稲垣 潤一(いながき じゅんいち、本名同じ、1953年7月9日 -)は、宮城県仙台市出身の歌手、音楽家 ミュージシャン。血液型はO型。
宮城県工業高等学校卒。小学校5年頃から箸を持ってドラムセット ドラムスの真似をしていたという。中学に入り本格的なバンド活動を始め、仙台のライブハウスや横須賀や立川の米軍キャンプ等で演奏を続けるうち、「スーパーポップボーカル」というキャッチコピーで1982年に『雨のリグレット』でデビュー。歌うドラマーのスタイルで話題となる。透明感のある個性的な声質を持つ。
他の作詞・作曲家提供作による楽曲がほとんどであり、これは80年代、シンガーソングライターがもてはやされた時期の本格派ミュージシャンとしては特徴的である。シングルでの自作曲のリリースは皆無に等しい。初期の池田聡と共通する特徴である。ただ池田と異なり、稲垣の場合は、シングルを見てもよくわかるとおり、編曲家を含めて、きわめて様々な作家が参加しており、その作品は文字通り、作曲家・編曲家の宝庫である。どこか「夏」を感じさせる音楽スタイルが、大滝詠一を彷彿とさせるというファンもおり(おそらく、編曲家・井上鑑の参加にその理由の1つがあると想像される)、事実大滝の提供作品(シングルとしては、「バチェラー・ガール」や「カナリア諸島にて」、アルバム収録曲としては、「恋するカレン」(1990年の「Self Portrait」に収録)等)も幾つかあり、評価が高い。
稲垣 実男(いながき じつお、1928年3月28日 - )は日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。愛知県幡豆郡出身。早稲田大学第二政経学部卒。
1976年、第34回衆議院議員総選挙では次点で落選するが、翌年、当選した現職議員の死亡により、繰り上げ当選。厚生政務次官、党全国組織委員会副委員長、衆議院決算常任委員会委員長、党政調副会長などを歴任し、1996年11月、第2次橋本内閣で北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官として入閣した。通算当選7回。派閥は中曽根派から江藤・亀井派に所属。
2000年の総選挙で落選し、政界引退。政治家としては影が薄く、目ぼしい活躍は見られなかった。2004年、自らが社長を務める顧問投資会社が、許可も受けずに高齢者相手にサギ商法を手がけていたことが判明し、出資法違反容疑で逮捕され、2005年、有罪判決が下った。
稲垣 史生(いながき しせい、1912年5月12日 - 1996年2月27日)は、日本の時代考証家・歴史小説家。本名、稲垣 秀忠。
富山県出身。早稲田大学文学部国文学科を卒業。新聞記者、雑誌編集長を経て、文筆業に。
1942年、「京包線にて」でサンデー毎日大衆文芸賞受賞。1962年、「花の御所」でオール読物新人賞受賞。
日本放送協会 NHK大河ドラマ『竜馬がゆく』『樅ノ木は残った』『勝海舟』などで時代考証を手がけた。『考証風流大名事典』などの時代考証に関する著作のほか、歴史小説も著した。1975年、第1回放送文化基金賞受賞。弟子に杉浦日向子がいる。
日本の小説家 いなかき しせい
1912年生 いなかき しせい
稲垣 吾郎(いながき ごろう、1973年12月8日 - )は、日本の男性アイドルグループSMAPのメンバーである。ジャニーズ事務所に所属。血液型はO型。愛称はゴローちゃん。最近は「ほんとにあった怖い話」の影響+年齢的なことから(?)吾郎さんと呼ばれる事も。
身長175cm。
東京都板橋区出身。堀越高校卒業。ジャニーズ事務所のオーディションを受けたのは、同グループの木村拓哉・香取慎吾と同日。姉が黙って写真を送り、「ゲームを買ってあげる」と言って連れて行かれた場所がオーディション会場だった。
高島平団地で生まれ育つ(稲垣がTV番組の中で発言)。
ファミ通で「いい電子」を連載しているみずしな孝之とは、中学時代の同級生である。
稲垣 清(いながき きよし、1915年 - 1941年12月8日)は旧日本海軍兵曹長。三重県一志郡 河合村生まれ。
1934年6月に広島県呉市にある呉海兵団に入団、同所で訓練の後に駆逐艦 「早苗」の船員となる。海軍水雷学校に入学、駆逐艦「呉竹」に着任。その後、海軍水雷学校高等科を卒業し1941年(昭和16)11月18日にハワイ真珠湾への特別攻撃隊員として潜水艦(伊-24)に乗り込み倉橋島を出撃する。
同年12月8日、特殊潜航艇「通称:甲標的」に艇長である酒巻和男少尉と共に出撃。しかし出撃時に潜航艇のジャイロ(羅針儀)の故障に気付くが強行出撃する。湾内進撃中、米駆逐艦「ヘルム」に発見され攻撃を受ける。攻撃回避中、何度も座礁と離礁を繰り返す内に魚雷発射管が破損する。さらに浸水による蓄電池からの有毒ガス発生などから作戦続行不可能と考え母艦への撤退を決意する。しかし真珠湾の裏側であるワイマナロ湾で再び座礁。潜航艇が行動不能となり、艇に時限爆弾を仕掛け酒巻少尉と共に脱出するが真珠湾特有の荒波のため稲垣二曹は漂流中に行方不明となる。
稲尾 和久(いなお かずひさ、1937年6月10日 - )は、大分県別府市出身のプロ野球選手(投手)、プロ野球監督、野球解説者、野球評論家である。
1956年、大分県立別府緑丘高等学校(現・大分県立芸術緑丘高等学校)から西武ライオンズ 西鉄ライオンズに入団した。入団当初は注目の選手ではなく、三原脩監督も「稲尾はバッティング投手として獲得した」と公言して憚らなかった。実際、島原市 島原キャンプでは中西太・豊田泰光・高倉照幸ら主力打者相手のバッティング投手を務めており、口の悪い豊田は「手動式練習機」とも呼んでいたが、キャンプ後半になると逆に打者が打ち取られる場面が増えたため、中西と豊田が三原に「稲尾を使ってみてほしい」と進言。そしてオープン戦に登板し、結果を残して開幕を一軍で迎え、開幕戦(対大映ユニオンズ 大映)で11-0と西鉄が大量リードで迎えた6回表から、河村英文 河村久文の後を継いで2番手として登板、4回を無失点に抑えた。その後もしばらくは敗戦処理などで登板していたが、投手陣の故障などから登板機会が増え、最終的には1年目から21勝6敗、防御率1.06(2005年現在パリーグ記録)の好成績を残し、最優秀防御率と最優秀新人_(野球) 新人王のタイトルを獲得した。2年目の1957年からは3年連続30勝を記録し、1961年にはヴィクトル・スタルヒンに並ぶシーズン42勝をマーク。中西や豊田、大下弘、仰木彬らと共に、『野武士軍団』西鉄の黄金時代を築き上げる原動力となった。
伊奈祐介(いな ゆうすけ、1975年(昭和50年)12月18日 - )は日本の棋士 (将棋) 将棋棋士。神奈川県逗子市出身、小林健二門下。棋士番号228。
奨励会三段リーグで2度次点(3位)となり、規定によりフリークラス編入の権利を得た。この権利によって1998年に四段となってプロ入りする。2006年3月現在、次点2回でのフリークラス編入は伊奈のみである(2004年に佐藤天彦が同様に権利を得たが、権利を放棄して三段リーグにとどまった)。
フリークラス編入後、勝ち星を重ね、2002年に「直近30戦以上で勝率6割5分以上」(20勝10敗)の基準を満たし順位戦C級2組に昇級した。
妻は棋士 (囲碁) 囲碁棋士の佃亜紀子。また、伊奈の実妹が渡辺明 (棋士) 渡辺明と結婚している。
絲山 秋子(いとやま あきこ、1966年(昭和41年)11月22日 - )は、日本の小説家。芥川賞受賞。
東京都世田谷区出身、群馬県高崎市在住。東京都立新宿高等学校、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。INAXに入社し、営業職として数度の転勤を経験。また躁鬱病を患い、休職することもあり休職期間中に執筆活動に取り組み、2003年『イッツ・オンリー・トーク』にて第96回文學界新人賞を受賞した。
都会での人間関係と恋愛を絡めた題材がとられ、発表作が文学賞受賞や候補作に選ばれるなど、注目されている。
2006年1月、文學界2005年9月号に掲載された『沖で待つ』で、4度目のノミネートにしてようやく芥川賞を受賞した。
井戸田 潤(いとだ じゅん、1972年12月13日 - )は愛知県小牧市出身のお笑いタレントでスピードワゴン_(お笑い) スピードワゴンの漫才#ボケとツッコミ ツッコミ担当。相方は小沢一敬。ホリプロ ホリプロコム所属。身長166cm、血液型B型。父親 父は元小牧市議(民主党_(1996-) 民主党)。妻は女優・安達祐実。小牧工業高等学校卒業。
1998年12月11日 コンビ結成。
2002年 第2回「M-1グランプリ」決勝進出。
2003年 第3回「M-1グランプリ」決勝進出。
2005年9月14日 女優・安達祐実とできちゃった結婚(妊娠2ヶ月)。
2006年4月 長女誕生。
テンションが高く激しい、そしてやや古くさいツッコミが特徴。
相方の小沢一敬が甘い言葉を言うと「甘~い!!」と叫ぶのがお馴染み。しかし全く脈絡のない所で「甘~い!!」と言ってしまうことがある為、小沢が指を鳴らしたら言う様にしている。 他にも小沢が否定的な言葉を発すると「あたし認めないよ小沢さ~ん!」と手を上にあげて左右に振るのも有名である。
糸瀬茂(いとせ しげる、1953年 - 2001年6月30日)は経済学者、宮城大学教授。
福岡県生まれ。上智大学外国語学部卒業。第一勧業銀行に入行。在職中にMBA取得。その後、ソロモン・ブラザース・アジア証券、DBモルガン・グレンフェル証券(東京支店副支店長)、長銀総合研究所研究員などを経て、1997年より宮城大学事業構想学部助教授。1999年より教授。公共事業における無駄を指摘し、不良債権問題の先送りに警鐘を鳴らし続け、テレビ等でも活躍する。2001年6月30日、食道癌のため死去。
著書に「なぜ、銀行を救うのですか」(東洋経済新報社)、「日本経済に起きている本当のこと」(日本経済新聞社)などがある。