風の谷のナウシカ ナウシカ解読――ユートピアの臨界』(窓社, 1996年)
『リベラリズムの存在証明』(紀伊国屋書店, 1999年)
『経済学という教養』(東洋経済新報社, 2004年)
『オタクの遺伝子――長谷川裕一・SFまんがの世界』(太田出版, 2005年)
『「資本」論――取引する身体/取引される身体』(筑摩書房[ちくま新書], 2005年)
稲葉 浩志(いなば こうし、本名読み:-ひろし、1964年9月23日 - )は、日本の男性ボーカリストである。ロック_(音楽) ロックバンド_(音楽) バンドB”zのボーカル ヴォーカル、作詞を主に担当している。自身のソロ活動では作曲、ギターもする。岡山県津山市出身。岡山県立津山高等学校、横浜国立大学教育学部数学科卒業。学位は学士 教育学士。血液型はAB型で身長は171cm(FC会報のQ&Aで公表)ビーイング傘下のレコードレーベル レーベル、VERMILLION RECORDS所属。
1985年、当時ビーイング音楽振興会に所属していた大学生時代に、BLIZARDのギターの松川敏也(RAN)のソロアルバム『BURNING』に謎の覆面ボーカル『Mr.Crazy Tiger』として参加。実際に覆面を被ってたかどうかは不明。LPと12センチCDでリリースされたが、現在共にプレミアム価格が付いている。また、ビーイングの斡旋でモデル_(職業) モデルの仕事もしていた。実は大学卒業後、某大企業グループ(ソフト系)に就職したが研修後すぐに辞めている。
稲葉 興作(いなば こうさく、男性、1924年1月16日 - )はシンガポール生まれ。石川島播磨重工業社長、会長、日本商工会議所会頭を務める。
1946年 東京工業大学工学部機械工学科卒業
1983年 石川島播磨重工業社長就任
1993年 日本商工会議所会頭就任
1995年 石川島播磨重工業会長就任
1997年 東京メトロポリタンテレビジョン取締役就任
2001年 石川島播磨重工業相談役
1996年 勲一等瑞宝章受賞
2003年 勲一等旭日大綬章受賞
日本の実業家 いなはこうさく
稲葉篤紀(いなば あつのり、1972年8月3日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手。背番号は41。
愛知県西春日井郡師勝町(現・北名古屋市)出身。左投げ左打ち。ポジションは外野手で、主に右翼手や中堅手、稀に一塁手として出場。強肩の外野守備には定評がある。攻守交代時に全力疾走することが有名。
日本ハムでは森本稀哲、新庄剛志とともに強肩揃いの外野陣を形成し、他球団の脅威となっている。打線でも五番(稀に四番)に座ることが多い。ヤクルト時代はもっぱら三番が定位置であった。中距離ヒッタータイプではあるが、長打力も十分で、クリーンアップを任せるにはふさわしいと評価される選手である。
因幡 晃(いなば あきら 1954年3月18日 - )は秋田県大館市出身のシンガーソングライターである。アップフロントエージェンシー所属。
2005年8月にデビュー30周年を迎えた。
近年、因幡晃のコンサートは歌のみならず、ユーモアたっぷりのギャグからタイムラグに富んだ笑い等、観客を飽きさせないトークにも大変人気を集めている。
父さんの唄う秋田民謡
母さんの手料理
酒(でも、ヤクルトも好き)
郷土料理
家族で行くHawaii
ダイヤモンド
因幡晃30th Anniversary CONCERT TOUR 「ミーム~心の遺伝子の叫び」が2005年9月をかわきりに行われた。日程は以下のとおり。
9月11日 パルテノン多摩小ホール
9月15日 秋田市文化会館小ホール
稲田 勝(いなだ まさる、1978年11月2日 - )は、日本のスケルトン選手。北海道出身。仙台大学卒。
高校時代は硬式野球部に所属。甲子園にも出場した。野球に限界を感じ、スケルトンに転向。
2006年、越和宏とともにトリノオリンピックに出場した。
アイスクリームが大好物。好きなアイドルは中川翔子。
日本のスポーツ選手 いなた まさる
1978年生 いなた まさる
Masaru Inada